第38話 カルムへ行く、その前に

「ん~~! やっと着いたぁ!」


 停まった船から桟橋へ降り、大きく背伸びをする。船に乗った時は絶えず揺れる足元に戸惑ったものだが、今度は踏み締める地面が動かないことに違和感を覚えているのだから、奇妙なものだ。


 サーペントの襲撃から一日かけ、船は無事港に到着した。船はこの後、次の港へ向かうそうだが、俺はここで下船し、再び陸路だ。


「サナも目的地はカルムなんだよな? だったら一緒に行こうぜ。今からなら、まだ最後の馬車に間に合うってさ」


 乗客が続々と桟橋を渡っていく中、俺は背後のサナへ呼びかけた。サーペントを追い払った昨日の一件の後も、俺は船での時間をサナと過ごしていた。

 あの事件は船の多くの人間が見ていたせいで、俺とサナは連れだと周りに思われたようで、しかも頻りに感謝の声などかけられるものだから、なんとなく別々に過ごしているのが座りの悪い雰囲気になってしまったのだ。

 もっとも俺としては、延々と海を眺めていても流石に飽きただろうから、話し相手がいるのはありがたかった。サナが聞かせてくれる、これまでの旅の話なんかはとてもおもしろかったし。

 だから残りの道中も、一緒に行けたら楽しいだろうなと思ったのだ。

 俺たちが目指しているカルムは、この港町から馬車で半日ほど行った都市だ。乗り合いの馬車が日に何便か往復しているそうなので、それに一緒に乗ろうと誘った訳なのだが、


「えっと、ごめんなさい。私、カルムへ行く前に、この町で済ませないといけない用事があって」


 あえなく断られてしまった。

 あ~……やっぱり、ちょっと話したぐらいで、図々しかっただろうか? そもそもが成り行きで一緒に過ごしていただけだし……。いや、それとも言葉の通り、単純に用事があってのことだろうか。

 どちらにしても……なぜだろう、妙にショックだ。

 胸の真ん中をすっぽ抜かれてしまったような、言いようのない寂しさが滲んでくる。村を出てまだ数日だと言うのに、それほど人恋しくなっていたのだろうか、俺は。


 落ち込み項垂れかけ、しかし、気づく。俺と目線が外れた瞬間、サナの瞳が素早く左右へ走ったことに。

 加えて、肌に感じるこの感覚は……。


「それじゃあ、私はここで。もしカルムで会えたら、また一緒にご飯でも食べに行こうね」


 朗らかな笑顔で別れを告げ、サナは歩き出す。最後に軽くだけ手を振って、俺の背を追い越していく。


「ちょい待ち」


 その彼女の手を、俺はすれ違い様に掴んだ。痛くない程度に、だけど振り解かれないように、強く。


「? どうしたの?」

「間違ってたらごめん。先に謝っとく。……サナさ、やっぱり何か隠してないか?」

「……なんで?」

「さっきから、辺りを妙に警戒してるだろ。何気なくしてるけど、神経張り巡らせてさ。まるで木の影に隠れて様子を窺っている狼みたいだぞ」


 サナからちりちりと伝わってくる気配。こいつには覚えがある。周囲に天敵が潜んでいないか探っている動物たちが放つ独特の気配が、ちょうどこんな感じなのだ。

 テッドたちは「そんなのわかんねぇよ」と言っていたから、こいつも前世譲りの感覚なのだろう。狩りの時は、この気配を逆に辿って獲物の居所を見つけたりしていたものだ。

 俺の指摘に、サナが軽く息を詰まらせた。どうやら当たりだったようだ。かすかに感じられる程度の気配だったので、ちょっと自信なかったのだが、まぁ結果オーライというやつだ。

 数瞬、肩を強張らせていたサナだが、やがて長く息を吐いた。眉尻を垂らし、力なく笑う。


「そっか、バレちゃったか。本当にすごいね、ティグル君は。上手く隠せているつもりだったんだけど。……けど、狼はひどくない? 私、そんなに怖い顔してた?」


 いや、だって羊や鹿って言うには、気配に殺気が混じってたし。「姿を見せたら返り討ちにしてやる」みたいな。


「と、とにかくさ。何かあるなら言ってくれよ。俺にも力になれることがあるかもしれないし。どうせ、昨日のサーペント絡みだろう?」

「……ありがとう。でも、大丈夫。今回のことは、多分私の問題なの。船はそれに巻き込まれただけ。だから気にしないで。それに私、こういうトラブルは慣れっこだから。ティグル君は心配しないで、先にカルムへ――」


 サナが気を取り直して、再びはぐらかそうとし始めた所で、


「サナ様」


 その男はやってきた。

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