第2章 巡りしは因縁、あるいは

第30話 いざ海へ

「うおーーーーー! でっけーーーーーーー!」


 眼前に、果ての見えない光景が広がった。森や山に住んでいては決して見ることのできない水平線。


「青ぉーーーーーーーい!」


 その一面が青。透明感がありながら、けれど奥底までは覗かせない深青だ。初めて水は青いのだと実感させるその色は、揺らぎ、光を反射してこちらの目を焼きながら広がって、空の青と溶けていく。

 そして、


っさぁあーーーーーーーーッ!」


 磯と海産物の、酸味と絡まって鼻を突く湿った臭いに、俺は悶絶していた。人の数倍は鼻が利く俺に、この臭いは正直きつい。


 どうも、ティグルです。

 村を出てから五日が過ぎた。その間、コカトリスに襲われたので返り討ちにして食ってみたら意外と美味かったり、立ち寄った村の娘が攫われたってんで助けにいったら娘じゃなく筋骨隆々のオカマだったり、産卵期のワイバーンの群生地に迷い込んで大群に追いかけ回された末に一個卵を頂戴して目玉焼きにしたらやっぱり美味かったりと色々あったが、それはさておき。どうにか、最初の目的地であるこの港町に辿り着くことができた。


 俺が目指しているのは、この国で最多の蔵書量を誇る王立図書館がある、学問の街カルムだ。そこでなら、俺の前世に関する手がかりが見つかるかもしれない。


 で、カルムへ行くには、一度船で海に出るのが近道だと以前に行商人のおっちゃんから教わっていたので、この港町まで来たという次第である。


「それにしても、ホントこの臭いなんとかならんのかね……。前世で海に来た時は気になんなかったのになぁ」


 前世でも今と同じかそれ以上に嗅覚は敏感だったはずだが、当時はこんな不快な思いをした記憶はない。そりゃあ、多少の磯の臭いは感じていたが……。

 やっぱり、人が多く住んでいるからだろうか。前世で通りがかった海には、人間はいなかった。でも、この地は港。漁で獲れた数多くの魚や貝が水揚げされ、それらを売りさばく露店なんかも至る所で見かける。そこから立ち込める魚の腐敗臭が海からの風と混ざって、なんとも耐え難い臭いが町全体を覆っているのだ。

 港町は初めて訪れるので、到着するまではどんな所か、かなり楽しみにしていたのだが、足を踏み入れた瞬間に不快度が天井昇りだ。くそ、わくわくを返せ。


「……けど、まあ」


 鼻を摘まみながら、改めて顔を上げる。

 目の前には海が広がっている。太陽の光できらきらと輝き、その果ては、どれだけ目を凝らしてもひたすらに青ばかりが続いている。


 素直に、きれいだなと思うと同時に、やっぱり世界って広いんだなぁという感慨が湧き上がってくる。


 前世で海を見た時には、こんなことは露ほども思わなかった。同じものを見ても、人間として見るとこんなにも違うんだと、改めて実感する。それが無性に嬉しい。


「うっし! そんじゃあ、ぼちぼち行きますか!」


 そう思えただけで、嫌な臭いにげんなりしていた気持ちもどこかへ吹き飛んだ。

 むしろ見たことがない物――奇妙な文様の陶器に布、俺の顔ほどもある色とりどりの果物、それに浅黒い肌や逆に異様に白い顔の人、妙に袖の広い服を着た人、艶やかな化粧を施した集団など、様々な人がひっきりなしに行き交う町の様子に目が奪われる。

 我ながら単純だなと思わなくもないが、不快な気持ちを引き摺るよりずっとマシだ。


 俺は、目的地への船が出航する時間まで、町の観光へ繰り出すことにした。


「……でも、やっぱり臭いモンは臭いな」

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