第68話 寝ている間に交わされた思い(1)
「……ん」
瞼の向こうから伝わる光の眩しさに、サナは目を開いた。
映ったのは、見知らぬ天井だった。漆喰の白い天井に、早朝の青みがかった薄明りが色を映している。
私、どうしたんだっけ? 魔人の核にされたのをティグル君が助けてくれて、その後葬霊術を使って……と、眠る前の記憶を探りながら頭を起こそうとして、
自分の胸の上、息がかかりそうな距離にティグルの顔があるのに気がついた。
「~~~っ!?!」
驚きの余り、声にならない悲鳴が漏れる。反射的にタオルケットを引き寄せながら飛び退きそうになり、あっ! とティグルが転げ落ちるのでは慌てて動きを止める。
思わず起こした胸からはずり落ちてしまったが、幸いそのまま転がっていくことはなく、ティグルは少し身を捻っただけでむにゃむにゃとか言っている。どうやら寝ているらしい。
改めて部屋の中を見回してみる。白を基調とした小さな部屋に、自分の寝ているベッドが一つ。あとはベッドの両脇に椅子が一つずつあるだけで、その一方にティグルが座り、自分の腕を枕に上半身をサナの上に凭れさせて眠っている。
えっと、これどうしたら……!? と、今は己の太ももの上で寝息を立てているティグルにまごまごとしていると、戸の開く音がした。
「起きられましたか」
「シャ、シャクール君?」
入ってきたのはシャクールだった。
彼は「座っても?」と断ってから、ティグルとは反対側に置かれている椅子へ腰かけた。
「体の調子はいかがですか? ……少し、お顔が赤いようですが」
「だ、大丈夫! これはその、気にしなくていいやつだから!」
「……そうですか、なら良かったです。ここの医師も特別異常は認められないとは言っていたのですが、何分前例のない状況でしたから」
安堵した表情でシャクールが息を吐く。
その後、シャクールはこれまでの経緯を説明してくれた。
シャクールたちが実はサルーシア国王の命令で動いており、ティグルと協力してサナを救出したこと、葬霊術を使って力尽きたサナをカルムにあるこの病院に連れてきたこと。サナが寝ている間、ずっとティグルが付き添っていたこと。
「とは言え、彼も疲れていたのでしょう。夜が明ける前に眠ってしまいましたが」
シャクールの視線に釣られ、膝の上で眠るティグルに目を落とす。
そっか、ずいぶん心配かけちゃったんだ。
申し訳ないと感じると同時に、そこまで自分を心配してくれたことに、少し嬉しいと思ってしまう。
「……ところで、エルンストさんは?」
「加担していた他の者と合わせて拘束しています。彼だけはサルーシアの国民ではないので、最終的にはこの国の司法へ引き渡して、そこでの処罰を待つことになるかと思われますが。いずれにしろ重い罰が下ることになるでしょう」
「……そう、だよね」
サナが顔を俯かせ、組んだ己の指を見つめる。
昨夜聞いたエルンストの言葉が思い出させる。彼が胸に抱き続けていた、狂気へと変わっていった感情を。
サナはエルンストのことを友人だと思っていた。終戦してサルーシアを出てからは、顔を合わせるのは数年に一度程度ではあったけど。それでも、どうして気づけなかったのかと後悔してしまう。もし自分が彼の抱える重みに気づけていたら、こんなことになる前に、止められたのではないかと考えてしまう。
「ですが、ティグル君のおかげで人死にも出ることなく事態を終息できましたから。極刑だけは免れると思いますよ」
悔恨の念に沈むサナの気持ちを察したのか、シャクールが少し明るめの口調で告げる。その気遣いに、サナも努めて表情を和らげ「そうだね」と返した。
本当に、そうであってほしい。そして、できればもう一度彼と会いたい。会って、話しをしたい。
彼を友人だと思った、あの日々の記憶は、嘘ではないのだから。
「しかし、ティグル君には助けられました。彼がいなかったら、どうなっていたことか」
シャクールが肩の力を抜くように呟き、サナも再び膝の上へ視線を向ける。
ティグルの顔からは力が抜け切り、全然締まりがない。まるで子どもの寝顔だなと思って、サナはつい笑ってしまった。
ティグルには、本当に助けられた。魔人を倒した、その力にもそうだけど……。
サナは己の右手を見た。
魔人に飲み込まれかけていた自分を引っ張り上げてくれた手。あの時に握った手の温もりが、未だに手の内に残っているような気がする。力強く、自分を繋ぎ止めてくれた手の温もりが。
そのことに妙に胸がざわついて、けれど落ち着かないということはなく、むしろ安らいだ気持ちで、この温もりがずっと消えずに残っていてほしいとさえ思ってしまう。
けれど、一方で考えてもしまう。
此度の事件は、完全に、自分へ降りかかってきた火の粉にティグルを巻き込んだ格好だ。自分と一緒にいたら、また同じようなことだって起こりかねない。今回が無事に切り抜けられたからといっても、今度もそうできる保証はないのだ。
一緒に旅をすると、ティグルの前世探しを手伝うと約束はしたけれど。そう考えると、どうしても怖くなってしまう。
だから、これまでもずっと独りでやってきたのだ。友人ができても、長くは共にいないように。相手が傷つかないように、それで自分が傷つかないように。
この温もりを離したくない気持ちと、一緒にいてはいけないという理性の警告がせめぎ合う。
「サナ様」
己の手とティグルの間で視線を彷徨わせるサナに、シャクールが声をかけた。その声は湖面を打つ一石のように、静かで、胸の奥まで届く響きを持っていた。
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