第26話 叫ぶは怒り、告げるは覚悟
「お前が、今踏み入ろうとした場所。そこがどこだか、わかるか?」
俺の一喝に動きを止めたグウェールが振り向く。そして、困惑の表情を浮かべた。
グウェールの後ろには、土が剥き出しになっている地面と、その向こうに、崩れた家の残骸が広がっているだけ。きっと奴には、他の場所との違いがわからないのだろう。
「そこはな、ステラばあちゃんちの畑なんだよ」
答えながら、グウェールに近づいていく。一歩ずつ、ゆっくりと。
「ステラばあちゃんはさ、8年前に旦那のカイネルじいさんが死んで。息子さんたちも都会へ行っちまってて。家の前のこの小さな畑で野菜やら花を育てるのが、一番の楽しみだったんだ。でも、近頃足腰が弱ってきて。畑をできるのも今年が最後かもしれないって言ってて、この間種蒔きが終わったばっかりだったんだ」
だが、その畑は今はもう見る影もない。山賊連中が無遠慮に踏みつけ、グウェールの翼が起こした突風で土ごと抉り返されてしまったから。
グウェールとの距離が徐々に縮まる。奴は退くことも踏み出すことも、俺から目を逸らすこともできずに、まるで案山子のように突っ立っている。
「それと、そこのクリスさんの家。あそこは子どもが生まれたってんで、手狭になった家を去年、村のみんな総出で建て替えたばっかりだったんだぜ」
なのに、俺が指さした位置に建っていた家は竜の炎に焼かれ、今や炭すら残っていない。
震える拳を握り締める。内から突き動かされ駆けそうになる足を、努めて抑え込む。
「その向かいのサイモンさんは、この村じゃあ唯一の医者の家でよ。俺らはガキの頃から、みんな世話になったんだ」
その家も跡形もなく崩れ落ち、サイモンさんの爺さんの代から使っている道具や、ガキの頃飲まされたクソ苦い薬の瓶は、遠くで吹き飛ばされた瓦礫の下敷きになって、全て壊れてしまった。
言葉と共に、グウェールへ近づくと共に、体の芯で膨れ上がっていくものがある。
転生したばかりの頃は、前世の俺を支配していたものと同じく「衝動」と呼んだりもしていた苦しみと熱さ。けど、今はこの感情が“衝動”とは違うと知っている。この感情の名前を知っている。
「そりゃあ、どの家も特別な所なんてない、どの村にだって一軒はあるような、何の変哲もない場所だよ。けど、俺らにとっては、苦労とか思い出とかが詰まった場所だったんだ。建て替えたって元には戻らない、たった一つの場所だったんだよ。それを……それを、てめぇらは……!」
ぎしり、と歯が軋む。
ずっと、ずっと抑えていたんだ。母さんたちがいる間、母さんたちが安全な場所に逃げ切るまでは、それを何より優先させなければならない。他の大切なものが踏み躙られようと、母さんたちの命には代えられない。そう思って、必死に考えないようにしていた。
だけど、もう我慢の限界だ。
感情の高ぶりに呼応して、“力”の噴出を抑え切れなくなる。身を包む“力”が、荒れ狂うように輝きを増す。
グウェールがたじろぐ。その瞳に、一瞬怯えが過る。だが、
「ふッ……ふざけるなッ! 俺は魔竜兵だ! 竜の力を宿した最強の存在なんだ! 俺たちより強い奴などいない! いていいはずがなぁあい!」
恐怖を振り払い、己へ言い聞かせるかのように、偽りの竜が咆える。駆り立てられた猪の如くに突進し、力任せに拳を振り下ろしてくる。
ふざけてんのはどっちだ。何が竜の力だ。誰が最強かなんて、どうだっていいんだよ。身勝手な理由で、俺たちの……俺の大切な村を滅茶苦茶にしやがって……ッ! いい加減――!
「どたまに来てんだよオオオォオオォオオォォオオオオオオオ!」
“力”を纏った腕を突き出す。俺の「怒り」が込められた拳が、グウェールの拳と打ち合い――そして、ぐしゃあ! と、一方的にグウェールの拳から嫌な音が響いた。
「ぐぎゃあアあぁあアアあぁああああぁ!? あああ、ぐっ、ガァアあアアア!?」
剣さえ通さぬ竜の鱗が粉々に砕け、さらに手指と前腕の骨までへし折れる。骨は肉を突き破り、腕が関節のない位置で折れ曲がっている。
苦痛に顔を歪め、血が噴き出る右腕を押さえながら、グウェールが尾を力任せに振ってくる。その目は血走り、勝算などはまるで思考に及んでいない、ヤケクソのような一撃だ。
迫る尾を、片手で掴む。そして、「フッ!」そのまま投げ飛ばす。
巨体が、難なく地を離れる。空気の層を突き破り、猛烈な勢いで黒い天へ吊り上げられていく。
グウェールが必死な様子で身を捩り、翼を広げた。上空へと突き上げていく力に、なんとか制動をかける。竜の巨体と月の大きさが同じに見せた辺りで、ようやく停止した。
もしや、このまま逃げるだろうか? とも思ったが、
「うっ、グぅウウ……! ゥオオぉオォオぉオおオォォオォぉォオオオ!」
魔竜兵としての矜持、というより最強であることへの執着が、それを許さなかったのだろう。グウェールは空中に留まり、咆哮する。怒りと憎しみと恐怖と、全ての感情を迸らせる。
その咆哮と共に、グウェールの眼前で火球が作られていく。その規模は、先程の火球の比ではない。すでにグウェール自身の体を包めるほどの大きさとなり、なおも膨らみ続けている。
グウェールの内にある魔力の全てが、火球へと注がれていくのがわかる。持ち得る全てを振り絞った、まさに必死の一撃なのだろう。
「消えろ消えろ消えろ消えろ消えろ消えてなくなれぇええ!」
目を血走らせ、グウェールが張り裂けんばかりに叫び、火球を放つ。森を丸々焦土にできるほどの熱量が、今度は球形に濃縮されたままで飛来してくる。まるで太陽が地上へ墜ちてくるかのようだ。
だが、それがどうしたってんだ。
迫る火球を見据え、腰を落とす。腰よりさらに下で右手を溜め、拳を開く。
“力”が、開いた手指へ集中する。漠然たる光でしかなかった“力”が、形を成す。
形成されるは爪。五本の指それぞれから伸びる、鋭利な鉤爪。
黄色い光の爪を構え、跳ぶ。迫る太陽へ向け、より速く、まっすぐに。
中空で彼我の距離がゼロとなる。熱が肌を舐め、視界を覆い隠すほどの光球と衝突する――その寸前に、構えていた爪を振り抜く。
五本の爪が、火球に突き刺さる。“力”で作られた刃が触れた一切を切り裂く。炎も、それを生み出していた、通常の刃物では本来触れることさえできない魔力さえも。
切り裂かれた火球が爆ぜる。限界まで圧縮されていた炎が一気に解き放たれ、夜空に広がり、赤く染め上げる。
その炎の中を、俺は突き抜けた。全身を覆う“力”が熱の一切を遮り、傷一つない姿で、グウェールの前に躍り出る。
足元から照らされる奇妙な照明の中で、グウェールと目が合う。その瞳からは、もはや闘志は抜け落ちていた。宿っているのは、怯えと、何かを悟ったような……そう、まるで、今見ているものが現実ではなく、悪夢なのだと気づいた時のような、そんな光。
「なんだ……? 何なのだ、貴様は……?」
呆然とした口調で、グウェールがかすかに呟く。俺には、わずかにだけ現実にしがみつく理性の欠片がなんとか絞り出した言葉に聞こえた。
俺が何なのか。そんなの、こっちが知りたい。
でも、一つだけ言えることがある。今なら、これだけは、はっきりと言える。
「俺は――人間だッ!」
爪を振り抜く。閃きがグウェールの首元に収まる紫水晶に走る。キン、と甲高い音を一つ立て、狙い違わず魔晶石のみが両断された。
途端、竜の身が崩壊を始めた。鱗にひびが走り、黒ずみ、風化するように砕けていく。肉も骨も、灰となって風に散っていく。
その中から、人が現れた。
気を失ったグウェールだ。
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