第106話 ティグルの選択(1)

 蜂起した革命軍は、思いのほかゆっくりと街を進んでいった。

 塊となって帝都の目抜き通りを進みながら、ついに革命が始まったことを周囲に呼びかけていく。それを聞いた民衆が、街のあちこちから駆けつけてくる。議事堂のあの場にはいなかった革命の同志、革命軍に入らずも陰で支持していた者たち、さらに、これまでは逮捕されることを恐れて見て見ぬふりをしてきた人々まで、続々と合流する。

 議事堂から始まった行進は、あっという間に膨れ上がり、大通りを埋め尽くしている。まるで大河を逆流する津波のようだ。

 帝国の警察なども、早々に事態に気づき、押し留めようとしていたが、多勢に無勢が過ぎるというもの。少しも勢いを緩めることができず、逃げ散っていった。

 その度に群衆は歓声を上げ、自分たちの威を示すように、手に持った武器を掲げた。剣や斧、各々の家にあった鎌や鍬まで持ち出し、それさえない者は燃やした松明を握り、「どうだ、見たか!」と言わんばかりに腕を突き上げながら、勢いを一層増して帝都を突き進んでいく。


 その様子を、俺とサナは国民議会場の屋上から見つめていた。この建物はここら一帯では一番背が高く、行進の先頭、さらにそれが向かう先まで一望できた。


 ちなみに、ライルの奴は議事堂の中に留まっている。リリーを助けるという目的を失ったことに加え、エガリテも彼女の救出は重要視していなかったことを知り、余計に自分がこれからどうしたら良いのかわからなくなっているのだろう。


「これは、もう止まらないね」


 サナが溢す。欄干に手を突いて革命の様を見つめる俺の横に並び、彼らが向かう先に視線を投げている。


 革命軍が最初の目標と定めた、バスダット監獄。二番目の外壁と一体となっているそこまでの間には、最内の外壁が聳えている。この議事堂は最内の壁とはほど近い位置にあるので、行進がそこに達すのは時間の問題だ。

 ここまで革命の勢いを一向に緩めることができていなかった帝国側だが、ただ手を拱いているわけでもなかった。最内外壁の門の前に、武装した兵たちが集結していた。バリケードを築き、移動式の大砲まで見える。このままでは激突は必至だ。


 けど、サナが言った通り、革命はもう止まらない。引き返せない、やり直しもできない所まで燃え上がってしまった。後はもはやこのまま突き進んでいくしか道はないだろう。


「ロランさんはああ言っていたけど、どうする? 私としては、ここまで来たら、最後まで付き合うのもやぶさかでないと思ってるんだけど。ジョセフ大公の思惑通り、っていうのは少し癪だけどね」


 サナが腰の鞘に手をかける。


 俺は、欄干をぎゅうっ、と握って、目を閉じた。


 常人を超える俺の耳に、色んな音と声が届く。

 踏み鳴らされる無数の足音。行進しながら革命を謳う人々の声。走る馬車の車輪の音に、防衛線を築くために張り上げられる兵士の怒鳴り声。興奮に膨れる声、裏返りそうになりながら張り上がる叫び、不安に震える大声、馬の嘶きに縦横から集う蹄の音、どこかで泣く子どもの泣き声、木材が石畳に倒れ、松明が火花を弾き、鬨の声が多くを奮い立たせ、決死の号令が響く。


「……俺さ、カミーユさんたちの言う革命ってのに、あんまり乗り気になれなかったんだよ」


 ぽつりと零す。サナは首を傾げ、俺に視線を寄せながらも、黙って耳を傾けてくれている。


「自分で言うのもなんだけど、俺って単純だからさ。すぐに同情して、その場の雰囲気にも流されやすいし。けど、この革命ってのには、協力することにどうにも踏ん切りがつかなかったんだ。むしろ、この議会場で議論する人たちの様子を見ていると、だんだんと嫌な印象が強くなって。貧しさに苦しんでいる人や、ロランさんの曾祖父さんの話とかも聞いてたのにな。何でかなって自分でも不思議だったんだよ」


 語りながら、目を開き、眼下で繰り広げられる光景に視線を落とす。


 革命軍の人たちは、先程よりさらに巨大な集団に膨れ上がり、間もなく外壁の大門に到達しようとしていた。その瞳は欄々と輝き、前しか見ていない。


 対する外壁の前には、帝国兵たちが待ち構えている。剣や槍を構える顔は、ひどく強張っている。よく見ると、黒い制服を着ている者と、濃紺の制服を着ている者とが混じっている。濃紺の制服の者たちは、剣にはあまり慣れていないように見受けられる。軍人と警察が混じっているのかもしれない。もしかしたら、パン泥棒の少年を捕まえようとしたあの人もいるのだろうか?


「けど、さっき外に出てる時に、ちょっとあってさ。ようやくわかったんだ。何で俺は革命が嫌なのか、そして俺がどうしたいのかが」


 サナへ向き直り、伝える。パン泥棒の少年と警官の男との話、そこで俺が何を思ったのか。今、何をしようとしているのかを。


 夜へ転じた帝都の暗闇を、行進する人々の掲げた篝火が照らす。茜色を横顔に映したサナは、話しを聞き終えると、静かに頷いた。


「それがティグル君の選択なんだね」

「バカだって思うか?」

「そうだね。賢いやり方ではないし、褒められたことでもないかもしれないよね」


 眼下で進む灯の群れと、彼らが向かう先に一度視線を投げた後、サナはくるりと体ごと俺に向き直ると、


「けど、私は好きだよ。そういうバカな人」


 そう言いながら、目を細めにかっと笑った。

 予想外の言葉に目を丸くする俺の間抜けな顔を見て、サナは可笑しそうにくつくつと肩を揺らす。


「正直ね、私にその選択は思いつかなかったんだ。どうしても今までの経験から、最善手やお利口な立ち回りに落ち着いちゃって。あーあ、年は取りたくないなぁ」


 笑みを寂し気な自嘲的なものに変え、サナは指を組んだまま腕を上げて、体を伸ばす。


「何言ってんの。色々経験してるサナだから、俺もこんな無茶な提案ができるんだ。年の功バンザイ」

「うーん、嬉しいようなそうでもないような」


 サナが複雑な表情で頬を掻く。けど、本当に、こんな無茶苦茶な行動を俺が選べるのは、隣にいる相手がサナだからだ。

 サナなら、俺が突っ走っても負けずに追ってきて、俺が間違ったり何かを見落としていたら、止めてくれる。そう甘えられるから、俺も自分が正しいと思える道を選んでいけるんだ。


「うしっ。じゃあ、行くか!」

「うん。二人で道化になろうか」


 お互いに頷き、俺は“力”の抑えを緩めた。欄干の上に飛び乗り、眼下に広がる光景に目を走らせる。そのまま、屋上から飛び降りる。


「俺は先に行く! サナは」

「私は街全体の様子を確認しながら追いかける。ティグル君は最前線に突っ走って」

「了っ解!」


 落下しながら屋上に残るサナと声を投げ合い、空中で身を捻る。議事堂の壁を中程過ぎた所で、差し掛かった窓枠に指を掛ける。体を反転させながら、足を振り抜く。

 窓を蹴り破り、その勢いのままに、議事堂の内部へ体を滑り込ませる。

 砕けた窓の破片と共に宙に体を投げ出しつつ、議事堂内に目を走らせる。その中に目的の人物を見つけ、そいつ目がけて落下していく。


「どぅわ!?」


 突然目の前に降り立った俺、というより、一緒に降りかかってきた窓のガラス片に驚き、その相手――ライルは慌てて座っていた椅子から飛び退いた。


「お、お前、あっぶねぇだろ!? てか、一体どっから」

「一緒に来い!」

「は? いや、ちょぐぇ!?」


 ライルの抗議を聞かず、襟を無理矢理掴む。そのまま引き摺って外へ飛び出していく。


「て、てめぇ、一体何のつもりだ!? 苦しい、放せこの!?」

「俺は腹を決めた! お前も手伝え!」

「は、はぁ? 決めたって……これからどうするかって奴か? 何でそれに俺が」

「どうせまだ、うだうだと膝を抱えてるだけだったんだろう? お前の答えが見つかるまででいいから、手を貸せ!」

「わ、わかった! よくわからんが、とにかくわかった! わかったら、とりあえず手を放ぐえぇ!?」


 外に出た俺は、大通りを進む革命軍を視界に捉えると、“力”を足に込め、跳躍。手近な建物の屋根まで飛び上がった。

 ライルを右手に掴んだまま屋根に着地。進軍する革命軍を下に見ながら、家の屋根から屋根へと飛び移って、最前線へと走る。


 やがて、行進の先頭が見えた。

 もう外壁は目と鼻の先、幾許の猶予もなく両軍が激突しようとしている。


「止まれー! 今すぐ解散せねば、武力行使も辞さないぞ!」


 帝国軍の指揮官と思わしき男が叫ぶ。壁の外へ通じる大きな鉄の門の前に布陣した帝国軍が、迫る革命軍に魔法の杖と大砲の照準を向ける。


「恐れるなー! 正義はこちらにある!」

「そうだ! 我々は暴力には屈しない!」

「俺たちの怒りを思い知らせてやれー!」


 けれど、革命軍は止まらない。威嚇に怯むどころか一層勢いを膨れ上がらせ、数百の錆びた鍬が松明の灯を映しながら、怒涛のように押し寄せる。

 帝国軍の指揮官は顔に脂汗を漲らせ、腕を振り上げた。握り締めていた拳を、震わせながら開く。


「構わん! 撃「やらせるかァアアアァアア!」


 その腕が振り下ろされると同時、俺は跳んだ。

 ぎりぎりで革命軍の先頭に追い付き、屋根から飛び降りた。突撃する革命軍と放たれた砲弾との射線に割り込み、交差した瞬間、“力”の爪を振り抜く。

 迫る鉄の砲弾に爪を食い込ませ、しかし両断はせずに弾く。避難したのかこの革命に参加しているのか、人の気配の消え失せた建物へ砲撃を逸らす。


「フッ!」


 掴んでいたライルを離して、空中のままにもう一方の手を横一閃。より長く伸ばした爪は、帝国軍の頭上を通り、背後の壁門を切り裂いた。

 五つの刃で分かたれた鉄の扉と外壁の一部が崩れる。降りかかってくる影に、事態に気づいた帝国軍の兵士達は、慌てて退避する。しかし、逃げられたのは人と馬だけ。大砲は落下する鉄と石の塊に下敷きにされ、残らず押し潰された。

 粉塵が舞い上がる中、俺は地面に着地する。一拍遅れて、「ふぎゃっ!」とライルも地面に投げ出されていた。


 一瞬、周囲が静まり返った。何が起こったのかと唖然としている人々の視線が、俺に突き刺さる。

 けれど、それもそう長くなかった。


「い、今だ! 今の内に進むぞ!」


 革命軍の誰かがそう叫んだ。それで我に返った人々が動き出す。


「そ、そうだ。門が壊れたんだ、バスダット監獄に向かうぞ!」

「あんた、確かエガリテからの援軍と一緒に来た人だろ? す、すげぇや。あんたがいれば百人力だ!」

「よーし、このまま一気に進むぞ!」


 元の勢いを取り戻した革命軍が進攻を再開する。ジャネットさんの酒場で見た顔が俺に声を掛け、安堵が広がり、幾人かが俺の横を通り過ぎていく。


「ま、待て!」


 その様子に、帝国軍の一人が慌てて飛び出る。未だ平静を取り戻せていない浮ついた足取りで、ただ任務への使命感だけで、無防備に革命軍の前へと躍り出る。


「どけ、この帝国の犬め!」


 我先にと走り出していた革命軍の男が、持った剣で立ちはだかった兵士に斬りかかる。

 兵士も剣を構えるが、動揺の抜けない有様のために、力の限り振り下ろされた男の剣に負けて、あっさりと弾かれる。尻餅を搗く兵士に、男は握り直した剣を大きく振り被り、


「革命だ……革命万歳!」


 剣が振り下ろされる、その寸前


 俺は爪を振り上げた。

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