第109話 サナVSリリー①

 帝城を出たリリーは、革命軍に後背から襲いかかろうとまっすぐに進軍していた。

 付き従っているのは数百の騎士達。皇帝直属、精鋭の騎士団だ。

 とはいえ、さすがの彼らと言えど、勇者であるリリーが本気で駆けてしまっては付いてこれなくなる。そのため、彼らの行軍速度に合わせて、リリーはその先頭を走っていた。


 他人を指揮するというのは、得意ではないのだけど。


 命令されて戦っていただけの前世では、他人を指揮することなどなかった。けれど、今生ではそうも言っていられない。頼れる者が酷く少ないのだから、慣れていなかろうと自分がやるしかないのだ。


 胸の内でこっそりと嘆息を溢しながら、リリーは角を曲がる。このまま進めば、革命軍の背後に食らいつけるはずだ。

 遠間に群衆の姿を捉え、一気に加速しようとした矢先。リリーは、突如迫る魔力の気配を感じ取った。


「っ、止まれ!」


 リリーの号令に、騎士は一瞬の動揺を覗かせながらも、即座に停止する。


 直後、眼前に氷の壁が立ちはだかった。


 走った冷気が氷となり、通りを横断して覆い尽くすと上へ侵食して、面する建物の屋根を超えてなお天へと伸びる。瞬きの間に生まれた巨大な氷壁は、水晶も斯くやと如く行く手の光景を微かに透かすほど冴え渡っているのに、月光に煌めく霜の粉を散らしながら、塞いだ彼我を完全に隔絶した。


 あと一歩リリーの制止が遅ければ、自分達を丸ごと飲み込んで氷漬けにしていただろう氷山を前に、騎士達は恐怖より呆気に取られて立ち尽くし、その頂きを見上げている。


「う~、寒っ。自分でやっといて何だけど、もうちょっと厚着してくればよかった」


 そして、そんな彼らの頭上から、声が降ってきた。魔法で宙に浮かんだ彼女は、自らが生んだ氷山を超えて、腕を摩りながら、ゆっくりとリリー達の前に降り立つ。


「精霊兵の、サナといったかしら」

「はい。こんばんは」


 リリーの問いかけに、サナは緊張も警戒も敵意さえ感じられない、まるでご近所の人と顔を合わせた時のような、柔和な笑顔で挨拶してきた。

 リリーはリリーで、そのことに苛立つことも警戒を緩めるようなこともなく、周囲の気配を探っていた。


「あなたとあのティグルという子も革命に参加したと聞いたけれど……今はあなた一人?」

「あら、耳が早いですね。ええ、ティグル君とライル君は監獄攻略の方に行ってもらってます。で、私が皆さんの足止めに来たわけです」

「そう……皆は動かないで。彼女の相手は私一人でする」


 後ろに控える騎士達に命じると、誰一人文句を言うことなく、警戒態勢のまま数歩後ろへ下がっていった。彼ら自身も、サナとの闘いでは足手まといにしかならないと理解できているのだろう。


「いいんですか? 私はてっきり、リリーさんが私の相手をしている隙に、他の兵には迂回して前線へ向かわせるものかと」

「そうしたら、あなたは私と正面から戦おうとしないでしょう? 私からは逃げに徹して、他の兵士の妨害に回るはず」

「バレてましたか。でも、ティグル君達を放っておいていいんですか? 私よりティグル君の方が強いですよ?」

「確かに彼は強いけど、ライルと同じで単純そうだから。私には、あなたの方が脅威に思える。昨夜真っ先に陛下を狙ったように、あなたには手段を選ばない強かな怖さがあるもの」

「むぅ、ティグル君はその単純なのがいいのに」

「誰も男の好みの話はしていないんだけど」


 若干ふくれっ面で戯言を言うサナにリリーが呆れて白けた視線を向けながら、双方剣を抜く。構え、ぴたり、と剣先を相手に向ける。


 静寂が降りる。見守る騎士の誰かが固唾を飲んだ、次の瞬間。

 

 二人が同時に動いた。

 サナは出方を窺おうとしてか、ゆったりとした足運びなのに対し、リリーはまっすぐにサナの懐へ飛び込んでいく。


 左の剣を切り上げるリリーにサナが応じ、刃が交差して打ち合う。一瞬、ぎり、と二つの刃が擦れ、迫り合う。

 と、サナの剣が動いた。拮抗していた力を流し、捻じ曲げ、己に利する方向へといなそうとする。


 しかし、リリーはそれを許さなかった。

 こちらの力を流そうとするサナに下手に逆らうのではなく、それに乗りつつ、一層力を合流させ、サナが誘導する方向をさらに捻じ曲げる。

 サナが意図した方向から逸脱して、上方に大きく弾かれる二つの剣。サナはわずかに体勢を崩すが、リリーは伸び上がる力を利用して体を捻り、右の剣を斬り上げる。

 サナが後ろに下がる。右の剣は空を切るが、リリーは追撃する。一歩踏み込み、左の剣を今度は上から振り下ろす。

 さらに後退しようとするサナだが、間に合わない。銀の刃が彼女の肩に食い込もうとして、


 サナの姿が掻き消えた。


「っ!」


 一瞬の驚きに見舞われるが、即座に察知した気配に、右の剣を走らせる。


 直後、ギィン! と激しい衝突音と衝撃が右腕から伝わってきた。


 姿の消えたサナがそこに立っている。リリーの右斜めから振り下ろされた刃を、構えた右剣で受け止めた格好だ。


「サルーシアの古流剣術の歩法、確か陽炎かげろうだったかしら?」

「うーん、流石勇者様。よくご存じで」


 サルーシアは、かつては戦の絶えない土地柄で剣術も発達していたので、リリーも触れる機会があった。陽炎は要するに、極端に削ぎ落した予備動作と急激な動きの緩急で相手を惑わすフェイント技だ。相手が熟練者であるほど、予想を裏切る動きの変化で戸惑わせることができ、極めれば、先程のように突然消え失せたかと錯覚させることもできる、とは聞いていた。それほどの練度のものを目にしたのはリリーも初めてだったが。


 リリーが左剣で突きを放つ。サナは横に避け、触れ合っていた刃も離れる。

 再び間合いが開き、サナが静かに正眼に構え直す。次の瞬間、彼女の体が揺らいだ。また陽炎だ。一度見ているのだ、先程のように完全に見失いはしない。

 経験が生む虚像を打ち破り、リリーは踏み込んだ。陽炎により軌道さえ不規則なサナの足運びに、予測ではなく、動き始めを見て相手より速く動くという力技で先んじて懐に入り込む。


「っ」


 今度驚いたのはサナの方だ。慌てて距離を取ろうとするが、させまいと、リリーがさらに踏み込み、右の剣を斬り上げる。サナが剣で受けるが、空かさず左の剣も薙ぐ。サナが受けていた剣を捌き、左も弾くが、足は止まっていた。


 リリーの双剣はサナのシミターより短い分、小回りが利く。陽炎の歩法にしても、あれは彼我の距離が一定以上ある時にこそ真価を発揮する。懐に入り込めばこちらが有利だ。

 サナもそれはわかっているのだろう。何とか張りつかれないよう、こちらと距離を置こうとする。だけど、逃がさない。


 なおも一歩、内に踏み込み、サナの腹に突きを放つ。横へ躱されるが、挟み込むように右胴を払う。剣で受けつつ後ろへ下がるサナに、追撃を放つ。身を捻りながら、斜めに左の剣を振り下ろす。同時に、右の剣を引いて、突きでのさらなる追い打ちの構え。

 肩に食い込まんと迫る刃。そこにシミターの刃が振り上げられ、


 ぐんっ、とリリーの体が引っ張られた。


 サナの剣が、リリーの一撃を防ぐと同時に、受け流していた。こちらの力を食い、自らの流れとしてリリーの体勢を崩そうとしてくる。


 ――この人、本当にいなすのが上手い。……けど!


 体を引こうとする力を、サナに食われた力を、食らい返す。

 体を前方へ流そうとする力の流れを強引に地面へ叩きつけ、足を縫いつける。そして、行く先を地で堰き止められ反発してくる力を捻じ曲げ、旋回。前方に投げ出されたこちらの後背を狙っていたサナの、さらにその背を薙ぎ払う。


「っく!」


 彼女自身とリリー両者の力が乗った一撃を、サナは既の所で躱した。飛び退いた彼女の纏う外套の裾に切っ先が掠め、裂かれた断面が二人の間で翻る。

 が、強引な回避だったためにサナは体勢を崩し、着地から構え直すまでわずかな隙が生じた。


 強者同士での戦いでは、それが致命的となる。

 地を蹴ったリリーが、そのわずかな隙に肉薄する。サナが身を立て直すより一瞬速く、勇者の双剣が左右から襲い掛かり、


 振り下ろす寸前、今度はリリーが大きく飛び退いた。


 傍から戦いを見守っていた騎士達は、なぜリリーが退いたのか理解が追いつかなかっただろう。

 けれど、次の瞬間、今まさにリリーが踏み込もうとした地面から突き上がった氷柱に息を呑んだ。丸太のように太く、先端は槍の如く鋭い氷の杭が、リリーを突き刺さんと二本、三本と伸び上がる。


 最小限の動きだけで避けたリリーが、氷柱を回り込んで再びサナへ迫ろうとする。だが、それを予想してか、今度は炎の波が氷柱の両脇から雪崩れ込んできた。進路を塞いだ上に大きく広がって左右から呑み込もうと襲いかかる炎の津波に、致し方なくリリーは足を止める。

 双剣に魔力を込め、振り抜く。魔力と混ざり放たれた聖気が、氷と炎を砕き、切り裂く。氷と炎が散り散りになって宙を舞う向こうで、二つの魔法を放った張本人は当然既に体勢を立て直し、これまで以上にこちらとの間合いを取っていた。


「うーん、さすが勇者様。剣の腕では敵いませんね」


 先の攻防でかすかに息を乱しているサナだが、剣を片手に無造作に立つ姿と浮かべる苦笑いには、焦りも怖れも表れていない。


「まるで、剣以外でなら勝てるみたいな言い草ね」

「いやいや、そんな意味で言ったんじゃありませんよっ。ただ、まあ、他のでどうかは」


 サナが、だらりと下げていた剣を正眼に構える。顔の前でまっすぐに煌めく刃の向こう、サナの頬を


「今からやってみてのお楽しみということで」

 

 翡翠色の光の筋が走った。

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