第36話 海上の戦い

 サナがサーペントへ向かって歩いていく。

 頭上の護衛団もサナに気づいたのか、攻撃が止む。もっとも、成り行きを見守るとか彼女を攻撃に巻き込まないように、というより、予期せぬ闖入者に戸惑い、咄嗟に手を止めたといった感じだ。

 そして、サーペント。奴もまた、サナを見つめていた。もはや船は眼中にないとばかりに、彼女に視線を移して見据えている。


 あいつ、やっぱり……。


「グゥウウ……キシャア、シャヤアアアアァアァアアアアア!」


 サーペントが吼える。先程の雄叫びとは違う、明確な敵に対する咆哮。

 同時に、感じる。サーペントが魔力を漲らせていくのを。


 魔物はその名の通り、魔力を持った生物のことだ。そして、その扱い方を、奴らは本能的に理解している。


 サーペントの魔力が放たれ、それに呼応して、奴の周囲の海水が宙へと吸い上げられていく。まるで、海に存在するものは全て己の支配下にあるのだと言わんばかりに。

 舞い上がった水は集まり、二つの球体となる。サーペントの頭部と同程度の大きさで、人間ならば十人は優に呑み込んでしまうほどだ。先程護衛団が放った火球など児戯に思えてくる。


 魔物は、己が住む環境に合わせ、肉体のみでなく魔力も進化させているのだという。鳥の魔物なら風を、水生のものなら水を操ることに特化している、という風に。

 そして、サーペントは海生最強とされる魔物。その力は人間のそれを軽く凌駕している。……まあ、これも『子どもに読ませたい! 魔物の恐ろしさ』という本の受け売りなんだが。

 でも、確かに、サーペントから感じる魔力は、甲板にいる魔法使いたちのものとは比べ物にならない。普通の人間が太刀打ちできる相手ではなさそうだ。これは、まずいかも……。


 相対しているサナの身を案じた、まさにその時、サーペントが「キシャアアア!」と哮り、水の砲弾が放たれた。

 サナの何倍もある塊が、斜め上方から押し迫る。しかも、一発目を撃った後、二発目がわずかに角度を変えて放たれる。あれでは逃げ道は限定される。おそらくサーペントは、残された逃げ道へさらなる追撃を仕掛ける気なのだろう。


 普通の人間なら一撃でも受ければただでは済まない攻めの、三段構え。


「くそ、こうなったら!」


 もう見ていられず、飛び出そうと欄干に足をかけた所で――ぞくり、とする魔力がサナから立ち昇った。


 サナが手を掲げる。

 途端、水球が弾けた。シャボン玉が割れるかのように、あっけなく。


 彼女の手は水球に触れてはいなかった。けれど、サナの魔力が水球へ注がれるのを感じた。おそらくサナの魔力が、サーペントの魔力を打ち消したのだ。


 サナが掲げた腕を軽く振る。彼女とサーペントの間で揺れていた海が、膨れ上がった。海水が柱となって、サナはおろかサーペントの頭を超えて伸びていく。

 作られたのは水の蛇。サーペントに倍する長大な水蛇が、空中で蜷局を巻き、海の魔物の前に立ち塞がった。


「ごめんね」


 サナは短く呟くと、サーペントへ指先を向けた。


 蜷局を巻いて縮こまっていた水の大蛇が、身を走らせる。サーペントを上から覆い潰さんと顎が開く。一瞬だけ「キッ――」と短い叫びを残し、海の支配者だったはずの魔物は、大蛇に呑み込まれる。

 水蛇が海面に衝突して、大波が立つ。揺さぶられた船が軋みを上げる。甲板や船内からいくつかの悲鳴が聞こえ、俺も慌てて手すりにしがみつく。


 ほどなくして揺れは収まり、改めて眼下を覗く。すると、そこにあったのは巨大な水の塊。先程まで蛇の姿をしていた水の魔法が、球体に変じて空中に浮遊している。その中にはサーペントが収められている。内側から水の壁に何度も頭をぶつけているが、水の檻はびくともしていない。さながら水槽で飼い殺しにされている金魚のようだ。


「しばらくそこにいて。船が見えなくなった頃合いに解除するから」


 サナが申し訳なさそうに眉を下げる。彼女の言葉を理解したわけもなかろうが、やがてサーペントは諦めたのか、水の檻の中でぐったりと頭を垂らした。


 少しの間、辺りがしんと静まり返った。が、


「う……うおぉぉぉ! すっげーーーーー!」

「やったーーーー! 助かった、助かったぞーーー!」


 と、歓声が沸き上がった。甲板にいる護衛団の面々からのみならず、俺と同じように窓やテラスから成り行きを見守っていた乗客がいたのだろう、船内の至る所から喜びと安堵の声が叫ばれている。

 俺も胸を撫で下ろし、深く息を吐き出す。


「……てか、腕に覚えがあるとか言っておいて、剣は使わねぇのかよ」


 あんな言い方されたら剣の腕が立つのかと思うだろうに、魔法が得意とか……。なんだか騙された心地だ。

 安堵と苦々しさが混じった俺の顔を見て、サナがまたくすっと笑った、その時。


 船尾の近くで、水飛沫が飛び上がった。


 海面を割って現れたのは、瑠璃と翡翠の鱗を持つ竜型の魔物、サーペントだ。


「ッ!? もう一体!?」


 サナが慌てて振り向く。水の檻に囚われている個体より一回り小さいそいつは、もう一体の方が俺たちの注意を惹きつけている間に潜行して近づいたのか、すでに首を伸ばすだけで船に触れられる距離にいた。

 サナが海面を蹴る。だが、彼女がいるのは船首近く。とてもではないが、間に合わない。


 サーペントの顎が開く。甲板にいる護衛団から悲鳴が上がる。鋭い牙が、逃げようとする一人の剣士へ向け走り



「――させっかよ!」



 同時に、俺が飛び出した。

 “力”を解放し、欄干の端を蹴って跳躍する。

 空中を一直線に跳び、その牙が剣士に届く直前のサーペントの首根っこを掴む。そのまま、背負い投げの要領で、大根を引っこ抜く気持ちで――!


「どっこい、しょぉおお!」


 ――サーペントを投げ飛ばした。

 海中に没していた部分を引きずり出し、彼方の水平線へ向けて放り投げる。


 甲高い悲鳴をサーペントが上げ、しかしそれが徐々に遠ざかっていく。尾から垂れた水滴が放物線を描き、空中に虹を架ける。

 やがて、見える姿が拳大くらいまで小さくなった頃に、白い水柱を上げて着水した。

 浮かび上がってこない所を見るに、海面に叩きつけられた衝撃で気を失うかしたようだ。


「よっしゃー! これに懲りたら、ってぐぼろお!?」


 が、宙でサーペントを投げた俺もそのまま落下し、海にドボンしていた。俺の“力”じゃあ、サナみたいに水面に立つなんて芸当は無理でした、はい。


「……すごい」


 飛んでいったサーペントの方角を見て、サナが呟いた。呆けるように漏らした後、我に返って駆け寄ってくる。


「ティグル君、すごい! すごいよ! おかげで、船のみんなも無事だよ! そんな力があるなんて、一体――」


 サナが興奮した様子で声をかけてくる、の、だが、


「ぷっはあ! うおぇえ、しょっぱああああ!? なんだこれ、しょっぱああああああ!? 海の水は塩の味がするとか聞いてたけど、いくらなんでもしょっぱ過ぎだろ!? おおお! 鼻にも入った! めっちゃツーンとするぅ!」


 俺はそれどころではなかった。初めて口にした海水の味に悶絶する。


 だって、しょうがないだろう!? しょっぱいとは聞いていたけど、ここまでとは思ってなかったんだし!


「……ぷっ。ぷぷぷ……くくく……っ!」


 俺がぺっ、ぺっ、と必死の口に入った海水を吐き出そうとしていると、なぜかサナが口と腹を押さえて体を震わせた。


「ぷぷっ、あはははははは!」


 そして、ついに堪え切れなくなったのか、声を上げて笑い出した。


「なっ、わ、笑うことねぇだろう!? これ、ホントにすげぇしょっぱいんだぜ!?」

「ご、ごめんなさい。で、でも、あんなすごいことをした後で、そんな……ぷっ、ぷはははは! ご、ごめん、お腹が……っ」


 終いには、腹を抱えて息を切らしている始末。

 俺にはサナの笑いのツボがよくわからん……。そこまで滑稽だったか?

 海面からマヌケに顔だけ浮かせたまま、俺は首を捻る。


 結局、俺が海から引き上げて貰えたのは、体が冷え切った後だった。

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