第22話 魔竜兵
「はははは。なんだなんだ。なんかすごいのがいるじゃあないか」
沈黙を破る声が響く。その声は、先程蹴散らした山賊どもより遠くから届いた。
「お、お頭……」
まだ無傷ながら怖気で立ち尽くしていた山賊の一人が呟く。気のせいか、奴らの顔つきと声に、これまで以上の、明確な怯えが纏わりついたような感じがする。
山賊どもが振り向いた先、ゆったりと歩いて近づいてきたのは、一人の男だった。
奇妙な風体だ。どうやらこいつが山賊の頭領らしいが、そう思えないほどみすぼらしい服装で、ボロボロに擦り切れて煤まみれのマントで身を包んでいる。鎧も着込んでいるが、そちらにしてもあまり手入れされていないように見える。
そして服装以上に、容貌が異様だ。
髪は黒が斑に混じった灰色で、縮れながらも肩に触れるほど長い。奥に覗く頬は痩せこけていて、しかし、全身で見れば引き絞られつつも隆々とした筋肉で覆われた体格をしている。肌は深い皺が刻まれているのに、妙に艶があり、反面で色は血色が引いたように青白い。落ち窪んだ瞳からは、ぎらつくほどの生気が放たれているのに、それはテッドたちのような若者が持つ温かい活力とは異なる、冷たい光だ。
おかげで年齢も判然としない。六十を超えているように思えるが、四十代くらいにも見える。どうにもちぐはぐ、という印象を受ける男だ。
「……あいつ、は」
ベンさんが探るように小さな声を漏らした。何だ? こいつのことを知っているのか?
「頭ってことは……てめぇがグウェールって野郎か?」
「ああそうだよ俺がグウェールだ。それにしてもお前凄いな。見てたよ剣も槍も効かないなんて驚いた。その上素早くて。魔法の一種か? あんな魔法は俺も初めて見た。凄いなこんなの普通に戦ったら勝てる気がしないぜいやはや本当に凄い」
……何だ? 受け答えは成立しているはずなのに、会話をしている気がしない。まるで、別々の方向を見ながら話しているような、そんな感覚を覚える。
「こんな奴を相手にするならやっぱりやっぱりよぉ……こいつを、使うしかないよなあ」
嗄れた、だけれどどこか張りのある声で囁きながら、グウェールは懐から何かを取り出した。
それは青紫色の石だった。多面の結晶で、ちょうど大人の手の平に収まる程度の大きさだ。どういうわけか、鎖で十字に縛られている。
「魔晶石!? ってことは、やっぱり……ティグル、急いで離れろ! そいつは――」
突如、ベンさんが切羽詰まった声を出す。同時にグウェールが、にいぃっ、と口端が裂けるほどの鋭い笑みを浮かべて、鎖を解いた。
途端に、魔晶石と呼ばれたそれから、光が放たれた。
紫色の光は、実体があるかの如く風を巻き込みながら空中を踊る。うねりながら、グウェールの体に纏わりつき、吸い込まれていく。
「はははハハはハハハハハハはハハハはハはハハハははハはハハハ!」
それを、グウェールは歓迎していた。
狂った笑いを迸らせ、両腕を一杯に広げて、歓喜に震えている。それに呼応するかのように光が勢いを増していく。
「じょ、冗談じゃねぇぞ! いきなりそいつを使うなんて……俺達だっているんだぞ、お頭!?」
「バカ、ああなっちまったら何言っても無駄だ! さっさと逃げるぞ!」
仲間であるはずの山賊達が、声を荒げながら、我先にとこの場を離れようとする。その顔に張りついているのは、明らかな恐怖だった。
何が起こっているのかはさっぱりだが、とりあえず俺達も逃げた方がよさそうだ。
とはいえ、幼いコリンやポリン、足の悪いベンさんを引き連れてでは即座に遠くまで、とはいかない。一時凌ぎに、未だ炎に飲み込まれていない家の陰に飛び込む。
「何なんだ、あれ。ベンさんは知ってんの?」
「……前に話した、魔竜兵って覚えてるか?」
「それって、魔導戦争で敵方にいたっていう?」
俺の確認に、ベンさんは苦虫を噛み殺したような顔で頷いた。
記憶が正しければ、魔竜兵は、戦争後期に相手側――魔導国が生み出した兵士のことだ。竜の骨や鱗から抽出した『竜の力』を特殊な魔石に封じ、それを取り込むことで、人工的に生み出される竜の兵士、だっただろうか?
「あいつが、それだってことか?」
「ああ、戦争中に何度も見たから間違いねぇ。その生き残りだ。しかも厄介なことに……野郎は『末期』だ」
「末期? え、何それ? 病気ってこと?」
「似たようなモンさ。魔竜兵には致命的な欠陥があってな。竜に心を喰われる、なんて言い方をしていたが……魔竜兵は、その力を使えば使うほど、正気を失っていっちまうんだ」
言われて、グウェールの目を思い出す。眼前にはないどこかを見つめるような瞳は、確かに、人としての何かを失くしてしまったみたいだった。
「始めはむしろ、自分が別の何かに変わっていく感覚と恐怖、襲い来る破壊衝動に苛まれて、苦しむんだそうだ。だけど、やがてその別のモノこそが本来の自分なんだと錯覚し、『竜の力』を使うことに快楽を感じるようになる。同時に、他の一切に喜びを感じなくなって、自分が人間だったことも忘れ……最後には、敵も味方も見境なく、息絶えるまで周囲の物を破壊し尽くす化け物に変り果てる。
あの男は、その一歩手前だ。まだギリギリで人としての理性が残っちゃあいるが、『竜の力』を使って暴れることしか頭にねぇ。そのために、『竜の力』を使うのに相応しい戦場を求めて、彷徨っていやがるんだろう。もう、とっくに戦争は終わったってのに」
かつて見た魔竜兵の姿を思い出してか、ベンさんの表情がこれまでとは別の方向に歪む。瞳の奥からは、憐憫の色が覗いている。
「ははは……嬉しいねぇ。俺たちのことを覚えてくれている奴が、まだいたなんてよぉ」
ベンさんとの会話に割り込んで、グウェールの声が飛んできた。妙にはっきりと聞こえた言葉に、奴が近づいてきたのかと家の陰から様子を窺うが、グウェールは先程から一歩も動いてはいなかった。
しかし、変化はあった。
それはグウェールの体に起きていた。
奴の体が、別のモノへ変わっていっていたのだ。
魔晶石から放たれた光を吸い込んだ体は、それを栄養にでもするかのように、急速に肥大化していっている。骨が捻じ曲がり、筋肉が隆起し、数倍に膨らんでいく。
だが皮膚が裂けることはなく、それどころか体表も、硬い硬質の物へ変化していく。魔晶石の光よりわずかに黒ずんだ紫の、光沢を持った小片。あれは、鱗だ。
「そうだよ、俺は探していたんだよ。この力を振るうに値する相手を。戦場を。なのに最近は、騎士どもとのつまんねぇ削り合いばっかりでよぉ。数ばかりが多くて、俺が力を解放すれば、すぐに撤退していく。もう、我慢の限界だったんだ。……けれど、お前は違うよなあ。退けない理由がある。力もある。だから……楽しませてくれるだろぉお!?」
グウェールが喜色に染まった咆哮を上げる。その口は大きく裂け、歯が鋭い牙となる。手と足の指も、爪が鋭利に、巨大に変化していく。どれも、一本で牛の腹を貫けるほどだ。
背を突き破って、骨が生える。扇状に広がった骨の間に膜が張り、膜は瞬く間に厚みを増して、二枚の大きな翼となった。また、臀部からは太く長い尾が伸びる。
仕上げとばかりに、長く伸びた首の根本に、魔晶石がめり込む。
奴が身をもたげる。村のどの建物よりも、ここらの森のどの木よりも大きくなった体を、見せつけでもするかのように。
巨大な竜が、そこに立っていた。
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