第21話 “獣の力”

 自分の中に手を伸ばす。

 人に転生して、かつて一度だけ解放した“力”を再び呼び起こす。

 そこに、


「さっきから……ごちゃごちゃ、やかましいんだよ!」


 しびれを切らした山賊の一人が、声を荒げて切りかかってきた。両刃の剣が、俺の首筋目がけて走る。それを遮るように、俺は右手を掲げる。


「ッ、ティグル!?」


 母さんが裂けるような悲鳴を上げる。

 直後、が辺りに響いた。


「……は?」


 切りかかってきた山賊が、間抜けな声を漏らした。だが、それも仕方ないのかもしれない。鋭利な剣が、素手である俺の手の平に阻まれて、びくともしないのだから。


 正確に言えば、俺は素手じゃあない。刃を阻むものが、俺の手にはあった。

 

 それは、金に近い、鮮やかな黄色。陽光か、あるいは炎の如く揺らぐ光。形を持たぬ光が、しかし、剣の刃を受け止めている。

 光は、俺の奥底から湧き上がり、手から外へ溢れ、そして俺の全身へと広がって包み込んでいく。


 これが、俺の“力”。


 俺は、“力”で覆われた手で、そのまま手の中の刃を軽く握り締める。

 途端、ビシリ、と耳障りな音を立てて、剣に亀裂が走り、そして一瞬の後に粉々に砕け散った。

 山賊が、驚愕を顔に貼りつけ、一歩後退る。


 不思議だ。今まではこの“力”のことは、何一つわからなかったのに。今だって、この“力”は正体のわからない、得体の知れないモノなのに。

 なのに、こうして使っていると、この“力”で何ができるのかが、手に取るようにわかる。まるで、その構造や仕組みを知らずとも、誰もが手足の動かし方を知っているかのように。何ができて、どう使うのかが、本能的に理解できる。


 まったく。ついさっきまで、失敗したらどうしようと怖気づいていたのが、バカみたいだ。


「おい」


 俺は、一歩引いたまま呆然と立ち尽くしている山賊に話しかけた。山賊が、目だけ動かして、視線が合う。


「舌噛まないよう、歯ぁ食い縛っとけ」


 直後、俺は“力”を纏った拳で、鎧で覆われた腹の上から山賊を殴り飛ばした。

 鉄の鎧は飴細工のように砕け、山賊の体は吹き飛んでいく。成り行きを見守っていた、あるいはこの山賊同様に立ち尽くしていた仲間の間を突き抜け、遠く後方に倒れている家の残骸の山にぶち当たる。

 ドゴォオン! と衝突した派手な音で、初めて他の人間たちがそちらを振り向いた。吹き飛ばされた男は、目を剥き、口から舌を半分垂らして、瓦礫に身を突き刺したままぴくぴくと小さく痙攣を繰り返している。……やべぇ、やりすぎたかな?


「て、てめぇ!?」

「何しやがった、このガキ!」


 仲間がやられたことで、山賊連中がようやく我に返り、武器を構え直す。その表情にはいまだ困惑が見て取れるが、そこは実戦経験豊富なだけあってか、やらなきゃやられるとばかりに襲い掛かってくる。

 剣に槍、斧が四方から一斉に迫る。


 それを俺は――そのまま受けた。避けず、先刻のように手で受け止めることもせず、切りかかられるままに、身に受ける。


「なっ……」

「ど、どうなってんだ、これ!?」


 驚愕したのは山賊どもだ。なぜなら奴らが放った刃は、狙い違わず俺に突き立ちながらも、その切っ先の一寸も俺の皮膚を突き破ることができずにいたのだから。それどころか、体と一緒に“力”で包まれた俺の服さえ傷つけられず、いくら力を込めても“力”に阻まれて押し返されるばかり。


「く、くそォオオオ!」


 一人が、がむしゃらに剣を振り回し、何度も斬りつけてくる。だけど、結果は同じ。全て弾かれ、終いには剣の方が欠ける始末だ。


「う、ウソ、だろ……?」


 ようやく無駄だと悟り、山賊は剣を力なく下げて一歩、二歩と退く。他の奴らも同じだ。俺から距離を取ろうとし、その顔には驚愕を上塗るように恐怖が湧き滲んでいる。


 どうやら上手く行ったようだ。わざとこいつらの攻撃を受けたのは、俺には絶対に敵わないと思わせるためだ。そうすれば色々とやりやすいだろうし、俺の“力”ならそれができると、自然とわかった。


 それに確認したいこともあった。

 それは“衝動”のことだ。

 前世の俺を支配した、瞳に映る全ての者を殺さずにはいられない、あの忌々しい“衝動”が、“力”の解放に伴ってまた蘇るんじゃあないかと危惧していた。あるいは、あのゴブリン事件の時と同じように、明確な殺意や攻撃を向けられたら、と……。

 それを確かめるために、敢えて山賊どもの攻撃に身を晒した。


 そして、確かに、その刃が俺へと走った瞬間、俺の中であの“衝動”が起きた。

 けど、それは小さな揺らぎでしかなかった。腹の底を擽るような、本当にちょっとの疼き。


 大丈夫。この程度なら抑えられる。こんなものに、今の俺は支配されたりしない。こんなものより、よっぽど確かな、自身の柱となるものを俺は貰ったのだから。

 俺は、『人間』でいられる。


「さあて」


 わざと合図を声にして、一歩を踏み出す。それを見て、俺を取り囲んでいた山賊どもが、数歩飛び退く。明らかに、怯えが足と心を引っ張っている。


「ま、待てっ! 動くな! こ、こいつを忘れてはいないだろう!?」


 そのさらに後方。成り行きを特等席で見守っていた男――ポリンを人質に捕らえている男が、声を張り上げた。奴も声をわずかに震わせながらも、手の小刀を見せつけるようにしてポリンの首へ近づける。


「それ以上妙なことをしてみろ! このガキを、今すぐに殺すッ!」


 小刀の切っ先がポリンの首筋に触れる。恐怖と緊張でわずかに震えていたのか、刃先がポリンの弾力のある肌に、ぷつっ、と小さな穴を空けた。玉となった赤い血液が刃の上で膨らむ。


「っぅう!? い、痛いぃ! やだぁあ! やめてよぉ! 助けて、助けてよティグル兄ぃいいい!」

「こ、この!? 暴れるな、クソガキ!」


 恐怖に痛みが加わり、我慢が限界に達したのか、ポリンが恐慌を来して暴れる。手足をやたらに振り回して、涙を撒き散らす。鼻水も堪えられず、真っ赤になった顔はもうぐちゃぐちゃだ。


「ポリン」


 そんなポリンを、ゆったりと、静かに呼ぶ。


「今からティグル兄ちゃんのかっこいい所を見せてやる。目ん玉ひん剥いて、よーく見とけ」


 俺が笑ったのを感じてか、ポリンが、しゃくり上げながらも、顔を上げて俺の顔を見た。よーし、いい子だ。


 ポリンに小さく頷きを返して、俺は膝を落とした。一瞬だけ足に力を貯め、爆発させる。

 次の瞬間には、俺は、ポリンを掴む男の前にいた。


「――っ!?」


 男には声を漏らす暇さえなかった。目を見開いた顔に掌底を食らって、吹き飛んでいく。寸前に、ポリンの肩を抱き寄せ、ふんだくる。


「……あ?」


 他の連中には俺が瞬間移動でもしたように見えたのか、吹き飛ばされた男の脇にいた山賊どもは、何が起こったのかわからない顔で呆けていた。が、すぐ我に返り、「こ、こんのぉ!」とか「てめぇ!?」とかお決まりの言葉を吐きながら斬りかかってきた。


 けれど、遅すぎる。“力”で身体能力も感覚も跳ね上がった俺にとっては、止まっているのとそう変わらない。

 ポリンを抱えたまま、相手の攻撃が到達するより速く、襲ってきた奴らを殴り、蹴り飛ばす。先程のように相手の攻撃を受けたりはしない。万が一にもポリンに当てさせるわけにはいかないからな。


 一斉に飛びかかってきた連中がまとめて吹き飛ばされ、周囲に束の間の空間が開けた。その間を縫って、後ろへ跳躍する。速く、まっすぐに。その先には、


「母さん、頭下げて!」


 空中で身を捻りながら、母さんに圧し掛かっている瓦礫へ足を振り抜く。跳躍の勢いを乗せ、踵で、下から掬うように蹴り上げる。少しでも取り除き損ねれば、均衡を失した残骸が母さんを圧し潰しかねない。だから、一つ残らずまとめて、一撃で吹き飛ばす!


 轟音と突風を連れて、家だった残骸が、後方へ数メトル以上舞い飛んでいった。母さんは風から庇って目を強くつぶり「きゃっ!?」と短く声を漏らしたが、思惑通り、その身には傷一つついてはいない。うむ、珍しく自分を褒めてやりたい。


 そのまま母さんの前に着地する。母さんが身を起こすのに手を貸しながら、ポリンも地面に降ろす。すぐにコリンが駆け寄ってくるが、ポリンは目をまん丸にして俺をぽかんと見上げたままだ。


「どうだ、ポリン? 兄ちゃんはかっこいいだろう?」

「うん……うん、うん! かっこよかった! すごかった! も一回やって!」


 もう一回かよ。曲芸じゃあないんだけどなあ。

 けど、無事涙も引っ込んだみたいで良かった。


「ティ、ティグル……お前……」


 一方で、ベンさんは混乱や驚愕をない交ぜにした表情で、立ち尽くしていた。母さんはそれを一瞥だけして、沈痛な顔で俯く。


 はてさて、何と言ったものか。

 とりあえずベンさんには素直に事情を説明したい所だったのだけど、それを悠長に待ってくれる状況でもないわけで、


「はははは。なんだなんだ。なんか凄いのがいるじゃあないか」


 すぐに沈黙を破る声が響いた。

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