第35話 サーペント
船の先、海の直中にそいつはいた。
海面から伸びた体は長く、まるで天へ流れる滝だ。全身が鱗で覆われており、背は瑠璃色で、腹に行くほど緑がかっていく。体をくねらせる度に、水気を滴らせているそれらが太陽光を照り返し、一枚一枚異なる彩りを輝かせている。
蛇に似ているが、覗く口内にはびっしりと牙が並び、頭の付け根からはたてがみのようにも見える鰭が生えている。
きれいな見た目だが、それより問題なのが、でかい。尾の方は海中に隠れて見えないが、もしかしたらこの船の全長の半分ほどもあるではなかろうか。
「サーペントだね。海の生態系の頂点に位置する魔物」
「へー、あれが。見た目はほぼドラゴンなのな」
以前に読んだ『魔物図鑑』の内容を思い出す。学問上は亜竜種という、ドラゴンに似ているけど別種の魔物、という分類になるらしい。違いがよくわからん。
「ん? でもサーペントって、自分の縄張りからは滅多に出てこないんじゃあなかったっけ?」
「そう。それどころか、この近くの海域にはサーペントの生息域自体がないはずなの。だから、みんな慌てている」
なるほど。つまり、今この船は、想定外にかち合ったあいつから逃げるために急速回頭中ってわけね。あんな巨大な奴に襲われたら、無事じゃあ済まなさそうだもんな。
今の所は姿を見せただけでじっとしているサーペントを眺めて、このまま逃げ切れるかな、などと楽観した矢先だった。
それまでゆっくりと動いていたサーペントの首が、ぴたりと止まった。黄色い瞳に縦に走る黒い瞳孔が、一点を見つめて狭まる。俺たちが立つ、この一点を見つめて。
あいつ、俺を見ている? いや、俺というより――
「ギシャァアアアアアアアアアァァァ!」
突如、サーペントが雄叫びを上げた。耳を劈く金切り声に思考が散る。
これまで大人しかった様子から一転、雄叫びを合図に、サーペントがこちらへ迫ってきた。海面を割り波打たせる猛烈な勢いに、船が煽られ傾く。その速度は、この船よりずっと速い。
「き、来たぞ!? 全員、構えろぉ!」
と、頭上からそんな号令が響いた。手すりから身を乗り出して仰ぎ見ると、甲板の淵に男たちが並んでいた。最前列には剣や槍を持った大柄の連中が立ち、その後ろに杖や弓矢を構えた者が見える。
「あれは?」
「この船の護衛団だよ。こういう魔物や海賊に襲われた時に備えて、雇われている人たち」
サナが解説してくれているうちに、護衛団の持つ杖が輝き出した。光は杖の先端に収束していき、変化する。赤い火花が弾けたかと思うと、だんだんと膨らみ、拳大もある火の玉となった。あるいは、青白い枝をいくつも迸られる雷、または透かせば物が揺らいで見えるほどに圧縮された風の刃。それらが、一斉にサーペントへ向かって走る。
「おー、あれが魔法か」
思わず感嘆の声を漏らし、その光景に見入ってしまった。
大道芸人の魔法使いが披露するものや、グウェールの事件で騎士団の人が使ったような回復魔法は見たことがあったが、こういう如何にもな、本格的な魔法は初めて目にした。グウェールが撃ってきた炎なんかも魔法なのかもしれないが、あれはドラゴン姿の奴が吐いていたもんで、どうにも「魔法!」って感じがしなかったし。
護衛たちは絶え間なく魔法を放ち、さらに矢も次々と射かけていく。サーペントはその巨体故にか避けること敵わず、そのほとんどが命中している。が、
「……あんまり、効いてなさそうだな」
嫌がるように首を振って、多少は進攻を遅らせてはいるようだが、それだけ。魔法も矢も、奴の鱗に阻まれ、わずかな傷や焦げ跡をつけることしかできていない。このままでは、あいつがこの船まで辿り着くのも時間の問題だろう。
どうすっかなぁ~……。後々面倒なことになるかもだけど、やっぱりここは俺も手伝って
「やっぱり、私行ってくる。ティグル君は今度こそ待っていてね」
「へ?」
俺が意を決する、まさにその矢先。サナが軽く跳び上がって、手すりの上に足をかけた。その目は、迫りくるサーペントを見据えている。
「いやいやいや!? 行ってくるって……何する気だよ!?」
「大丈夫大丈夫。私、腕には覚えがあるって言ったでしょう? 少し加勢してくるだけだから」
「え、あれ冗談じゃなかったの? って、ちょっ!? 待て待て待て!?」
俺が状況を呑み込めない間に、なんとサナは、手すりから飛び降りてしまった。
ウソだろおい!? ここ、どれだけ高さがあると思ってんだ! しかも、下は海だぞ!?
慌てて体を乗り出し、サナの姿を目で追う。まっすぐに落下した彼女は、そのままの勢いで水面に叩きつけ――られなかった。
つま先が水面に触れると思った瞬間、彼女の体はふわりと持ち上がり、静かに降り立ったのだ。その足は海中に沈むことなく、水の上に立っている。まるで彼女の足元にだけ地面が出現したみたいに。
「え……あ。魔法、か?」
呆然としてしまったが、気づく。サナの体から溢れているもの。あれは魔力だ。グウェールと対峙した時に感じたように、かすかにだが、彼女の体から魔力が放出されているのがわかった。
「び……びっくりさせるなよ、もう」
一気に脱力してしまい、欄干にもたれかかる。
そんな俺の姿を見て、サナはくすっと笑った。
そして、すぐに向き直り、サーペントの方へ歩き出していった。
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