第104話 唐突な予定された決起(1)

「すっかり遅くなっちまったなぁ」


 パン屋を離れ国民議会場へ戻ってきた俺は、陽が既に傾き始めていることにため息を吐いた。ちょっと外の空気を吸ってくるだけのつもりが、随分と長い時間が経ってしまった。サナたちはまだあの場所にいるだろうか?


 少し駆け足で建物の中に入る。廊下を歩きながら、先程の出来事を頭の中で反芻していた。


 パンを盗んだ少年の言葉。盗みをしなければ飢えて死ぬ、と怒りと憎しみを込めて睨み上げる瞳。

 警官の男は、少しでもまともな食事にありつくために、生活のためにと、帽子を目深に被って、職務に忠実であろうとしていた。感情に蓋をしたような暗い瞳で。


 考えながら、俺はガシガシと乱暴に頭を掻き毟った。どうにもやりきれない。


 けれども、一方で、わかったこともあった。

 どうして俺が、ここで目の当たりにした革命の熱に、嫌な印象を持ったのか。なぜ危ういと思ったのか。その答えが、ようやく見えた。

 やりきれなさと、疑問が解消されてきたすっきりした気持ちの両方を抱えて、俺は廊下の突き当り、議事堂出入口の扉を開けた。


 そのまま急ぎ元いた席へ戻ろうとして、ふと足が止まる。


 議事堂内の雰囲気が、先刻と異なっていた。

 席を外す前までは声を張り上げて侃々諤々と議論が飛び交っていたのに、今は誰もが声を潜めて、しかし絶えず何事かを隣の者と話し合っており、ざわざわとした喧騒が場内全体で揺れていた。


「あ、お帰りティグル君。遅かったね」


 大きく変わった様相を不思議に見ながら場内を巡っていると、元いた席に未だサナたちが座っていた。


「ただいま。そっちこそ、まだここにいたんだな。てか、どしたのこれ? なんか妙な雰囲気だけど」

「何でも、急に噂のロベスピエールさんがやってきたんだって」

「ロベスピエール? 革命軍のリーダーだっていう?」

「そう。最近はほとんど表に姿を見せていなかったのに、突然この革命軍本拠に現れたそうで。で、革命軍幹部を連れて緊急会議を始めちゃって、カミーユさんも私たちに構っている余裕がなくなったみたい。おまけにカッヘルさんも呼ばれちゃって、残された私たちはずっとここで待ち惚けってわけ」


 やれやれとでも言いたげに、サナが肩を竦ませる。なるほど、会場がざわついているのも、急な展開に、何が起きているのか噂し合っているわけか。

 事情を聞いて俺が腰を降ろそうとした時、議場の一画から一際大きなどよめきが起こった。

 見やると、俺が入ってきた入口とは別の、おそらく会議とやらをしていた部屋に通じるのだろう扉が開いていた。そこから数人の男が議場の中央に向かって歩いてきていた。後ろの方に、カッヘルのおっさんも混じっている。

 だが、会場内の人間の関心は、先頭を歩く男一人に集中していた。


「ロベスピエールだ」「来てるってのは本当だったんだな」「一体いつ以来だ、人前に姿を見せるの」「あの人が出てくるってことは……もしかして」「ああ、そうだよ。きっとそうだ!」


 会場のあちこちからそんな声が湧き上がる。俺も、先頭を行く注目の男を見つめていた。

 あれがロベスピエール? ……冗談だろ?


「どう見てもただの変質者じゃん」

「いや、その……うん。そんな言い方したらダメだよって言いたいけど、その気持ちは凄くわかる」


 初めてロベスピエールの姿を見た俺は、眉を思いっきり顰めて、サナもどう反応したものか困って、妙な愛想笑いを浮かべていた。


 革命軍の幹部と思われる数名の先頭を行くその男は、怪しさ満点の恰好だった。

 まず顔全面を仮面で隠している。頭の天辺から顎の先まですっぽりと覆う物で、細い二本の覗き穴がある以外には一切の装飾もない白いそれは、不気味な印象を与える。

 首から下も、黒に近い濃紺のマントで身を包んでいる。おかげで、背はかなりあるので男性だろうとは思うが、それ以外の情報がほとんど読み取れない。

 ゆったりとした大きな歩幅で議場の中央、一段せり上がった演壇に辿り着いた仮面の男は、一人、その上に登り、そしてこれまたゆっくり、ぐるりと議会場を見回した。


「諸君。全ての同志諸君よ」


 一周して、ぴたりと止まったロベスピエールが、のびやかな調子で声を発した。男なのか女なのか、若いのか年を重ねているのか、いずれとも取れるような声音だ。

 魔法でも使って加工しているのだろうか。ともすれば、仮面越しに発せられているのだから余計に聞き取りにくくなりそうなものだが、不思議と他の誰の声よりもはっきりと耳朶に届いた。


「まずは、これまで長い間、皆の前から姿を消していたことを謝ろう。私は、皆が私を指導者と仰いでくれているからこそ、帝国の追跡を躱すために身を隠さねばならなかった。この仮面も恰好も、そのためのものだ。だが、その間も同志諸君は、この国を変えるために、少しずつ、着実に革命の樹を育ててきてくれた。そのことにあえて礼は言うまい。諸君の行動は、諸君自身が決め、諸君自身のために行ってきたものと信じているからだ」


 静かな、ゆったりとした喋りだ。その調子に、会場の全ての人の意識が惹きつけられている。誰もがロベスピエールの言葉を一言たりとて聞き逃さないよう耳を欹てて、彼の一挙手一投足を目で追っていく。


「そして、ついに機は熟した」


 ロベスピエールの声が膨らむ。声の芯が太くなり、欹てていた耳に予感と期待と共に強く入り込んでくる。


「我らの最も古い同志、エガリテ公のおかげで、帝国の軍はその多くがエガリテとの国境に釘付けとなっている。皇帝を守るのは、今やこの帝都に常駐しているわずかな兵力のみ。対し、伏して時を待っている同志はその数倍に上ろうとしている。もはや我々の前に立ち塞がっているのは、薄く脆い壁でしかない!

 ならば、あえて私は諸君に問おう。私たちが今すべきことは何だ? 飢える子たちのために、この国の明日のために、成すべきことは何だ!?」


「……革命だ」


 どこかで、誰かが呟いた。徐々に大きくなっていくロベスピエールの声に応え呟かれた言葉は、一瞬の静寂を齎し、議会場の全体へ響いていった。


「今こそ、革命を起こす時だ。今しかない」


 また誰かが呟く。


「俺たちの手で、皇帝を倒すんだ。機会は今しかない!」

「そうだ。今こそ立ち上がるんだ。革命の時だ!」

「機は熟した! 立ち上がるんだ!」「そうだ! 革命だ!」

「この国を変えるんだ! みんな、立ち上がろう!」「革命だ!」「革命だ!」「立ち上がれ!」「革命だ!」「革命だ!」「革命だ!」「革命だ!」


 一人の声が二人、五人、数え切れない怒号となって、議事堂を揺らす。裂けんばかりに叫び、腕を突き上げ、足を踏み鳴らす。

 興奮が最高潮に達して堂内の声の全てが一つとなり、答えに満足したかのようにロベスピエールの右手が掲げられる。


「では行こう! 目指すはバスダット監獄! 我らを睥睨せし古き象徴たる塔を砕き、囚われた友を救い出そう! それを以て、革命の狼煙とする!」


 それが合図だった。

 人々は駆け出した。重たい扉を蹴り開け、塊となって街へ向かう。一部の者が、別室に蓄えられていた剣や槍を引っ張り出してきて、他の者にも配って回り、武装した人々は地面を揺らしながら雪崩出て行く。

 あまりにも唐突に、革命の火蓋は切って落とされた。

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