第19話 母の願い

「ティ、ティグル!?」

「か、母さん! 大丈夫か、怪我は!? どっか痛い所は!? 血ぃ出てたりは!?」

「だ、大丈夫よ。身動きは取れないけど、大きな怪我とかはないから」

「そ、そっか……そっかぁ。はぁ~~~、良かったぁ……」


 とりあえずの無事が確認でき、どっと力が抜けた。膝を押さえ、蹲りそうになるのを堪える。ようやく、大きく、一息吐く。


 村の危機を知った俺は、一時も休むことなく山を駆け下り村まで帰り着いた。途中で、逃げてくる村のみんなを見つけ、しかし母さんやポリンたちがいないことを知った時は血の気が引いた。

 皆の制止を振り切り、燃え盛る村へ飛び込むと、まさに母さんたちが襲われている所だったという次第だ。咄嗟にナイフを投げ、同時に俺も飛びかかって、間一髪で助けられた。


 本当に、間に合って、本当に良かった……!


 息を整えながら、状況を確認する。今しがた蹴り飛ばした男は、頭から地面に叩きつけられて目を剥いている。死んではいないと思うが、まぁしばらくは目を覚まさないだろう。

 他の山賊連中は、突然の闖入者に表情を鋭くしている。ただ、その鋭さには、警戒より苛立ちが多分に見て取れた。一人がわずかに前に出る。手にした小刀の先には、


「ッ、ポリン!」

「ティグル兄ぃいっ!」


 肩を掴まれて歩かされるポリンが泣き叫ぶ。引き裂けそうなほど顔を歪ませて助けを求めてくる。が、乗り出した首筋に刃の先端を突きつけられ、「ひっ!?」と息を詰まらせた。


「てんめぇえ!」


 頭に一気に血が昇り、飛びかかりそうになる。が、刃がさらにポリンに近づき、切っ先がその首の皮膚を押し窪ませるのを見て、咄嗟に踏み止まる。


「そうだ、大人しくしていろ。……見た所、お前村のガキだな? あまり勇ましさが過ぎると、死なずに済んだ奴まで死ぬことになるぞ」


 腹立たしい忠告に、俺は歯を噛み軋ませることしかできなかった。

 それを見て取った男が顎先をしゃくり、他の連中が動き出す。人質を取りながらも、先程の男の二の舞とならないよう警戒しているのだろう、こちらを包囲する形でゆっくりと近づいてくる。


 どうする。ポリンが捕まっている以上、下手なことはできない。ただでさえ相手は武装した、戦いに慣れた凶悪な山賊が十人近く。おまけに、母さんは身動きが取れないし、ベンさんも足が悪い。戦うにしても逃げるにしても、まともにやったのでは勝算はない。


 一つ、可能性があるとしたら。


 俺の“力”だけだ。


 あの“力”を使えば、あるいはこの場を切り抜けられるかもしれない。


 けれど、それだって確実じゃあない。俺の“力”のことは、俺自身だってよくわかっていないんだ。身動きを速くしたり“力”を刃みたいな形にできることはわかっているが、それがどの程度のものか。

 前世ではがむしゃらに使っていただけだし、人間に転生した今、かつてほどの威力を発揮できるのかもわからない。

 無暗に“力”を使って暴れても、失敗したら、それこそ一巻の終わりだ。山賊の男が言った通り、みんなをもっと危険な目に遭わせることになりかねない。


 一体、どうすれば良い? 何が最善だ? 考えろ。考えろ、考えろ、考えるんだ!


「……ティグル。コリン君だけでも連れて逃げなさい」


 無い知恵を必死に絞ろうと歯を食い縛っていた俺の耳朶に、静かな、しかし決然とした声が響いた。

 その声を、発したのは、


「……な、なに、言ってんだよ。母さん」

「私とベンさんを連れてじゃあ逃げられない。わかってるでしょう? ……あの人達も、時間がないって言ってた。だったら、二人だけなら逃げ切れるかもしれない」

「……そうだな。俺とこいつで少しでも足止めできれば、途中で諦めて撤収するかもしれねぇな」


 母さんの言葉を継いだベンさんが、アルフォンス2世に目配せをする。壮年の猟犬は、それだけで意を了したのか、主を見返した後に山賊連中へ視線を移した。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ!? そんなことしたら母さん達は」

「大丈夫よ。私は身動きできないんだから、きっと放っておいてくれるわよ。ベンさんも、あなた達が十分に逃げたら身を隠すから。ですよね?」

「んな上手くいくわけねぇだろ! そんないい加減な嘘で納得すると」

「いいからッ! 最後なんだから、言うことを聞いて!」


 びくっ! と。静かな声から一転、急激に膨らんだ、叫ぶような金切り声に、思わず言葉も苛立ちも委縮してしまった。


「私のことはいいから。私は、あなたが無事なら、それでいいの。だからお願い。逃げて、ティグル」

「で、でも……そんな……」

「……ねえ、ティグル。あなたは知らないでしょう? あの日、あなたがゴブリンに立ち向かった時、私がどれだけ怖かったか」


 唐突に、母さんがそんなことを言い出した。


「あの日だけじゃない。あなたは知らないのよ。あなたが怪我や危ないことをする度に、私がどれだけ心配しているのか。あなたがご飯を美味しいと言う度に、私がどれだけ喜んでいるのか。幼いあなたと一緒に外を駆けたり、並んで寝た時間、どれだけ安らいでいたのか。おしめを換えたり、夜泣きする度にあやすのが、どれだけ大変だったのか。……あなたが無事に生まれてきてくれた時、私がどれほど嬉しかったのか」


 母さんが語る。小さな声で、俺を、まっすぐに見ながら。


「あなたが、私を変えた。あなたが私のお腹に宿って、生まれて、ちょっとずつだったかもしれないけど。あなたがいるから、今の私がある。あなたと出会うために、私は生まれてきたのだと……そう思えるの。あなたが幸せなら、私は後は何もいらない。あなたを失ったら、私はきっと、生きていても苦しいだけ。だから、あなたは逃げて、生きて。私は、それだけで十分だから。お願い……私の宝物ティグル


 母さん……そんなの、そんなのって……卑怯だよ。


 逆らうことも、従うこともできず、俺は目を逸らすことしかできなかった。


 俺は……俺は、どうすればいい!? 本当に、母さんを見捨てていくのか!?

そんなの嫌だ!

 でも、だからって俺に何ができるってんだ……! 一か八かで山賊どもに挑むのか? それで俺にもしものことがあったら、母さんは本当に死ぬほど苦しむのだろう。母さんの願いを踏みにじることになる。

 そんなことはしたくない。そんなの、俺も耐えられない。だったら、だったら、どうすれば……!


 出口の見えない思考と苦悩が、ぐるぐると、延々と回る。視界が暗く捻じ曲がっていく錯覚に陥る。誰か助けてくれと、叫び出したくなる。


 その、俺の世界を閉ざそうとしていた暗闇の中を。視界の淵を。

 小さな影が、一つ、飛び出そうとしていた。

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