第70.5話 今は傍観する者たち
時間は少し遡る。
ティグルが魔人と戦っている時、その様子を観察している者たちがいた。
仄暗い室内で、至る所に大小の水晶が配されている。それぞれの水晶には数字や波形、そして暴れ回る魔人の姿が映し出されている。
「いやー本当に出ましたね、魔人。けど、エンデュアル製だった奴より小さいような?」
並ぶ中で一番大きい水晶の前に座している青年が小首を傾げる。
「エンデュアルの魔人は、魔導戦争三十五年の間に死んだ者の魂を各地から集めて構成されていたからな。規模は比べるべくもないさ」
青年の後ろに、もう一人の影。声は少し掠れ、肌には皺が刻まれている。
「それよりデータはしっかりと取れているか?」
「そっちは抜かりなく。魔力波長から脈拍・呼吸数まで、サナちゃんのあらゆるデータをリアルタイムで記録中です。……しっかし、精霊兵にも魔人の核にもなれたりと。本当に、あの子は何者なんですかね?」
無数の水晶に偏りなく視線を移しながら青年が呟く。
「精霊と魂は性質が似ているから、精霊を宿すことができたサナちゃんは魔人の核にもなり得る。その理屈はわかるとして……そもそも、なぜ彼女は精霊を身に宿すことができたのか。なぜ彼女だけが精霊兵になれたのか。あの実験中じゃあ、結局わかりませんでしたもんね」
「だからこうして、魔人の核となった際のデータを採取しているのだ。何かこれまでと違ったデータが得られればいいのだが」
「先生もやはり、あの子の先天的な特異体質によるものだと思いますか? 霊的存在との親和性が高い、いわゆる聖女とか巫女みたいな」
「……現段階では何とも言えんが。私は、彼女と融合した精霊の方が特殊な存在だった可能性も考えている」
「どういうことですか?」
「本来あの子と融合させるのは、風を司る精霊のはずだった。が、あの時召喚陣から現れたのは、風の精霊などではない、私も見たことがない精霊だった。そして、まるで精霊自身が望んでいたかのように、そのままあの子と融合を果たした」
「つまり、受け手側ではなく、入る側が特殊だったから融合が成功したと? 今魔人の核となれているのも、その正体不明の精霊と融合したことで存在が変質したから?」
「あくまで可能性の一つだ」
「でも、あらゆる可能性を検討するのが僕ら研究者ですものね。ま、何にせよ今はデータの採取を済ませますか。せっかくエルンストが絶好の機会を作ってくれたんですから」
青年は魔人が映し出されている水晶を見つめる。そこでは、魔人がエルンストを飲み込んだ所だった。男は「あーあ」と憐れみを込めて呟く。
「あいつもバカだなぁ。せっかく人並みの暮らしができていたのに、こんな何にもならない研究で人生を棒に振って。勝手にそれを利用させてもらっている僕らが言うことじゃあないですけど」
「……そうだな。道を誤らなければ、彼ならいい研究者になれただろうに」
「お、意外。先生ってば、実はエルンストを認めていたんですか。だったらあいつも連れてきてやればよかったのに。あいつ、ずっとそれを望んでいたんですよ」
「道を誤らなければ、と言っただろう。私と彼とでは、研究でも適しているものが違う。彼には、先達が残した功績をなぞり、それを少し広げるような、そんな堅実なやり方が合っていた。私とは方向が違うが、それも立派な研究だ」
「それ、本人に伝えてやればよかったのに」
「私から言っても彼は受け入れられなかっただろう。何より自分で気づけないようでは、結局大成はできなかったさ」
初老の男の言葉に、青年は頬杖をついて「あーあ。やっぱりバカだな、あいつ」とため息を吐いた。
そのまま暫し映像とデータを眺めていると、やがてティグルが魔人を圧倒し始めた。
「お、おお? 凄い! 曲がりなりにも魔人相手に勝ちそうですよ! 一体何者なんですかね、あの少年!?」
予想だにしていなかったのだろう展開に、青年が息を荒くする。その声には、予定通りに事が進まなかったことへの苛立ちや怒りは一切なく、まるで意外な展開を見せた劇を鑑賞しているような興奮があった。
その一歩後ろで、初老の男は水晶の映像を見ながら、額の皺を深くさせていた。
「この力……もしや奴が言っていた………いや、まさか」
「へ? 何ですか、先生?」
「……いや、何でもない。君はそのまま観測を続けてくれ。私は少し休む」
「え、ちょっ、ちょっと!? 押しつけるなんてひどいですよ、先生!?」
踵を返す男性に、青年が引き留めるように手を伸ばすが、一瞬遅く、その指が男性の服を掴むことはできなかった。
「そんなー!? 自分だけズルいですよー! 先生――ヴィクトル先生ってばー!」
青年の懇願も空しく、生きているはずのない初老の男性は部屋を出ていった。
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