第29話 旅立ち

 言い当てられた答えに、俺は黙り込むことしかできなかった。


「……どうして? ベンさんやコリン君たちに、あなたの力を知られてしまったから? でも、事情を話して、誰にも言わないって約束してくれたでしょう?」


 確かに、事件の後、ベンさんと双子には俺の事情について告白した。

 ベンさんは始め渋い顔をしていたが、結局は、俺のためにも村のためにも、他の皆には口外しない方が良いだろうと言ってくれた。

 あの双子は「えー! なんで秘密なのー!? せっかくカッコイイのにー!」と不満を漏らしていたが……まぁ、なんだかんだ言って約束は守ってくれる奴らだと思う。


「だから、これまで通り暮らしていけるはずよ。……もし、秘密が漏れたとしても、その時は家族一緒に」

「違うよ。逃げたいとか、そんな、後ろ向きな理由じゃあないんだ」


 母さんの言葉を遮る。しかし、それに続く言葉が上手く紡げない。

 そりゃあそうだ。面と向かって母さんたちを説得できる気がしなくて、こうして、こっそり出ていくという手段を取ることにしたのだから。

 それでも母さんは黙って俺の言葉を待ってくれていたので、一度深呼吸してから、もう一度口を開く。


「今回のことがあってさ、俺の“力”は、やっぱり普通じゃあないって思い知ったよ。なんたって、魔竜兵をあっさり倒せるんだもんな」

「自分の“力”が、怖くなった?」

「いんや。むしろ、『あぁそういえば、これが俺の“力”だったな』って思い出して、すっきりした感じ。でも、わからなくなった部分もある。戦中最強だった魔竜兵を物ともしない俺って、マジで何者? とかさ。……それと、話では聞いていたけど、外の世界にはグウェールみたいな人間がやっぱりいるんだなって。この村は基本平和だから、悪人らしい悪人っていないし」


 俺は、人間に憧れている。人間でありたいと思っている。

 だけど、俺の知っている「人間」は、この小さな村にいる人間だけだ。

 村の外には、グウェールのような他人を傷つけても平気な奴や、俺が見たこともない物が大切な価値観がまるで違う奴とか、きっと俺が知らない類の人間が、それこそ数えきれないほどいるのだろう。

 俺が憧れる「人間」って、一体何なのか。「人間」であるって、どういうことを言うんだろう? この10日間、そんなことが頭の中を渦巻いていた。


「だから、見に行きたいんだ。村の外の世界がどうなっていて、どんな人間がいるのか。そして俺が何者で、どうあるべきなのかを探したい。……きっと、それを知らなきゃあ、俺は前にも後ろにも行けやしない」


 言葉が足りないのはわかっている。それでも、せめて気持ちが伝わってほしいと、まっすぐに母さんを見つめる。


 母さんも、黙って俺の目を見つめ返し……やがて、「はあぁ~~」と、聞いたことがないくらい呆れ果てた溜息を吐いた。


「だからって、黙って出ていくことはないじゃない」

「え、いや、その……俺のわがままみたいなもんだし、納得させられる自信がなくって。そ、それに、置き手紙はしたんだぜ!」

「置き手紙って、これか? 『自分探しの旅に行ってきます。心配しないでください』って……もうちょっと書くことあるだろうによ」


 父さんがいつの間に見つけてきたのか、俺が書いた手紙を読み上げた。言わないでくれ、恥ずかしい! こういうのって苦手なんだよ!


「まったく……。ちょっと待っていなさい」


 また呆れた声を漏らし、母さんが家の中へ入っていった。どうしたのだろう? と訝しんでいる間に、戻ってきた。その両手には、先程まではなかった物を持っている。


 母さんはその一方、片手の平になんとか乗るほどの大きさの袋を差し出してきた。受け取ると、ずしりとした重さが腕にのしかかってくる。中からは、ジャラッと、金属同士が擦れる音がした。


「え、これってまさか……かね!? この中身全部!?」


 慌てて袋を開けてみると、中には銅貨や銀貨がぎっしりと詰まっていた。


「ど、どうしたんだよ、こんな大金!?」

「ん~……この間はさ、お前の前世なんか気にすることないなんて言ったけど。実は俺も母さんも、いつかはこういう日が来るんじゃないかと思って、前々から貯金してたんだよ。餞別だからほれ、遠慮せず持っていけ」


 父さんが妙に軽い調子で、それこそ飴玉でもやるような気軽さで、袋を俺の胸まで押しつけてくる。

 けれど、これがそんな軽い物であるはずがない。

 外との交易も少ない、こんな田舎に住む一猟師が、容易く蓄えなどできるわけがないのだ。これほどの金を溜めるまでに、どれだけの工夫と苦労があったのか。俺に想像できているのは、きっとその一握りにも満たないだろう。


「それと、これも」


 未だ戸惑いが抜けない俺に、母さんがもう一方の手に持っていた物を渡してくる。呆然と、渡されるままに受け取る。


 それは毛皮だった。小麦と黄金こがねの中間のような色合いで、光の当たり具合によって、虹色の光沢を照り返してくる。腰布の類みたいだけど、防寒というより装飾品に近い印象を受ける。


「これは……虹狐にじぎつねの毛皮?」


 虹狐は魔力を持つ、いわゆる魔物に分類される動物だ。

 魔物とは言え大した力はなく、気性も穏やかなので獲るのはそう難しくはない。他の地域にはあまり生息していないそうだが、この辺りでは時折見かけることができる。おかげでこいつの毛皮は、うちの村にとっては数少ない特産品として重宝されている。


「新護の儀の贈り物。用意してたんだけど、儀式自体が中止になっちゃったから」

「新護のって……あ」


 そういえば、山賊に襲撃された次の日は、俺たちの成人の儀式が行われる予定なのだった。色々あって、すっかり忘れていた。


「儀式はできなかったけど、持っていって。これを見て、たまにでいいから私たちのことを思い出して。でないとあなた、すぐに無茶をしそうだから」


 母さんが、困ったような、少し怒っているような顔で笑った。


 新護の儀式で渡される贈り物には、それぞれ意味が込められている。

 狼の毛皮や牙なら狩りの上達、牛や豚なら子宝、といった具合に。


 そして、虹狐の意味だが……虹狐はその虹色に照り輝く毛色から、古くは、虹が出た日に生まれるのだと言い伝えられ、雨と虹に纏わる豊穣信仰にも結びついて、虹狐を見た者には幸運がもたらされると信じられた。

 そこから、虹狐の毛皮に込められる意味は――「あなたに幸運を」。


 狼や牛なんかの具体的なものと違い、あまりに曖昧な願いのため、新護の儀式での贈り物としては、虹狐はあまり用いられない。新護の儀式での贈り物は、親が子に、こういう大人になってほしいという願いを託すものでもあるから。


 でも、母さんと父さんを、それを願ったのだ。

 猟師としての成功でも、子孫の繁栄でもなく、ただ、俺の幸福を。

 それを思うと自然と、目頭に、熱が迫り上がってきた。


「ほら、ちょっと着けてる所を見せてくれよ。……おお、結構似合ってるじゃん」


 促されるままに、毛皮を腰に巻いた俺を見て、父さんがにかっ、と笑った。


「父さん、……俺、俺さ」

「謝んなくていいからな。お前が決めたことなんだし。まあ、もうちょっと相談はしてほしかったけど……。それに、少し羨ましいぞ。俺は、この国を出たことがないから。だから、俺の分も広い世界ってのを見てこい」


 父さんが、力強く、背を叩く。


「ティグル」

「母さん……」

「あなたが、外の世界で何を見て、何を知るのか。私には、わかりっこないけど。けれど、これだけは約束して。無事で、いてね。……いってらっしゃい」


 母さんが、一言、言葉を呑み込んだのがわかった。

 柔らかく、少し寂しそうに笑む、その奥で。

 無事で「帰ってきて」。その一言を。

 だからこそ、俺に返せるのは、きっとこの言葉だけなのだと、思った。


「……いってきます!」


 手を振って、歩き出す。

 かつて、この地に生まれた時と同じく、二つの笑顔に見守られながら。

 15歳になったこの年、俺は、村を出た。

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