第20話 俺が憧れた『人間』

 答えの見えない暗闇の中を、小さな影が飛び出そうとする。


「って、ちょちょちょっ、ちょっと待てコリン!?」


 埋没しかかっていた思考から慌てて顔を上げ、山賊へ跳びかかろうとしていたコリンの襟首を、間一髪の所で掴む。一体何考えてんだこいつ!?


「放せー! 放してよティグル兄! ボクがあいつらやっつけるんだー! ポリンを助けるんだー! はーなーせー!」

「なっ、バ、バカか!? んなこと、お前にできると思ってんのか!? みすみす殺されちまうのがオチだぞ!」


 コリンの考えなしの言葉に、自分でも驚くほどの声で怒鳴るが、


「そんなの、関係あるかー!」


 コリンは、まったく怯むことなく、俺を睨み返してきた。


「ボクは、ポリンの兄ちゃんなんだ! できるとか、できないとか、そんなのわかんないよ! でも、ポリンは妹で、ボクは兄ちゃんなんだから……ボクが助けるんだー!」


 支離滅裂だ。理屈も減ったくれもない、滅茶苦茶なことを言っている。まさに子どもの言い分というやつだ。


 ……でも。

 でも、なんだろう。すとん、と。その言葉は、俺の中に、すんなりと、深く、嵌り込んだ気がした。


「……はは」


 自然と、笑いがこぼれた。俺は何をぐだぐだと悩んでいたのだろうと、自分で自分がおかしくなる。


 ああ。そうだよな。それでいいんだよな。

 俺は、大切なことを忘れていた。


 力がある。だから助ける? そうじゃないだろ。

 失敗するかもしれない。だから助けない? そうじゃないだろ。

 俺にとって、母さんは大切な人だ。コリンも、ポリンも、ベンさんも、みんな大切で、大事な人たちだ。その人たちが危ない目に遭っている。


 それだけで十分だ。それだけがいい。


『人間』に、それ以上の何が必要だっていうんだ。


「安心しろ、コリン。ポリンは、俺がちゃんと助けてやるから」

「……ティグル?」


 目をまん丸くさせたコリンに変わって返事をしたのは、母さんだった。


「ごめん、母さん」


 振り向かずに謝る。


「でも、母さんも知らないんだよ。俺が、母さんや父さんと暮らして、どんな気持ちだったのか」


 コリンを後ろに下がらせる。

 この無鉄砲な悪戯小僧が、思い出させてくれた。俺が、何に憧れたのかを。


 あの日の、ゴブリンから身を挺して俺を守った母さんの姿。

 できるとか、助ける必要があるとか、自身の危険とか、そんなことは完全に思考から抜け落ちた、愚か極まりない行動。

 理屈とも、本能とも違う、怪物だった頃の俺にはなかった何か。『人間』だからこその愚かしさ。

 まさに今、妹のために山賊へ立ち向かおうとしたコリンと、その姿が重なった。


 そうだ。俺はこの姿に憧れたのだ。いつか自分もこうなりたいと、そう願った。

 俺も『人間』になりたいと、そう思わせてくれた姿そのものなのだ。


「母さんが作る料理を、俺が毎日どれだけ楽しみにしているのか。父さんに初めて競走で勝った時、どれだけ嬉しかったか。ガキの頃、怖くて泣いている時に抱き締めてくれて、どれだけ安心したのか。母さんの膝枕が、どれだけ気持ちよくて、いい匂いだったのか」


 だから、今こそ、なるんだ。

 憧れた『人間』に。

 なりたいと望んだ、『人間』に。


「それに、さ」


 最後に、俺は少しだけ振り返って。


「いい加減、反抗の一つでもしないと、またマザコンって誤解されそうだからさ」


 そして、俺は、自分の中に手を伸ばした。

 俺の中に眠る“力”へと。

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