第24話 化け物の先輩

「さて、と」


 母さんたちの姿が完全に見えなくなったのを見届けてから、俺は背後に向き直った。そこには、魔竜兵が悠然と佇んでいる。


「待たせちまったみたいで、悪かったな。……けど、なんでわざわざ待っててくれたんだ? いや、こっちは助かったのだけれども」


 素朴な疑問をぶつける。それなりの時間悶着していたのだから、攻撃してくる暇はいくらでもあっただろうに、グウェールは黙ってこちらの成り行きを眺めていた。


「なあに、別に親切ってわけじゃあないさ。久しぶりに魔竜兵の力を解放したんだ、こちらとしては思う存分楽しみたいんだ。でも、足手まといがいたらそっちは本気が出せないだろう? だから、邪魔者が去ってくれるならと、待たせてもらっていた。……けど、もう準備はいいだろ? さあ、早く戦おう! 俺を楽しませてくれ!」


 グウェールが答え、そして息を荒げる。もう辛抱堪らんといった様子で、尾を振り立てる。

 その様と、奴の答えに、俺は、


「――はっ、はは」


 思わず、冷笑とも失笑ともつかない笑いを漏らしてしまった。


「……何がおかしい?」


 俺の笑いの意味する所がわからず訝しみ、あるいは癇に障ったのか、グウェールが初めて表情を顰めた。ドラゴンの顔でもああいう表情ってできるのな。


「あぁ、悪い悪い。いや、バカにする気はなかったんだけど。ただ、魔竜兵ってのは、正真正銘の化け物だなんて聞いていたからさ」


 ベンさんからの前情報では、人としての心を失った怪物って聞いていた。

 けれど、こいつは、思う存分戦いを楽しめるよう場が整うのを待っていたと言った。

 それは、暴れるのを「お預け」できる程度の理性があるということであり。

 何よりこいつは、から、力を振るっているのだ。壊すことに理由があるのだ。それはつまり、楽しくなければ、理由がなければ、暴れないということになる。

 だから、


「安心しろ。そんな選り好みができている内は、化け物としちゃあまだまだ半人前だよ。俺が言うんだ、間違いない」


 グウェールに笑いかける。挑発と、本心からの安堵を込めて。


「……小僧が。調子に、乗りすぎだァ!」


 初めてその顔に明確な怒りを浮かべ、グウェールが咆えた。

 竜が地を蹴る。山が迫ってきたのかと見紛うほどの圧倒的な質量が、地表すれすれを跳ぶ。大気を圧し、前触れとして突風をもたらした巨体は、一足で眼前へ到達していた。


 剛腕が振り下ろされる。丸太より太い腕を、俺は身を逸らして躱す。狙いを外れた拳はそのまま地面に衝突し――地面が爆ぜた。

 衝撃で土は捲り上がり、礫が弾け飛ぶ。まるで大量の火薬が爆発したかのような威力だ。地面が円形に穿たれてしまった。


 跳び退いて礫を避ける俺に追撃が来る。今度は握り込まれた拳ではなく、鋭い爪だ。風切り音を唸らせる爪撃は、鋼鉄の鎧でも難なく切り裂いてしまうだろう。伴って巻き起こる風だけでも、鎌鼬のように周囲へ爪痕を刻んでいく。さらに、両の爪撃の合間に、大木を思わせる尾が鞭のように迫ってくる。


「チィ、ちょこまかとッ!」


 しかし、その一撃たりとて、俺に掠めることさえできない。

 巨体ゆえに動きが読みやすいし、それ以上に、遅い。普通の人間にとっては目にも止まらない速さだろうが、俺の動きはその上を行く。避けられない道理がない。その気になれば、反撃することも、追撃を振り切って逃げることも容易いだろう。


 けど、そうはしない。下手を打って奴の気が変わり、母さんたちを追いかけるような事態になることだけは万が一にも避けなければならない。母さんたちが逃げ果せるだけの十分な時間を稼ぐまでは、付かず離れずに回避に専念する。


「こんのぉ……ガキがァ!」


 苛立ちを募らせたグウェールがいきり立ち、爪を振り下ろす。渾身の力が込められたそれは、これまでより一段速度を増している。


 それでも、まだ俺には届かない。余裕で避けようとして――余裕があったゆえだろうか――足元に転がるそれに気がついた。


 ネックレスだ。壊された家にあった物が、先にグウェールの翼が生み出した暴風で飛ばされてきたのだろうか。薄緑の小さな石に穴を空け、紐を通しただけの、安っぽい代物だ。


 だけど、俺はこのネックレスに見覚えがあった。村の長老組の一人であるステラばあちゃんの物だ。死んだ旦那から若い頃に贈られた物なのだと、思い出話と共に見せてもらったことがある。

 俺がこのままグウェールの攻撃を避けたら、奴の攻撃は勢いのままに、地面ごとネックレスを破壊してしまうだろう。ステラばあちゃんの思い出が籠ったネックレスを。

 それを思った瞬間、俺の足は止まってしまっていた。


 あ、やべっ――。


 そう思った時にはすでに遅く。一瞬の隙に、俺の腕ほどもある爪が肩口へと迫り、



 爪が、深く食い込んだ。

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