第69話 寝ている間に交わされた思い(2)

 シャクールの静かな呼びかけに、一体何かと顔をシャクールの方へ戻すと、彼は微笑んで口を開いた。


「実は、自分には妻と3人の子がおりまして。一番下の息子はこの間10歳になったばかりなんですよ」

「……えっと、そうなんだ。おめで、とう?」


 思わずお祝いをしつつ一体何の話だ、と怪訝を表情に出してしまうが、シャクールは構わず話し続けた。


「上の子2人は娘なんですが。仕事の都合上、私がなかなか家に戻れないものですから、帰る度にそのことを詰られて。まあ心配してくれている裏返しだと思うので、嬉しくもあるのですが」


 なんで娘の惚気話を聞かされてるの? といよいよ疑問を口に出そうとした矢先、シャクールは一旦言葉を切って、


「そんな娘の顔を見ていると、時々考えてしまうのです。もし、精霊兵にされたのがこの子たちだったら、と。きっと、あなたと同じくらいに見える年の頃になったからでしょうね」


 サナは言葉を失い、シャクールを見つめることしかできなくなった。シャクールはと言えば、サナの視線から逃げるように顔を伏せて、話し続ける。


「あなたと初めて会った時、私はまだ子どもで、ただ英雄であるあなたを尊敬し、憧れるばかりで。けど、精霊兵がどういう存在なのかを知り、自身が人の親となった今では……お恥ずかしい限りです」

「そ、そんなこと」

「いいえ。自分の娘たちが笑い、幸せそうにしている姿を見る度に思うのです。サルーシアが、我々があなたからこの幸せを奪ったのだと。そして、あなたが戦争で戦ってくれたから、今の我が国の平和がある。あなたのあったかもしれない幸せの上に、私たちの平穏は築かれているのです」


 シャクールの懺悔を、サナは黙って聞いていた。あなたのせいじゃないとか、あれは戦争だったのだから仕方ないとか、否定してあげたかった。

 けれど、ついに口にはできなかった。だって、なんで自分ばかり、と思った覚えがないわけではないのだ。心の奥底で燻っていた醜さが、サナの口を噤ませた。


「だからサナ様、そろそろあなた自身が幸せになってもいいんじゃないでしょうか?」


 顔を俯かせかけ、しかし思ってもみなかった言葉を投げかけられ、サナは顔を上げた。

 目を丸くするサナに、シャクールが声を和らげる。


「戦争はとっくに終わったんです。サナ様自身が言ったように、あなたはもう軍人ではない。だから、もう精霊兵だなんて事情に縛られる必要もない。あなたは、自分自身の幸せのために生きていいはずです。それこそ、これまでに奪われてきた分だけ幸せになる権利があるんじゃないでしょうか?」


 きっとシャクールは、自分がティグルの手を取り続けることに躊躇していると気づいたのだろう。だから、こちらの背を押そうとしている。


「……け、けど。縛られるなって言っても、私が精霊兵であることに変わりはないんだよ」

「確かに、精霊兵であることは変えられない。そのしがらみはきっとこの先もついてくるのでしょう。今回も、我々が不甲斐ないばかりに、あなたに危険を及ぼしてしまった。……だから、ここで誓わせて下さい」


 シャクールの声が変わる。優し気だった中に揺るがない芯が通る。


「精霊兵であることで、我が国の犯した罪で、二度とあなたの進む道が妨げられることのないよう。我らが、あなたに纏わりつこうとするしがらみを断ち切ると。英雄であるあなたを、過去の英雄にすると。あなたが私たちを戦火から守り、平和を築いてくれたように、今度は我々が平和を、国と民を守る。それがあなた方英雄に続く、平和な時代に生きる我らの責務だと思っています」


 サナは一時息を忘れた。過去の記憶が蘇る。

 かつて、一度だけ剣の指導をした子どもたち。これからはこの子たちがこの国を守っていくのだろう。そう感じさせた少年が、今まさに目の前にいて、自分が感じた思いの本当の意味を教えてくれた。

 ああ。本当に大きく、強くなったんだな。


「だからサナ様も、面倒事が起きたら後進に丸投げして、気の向くままに生きて下さい」

「そ、それは流石に無責任すぎない?」

「これまで散々国や世界のために貢献してきたんですから、それくらいのワガママは許されますよ」


 急に口調を砕けさせ、シャクールが肩を窄めた。余りの雰囲気の落差に、サナも何だか力が抜け、苦笑を浮かべた。


「それに、サナ様は迷惑をかけるかもと心配されているのでしょうが、彼はそんなこと微塵も気にしないと思いますよ」


 軽い口調のまま、シャクールがサナの膝の上へと視点を移した。そこでは相変わらずティグルがゆっくりとした寝息を立てている。


「彼はあなたと友達になりたいと言っていた。ただ共にいたいと、そのためだけに、魔人と戦ったんです。そんな彼が、危険に巻き込まれるからとあなたと別れることを良しとすると思いますか? むしろ、離れようとするあなたを怒って追いかけてきそうじゃないですか?」


 シャクールに指摘され、じんわりとした納得が広がってゆく。だって、その光景が容易に想像できたから。


「私は彼のその言葉を聞いた時、羨ましいと思った。真っ直ぐに望み、望みのために素直に行動できる彼を。同時に、それでよいのだとも思いました。結局人は、己の心と望みに従うことでしか、幸福にはなれないのでしょうから。だからサナ様も、己の望むように生きて下さい。望まぬ結果を遠ざけるのではなく、望む幸せを掴むために」


 望む幸せ。そんなこと、考えたこともなかった。物心ついた時から実験体や兵器として生きてきた自分には、人並みの幸せなんてものは、他人事でしかなかったから。

 けど。

 右手を見つめる。そこには、まだ温もりが残っている。


「…………本当に、いいのかな? 私が、何かを望んだりして」

「当然です。……あと、まぁ」


 シャクールが笑みを深くしながら、背を伸ばす。なんだろう、と見上げると


「サナ様みたいに考え過ぎてしまう人には、彼のような人間がついていてくれた方が、私としても何かと安心できます」

「……言うようになったね」

「これでも三児の父ですから」


 苦笑いを浮かべながら軽く睨んでやると、シャクールは涼しい顔で微笑んだ。無言のまま少し見つめ合い、そして、どちらともなくぷっ、と噴き出して声を出して笑った。

 二人の間に、雲の間から覗いた陽が差し込む。

 気づけば太陽はすっかり昇り切り、一日の始まりを明るく照らしていた。

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