第23話 お膳立てと約束と(あと、ベンさんは口が軽い)
竜の姿となったグウェールが、そこに立っていた。
竜とは、今や一部の小型種を除き、噂や伝説の中でしか会うことのできない、生きとし生けるものの頂点……らしい。魔物図鑑の受け売りだ。俺も転生してから一度も本物と会ったことがないので、よくわからん。
昔にベンさんから魔竜兵の話を聞いてはいたけど、まさか本当に竜に変身するとは……驚いた。
ただ、こいつは図鑑に載っていた竜の絵と違って二本足で直立しているから、竜人とでも言った方がしっくりくるだろうか?
「さあて……どこに隠れたのかな?」
まるでこの場の主だとでも言うかのように図々しく胸を張ったグウェールが辺りを睥睨する。
巨大な翼が大きく広げられる。それに合わせて、翼の根本から先端まで魔力が――“力”を解放した影響だろうか、どうしてか魔力の存在や流れを感知できるようになったらしい――漲っていくのを感じる。
「ッ!? みんな、俺の後ろに隠れろ!」
慌てて俺は立ち上がり、腕を目いっぱいに広げる。
それとほぼ同時に、グウェールの翼が、大きく宙を打った。
翼に蓄えられた魔力が一気に解放され、風を巻き起こす。嵐を凌駕する突風が、辺りの物を薙ぎ倒していく。燃え崩れた家の瓦礫を吹き飛ばし、さらに逃げ遅れていた山賊連中の身まで空中に舞い上げて荒れ狂う。
俺たちが隠れている家も軋みを上げ、屋根、外壁、柱と順に身を剥がされていく。
「あーあー、見つけた、見つけたぞ。そこにいたのか」
俺たちの姿が完全に晒された所で、嵐が止んだ。グウェールが、その竜の目をこちらに向けてくる。
魔力が生んだ嵐で、周囲の物は一切が散らされ、一帯は広場のように開けてしまった。
幸い、“力”を纏った俺が庇ったことで母さん達に怪我はないようだが……。
「ぐっ、ぐくぅ……っ」
俺の耳に、うめき声が届いた。逃げ遅れていた山賊達だ。今の嵐で体を地面に叩きつけられ、酷い怪我を負ったのだろう。多くが身動きを取れなくなっている。
そんな中で、比較的軽傷で、四つ這いのまま逃げようとしている男を見つけた。
「おい、そこのあんた!」
突然声をかけられ、男は体を硬直させ、こちらを向く。
「動けない奴らも連れていけ! 一人残らずだ!」
「なっ、ば、バカ言うな! 早く逃げねぇと、巻き添え食らっちまう! そんな暇」
「言う通りにしねぇと、今すぐのして、お前らのお頭の前に吊るし出すぞ! そっちの方が嫌だろう!?」
「~~っ!? わ、わかったよ!」
男は半ば涙目になりながらも、引き返して、気絶している仲間へ駆け寄っていく。俺だってこんな脅迫したくはなかったが、こっちも母さん達を守るだけで手いっぱいなのだ。奴らの面倒はお仲間に任せるしかない。
さて、これで面倒が一つ片付いた。あとは……。
「ベンさん、あいつを殺さずに止めるにはどうしたらいいんだ?」
「殺さずって、確か、核になっている魔晶石を壊せば……いや、ちょっと待て。まさかお前、あいつと戦うつもりじゃあないだろうな!?」
口を滑らせてくれた後、俺が何を考えているのか遅れて悟ったらしいベンさんが、血相を変えて詰め寄ってきた。ま、当然こういう反応になるよな。
「みんなが逃げる間の時間稼ぎをするだけだよ。倒し方を聞いたのは、まぁ、やれそうだったら程度で」
「何言ってやがる!? お前、俺が散々聞かせてやったのを忘れたのか!? 魔竜兵はな、正真正銘の化け物なんだよ! 奴らは、一体で戦場をひっくり返しちまう。魔竜兵一体を仕留めるために、いくつの部隊が壊滅させられたことか……!」
知ってる。剣や槍の刃ではあいつの鱗に歯が立たないことも、並みの魔法じゃあ傷もつけられないことも。ベンさんの戦友が、何人も殺されたってことも。戦争の怖さを教えるために、ベンさんが何度も語ってくれたのだから、忘れるわけがない。
それでも退く理由にはならない。母さん達が無事に逃げ延びるためには、この方法しか思いつかないから。
それを説明するが、ベンさんは納得してくれなかった。ベンさんも、俺に常人にはない力があることは先程見ていたはずだが、依然ベンさんの心の中では、魔竜兵が絶対的な強者として君臨しているようだった。
はてさて、どうやって説得したものか。
俺が言葉に窮していると、口端から唾を飛ばすベンさんを遮って、伸びる手があった。
母さんの手だった。
ゆっくりと伸びてきた手が、俺の手の甲に重ねられる。いつも以上に白くなった手は冷たく、わずかに震えているのがわかる。
その様子に、今しがたまで興奮していたベンさんも言葉を止める。
「……、……っ」
母さんが、何かを言おうと顔を上げる。が、二、三度口を開いても、ただ、掠れるような、絞られるような息が漏れただけで、声になることはなかった。
「母さん」
再び俯く母さんに、俺は語りかける。意識して、ゆっくりと。俺の気持ちが、ちゃんと伝わるように。
「俺は、母さんのことが好きだ。父さんのことが好きだ。ベンさんやアンナおばさん、テッド達やコリンもポリンも。みんな、俺の大事な人達だ。みんなから、俺は色んなものを貰った」
この地で人としての生を授かってから今まで、俺は数えきれないほどのものを与えられてきた。
それは意図して与えたものではないのだろう。
けれど、そのおかげで俺は今こうしてここに立っている。「ティグル」として、ここにいる。
「だから、俺はここを守りたい。それがみんなの助けになると思うし、俺自身もこの村が好きだから」
「…………」
「大丈夫、無茶はしないって。危ないと思ったら、俺もすぐに逃げるさ。だから、信じてほしい。俺が母さんに嘘吐いたことなんてないだろ?」
「……さっき、私の言うことを聞かなかったばかりじゃない」
「うぐっ、それは……! で、でも、母さんを本当に悲しませることだけは、しない。それは約束する。絶対に」
母さんの手が強く握られる。血が滞るほどに、手が冷たく青ざめるほどに、強く。
「……絶対、絶対によ?」
「ああ、絶対に」
俺の返答から数秒は経ただろうか。長い沈黙の後、母さんが、ゆっくりと手を離した。未だに震える手を、力ずくで開くようにして。
「……行きましょう、ベンさん」
そして、俯いたままに、村の出口へ向けて歩き出した。
「な!? おい待てメリル! お前まで何バカなことを――」
ベンさんだけがなおも反対しようとする。が、
「うおっ!? ど、どうしたんだ、いきなり!?」
そんなベンさんの裾を引っ張る者がいた。アルフォンス2世だ。ベンさんのズボンを噛み、母さんに続くように促している。もしかしたら人でない彼が一番的確に、この場は誰に任せるのが最も適切なのかを、本能的に察しているのかもしれない。
アルフォンス2世がちらりと、その黒い瞳を向けてきた。「母さん達を頼む」と、思いを込めて頷き返す。思えばあいつとは、父親のアルフォンス1世の頃からの仲だもんな。昔は親父さんを殴ったりして悪かったよ。
「ほらほら、ベンじい。ぐずぐずするなよ」
「こ、こら、お前らまで! 待て、押すな!」
さらにコリンが、後ろからベンさんの背中を押していく。ポリンがその後について、「ティグル兄ー! がんばってー!」と大きく手を振ってくる。あの双子は、俺が負けるなど露ほども心配していないようだ。
「おう、任せとけー!」
それに、俺も自信満々に手を振り返す。ほどなくして、ベンさんの怒鳴り声だけを残して、一行の姿が視界の届かぬ向こうへ消えていった。
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