第17話 襲撃(1)
「はぁっ、はぁっ……が、頑張ってコリン君! もう、少し、だから!」
「っ、ぅ……!」
息を切らせながら、メリルはコリンの手を引いて走っていた。コリンも、肩を不規則に上下させ、足をふらつかせながら懸命について来ている。その顔は、泣き出しそうになるのを堪えているのか、引き攣って見える。
走る二人の周りは眩い。消え行った夕日の茜となり替わるように、赤い炎が煌々と、村中を飲み込まんと踊り狂っている。
始まりは、唐突だった。
火の手が上がり、火事かと思った次の瞬間には、村に武装した男たちが押し寄せてきた。
出入口である門は閉ざされていたが、所詮は木で作られた簡易な物だ。壊されるまでにそう時間はかからなかった。
その間にも、火矢で点けられた炎はあっという間に広がり、パニックも瞬く間に拡散していった。幸い、事前に、緊急の際にはすぐに森へ逃げるよう、打ち合わせがされていたため、皆混乱しながらも避難を始めることはできた。
それでも、全ての村人が即座に逃げ果せることなど、できるはずもなく。
メリルも、村の中央付近にある共用竈に来ていたことが災いし、外周から広がった騒動に気づくまでに時間がかかってしまった。当然、村の外へ通じる脱出口までの距離も長く、その半ばまでに到達する頃には、すでに村全体に火が広がっていた。
コリンとは、ちょうどその辺りで会った。泣きながら、恐怖で足を竦ませながら、熱波の中をふらふらと歩く彼を見つけ、火を避けながらここまで引っ張ってきた。
もう少しだ。村には、こういう有事に備えて、外からはわからない抜け道がいつくか用意されている。そこまでたどり着けば、何とかなるだろう。
「うぅ……! う、うぐぅ……ひくっ!」
手を引かれるコリンが、声をしゃくり上げる。恐怖と、その中を全力で走ってきて、もう限界が近いのかもしれない。
それでも、瞳からは未だ涙を溢れさせていないのだから、十分立派だと思う。
「大丈夫、もうちょっとで出口だから! それまでの辛抱だよ!」
「ぐ、ぐすっ……で、でも、そうしたら、ポリンは!? ポリンはどうするの!?」
「っ」
叫ぶような問いに、言葉が詰まった。
そう、ここにポリンの姿はない。コリンとポリンの兄妹は、いつも一緒に行動しているのに。
メリルがコリンを見つけた時も、ポリンはいなかった。聞けば、この騒動の中ではぐれてしまったのだという。一人で恐怖に押しつぶされそうになりながらも足を動かせていたのは、妹を探さなければとの一心からだったのだろう。
それを、メリルは半ば強引に引き連れて、ここまで逃げてきた。
ポリンはきっと大丈夫、もしかしたら他の大人と一緒に先に逃げているかもしれない、抜け道へ向かえば途中で合流できるかもと、そう言い聞かせて。
もちろん、そんな保証はどこにもない。けれど、あのままポリンを探し続ければ、コリンの身も危険だ。兎にも角にも、まずはコリンを安全な場所へ避難させなければ。そう判断しての、詭弁だった。
だが、コリンも幼心ながら、ついに嘘だと感づいたのだろうか。それとも、出口付近まで来てもポリンと会えないから不安になったのか。泣きそうな顔に、責めるような、怒りの固さを混ぜて、メリルを見上げている。
その視線が、メリル自身の不安さえも掻き立ててくる。
メリルだって、ポリンを心配していないわけではない。先程の詭弁も、そうであってほしいという希望から発せられたものだ。
ポリンだけではない。他の村のみんなは、どうしたのだろうか。夫は、アンナは、テッドたちは。
そして何より、あの子は――ティグルは、無事なのだろうか。山賊がここにいるということは、ティグルと騎士の人たちとは行き違いになったのだろうか。それとも、まさかすでに……。
押し込め封じていた疑念が、一気に湧き上がる。恐れと不安が身を包み、足を重くする。
それが、災いした。
思考が己の内へ埋没しかけたせいで、反応が遅れた。耳障りな破砕音が響き、気づいた時には、視界に巨大な影が迫っていた。
「ッ、コリン君!」
咄嗟に、コリンを突き飛ばす。直後、世界が回る。視界が明滅し、音が一瞬遠ざかる。衝撃に、胃が裏返りそうになる。
「っ、ぅぐ、かは……!」
痛みを堪え、倒れてうつ伏せになった身を起こそうとする。しかし、上から圧し掛かる物が邪魔で、腹を浮かすだけで終わってしまう。足もどこかに挟まっているようで、抜け出せない。
「お、おばさん!?」
コリンが、慌てた様子で駆け寄ってきた。助けようと手を伸ばし、けれどメリルに圧し掛かる物の大きさに戸惑い、どうしたらいいのかわからなくなって手と頭を左右にさ迷わせている。
メリルを押し倒したのは、倒壊した家の一部だった。燃え移った炎で、支えだった柱が焼け崩れたのだろう。当然、コリンの手で退けられる重さではない。ただ幸運なことに、足を挟まれこそしたが、上手い具合に体の上に空間ができ、即座に押しつぶされるようなことにはならなかった。
しかし、それも時間の問題だ。いつバランスが崩れるかわかったものではないし、倒壊の衝撃で纏わりついていた火は一時掻き消えたが、次の炎がすぐそこまで迫っている。じきに、この残骸にも燃え移るだろう。
コリンを見上げる。少年の瞳は、不安と恐怖が一層深くなり、今にも涙となって流れ落ちそうだ。それを見て、メリルが口を開こうとした、その時、
「お前ら、コリンと……メリルか!? 二人とも無事か!?」
「っ!? ベンさん!」
火煙の向こうから駆け寄る人がいた。ベンだ。手にした紐の先に黒い毛並みの大型犬――アルフォンス2世を連れている。
「よかった……ベンさんも無事だったんですね。他のみんなは?」
「大方は逃げ果せたはずだ。俺は、逃げ遅れた奴がいないか見回ってた所だ」
「えっ!? そ、そんな……ベンさんこそ、早く逃げないと! ベンさんは足が!」
ベンは足が悪い。走って避難するには、人一倍時間を要するはずだ。
「バカ言え、俺ぁ村の警備担当だぞ。他の奴を置いて逃げられっかよ。それに、火にビビっちまってるこいつに言うこと聞かせられるのは、俺だけだからな」
ベンが飼い犬の頭を撫でる。猟犬としても訓練された彼の鼻を頼りに、ここまでたどり着いたのだろう。炎に怯え毛を逆立たせていたアルフォンス2世だったが、飼い主に撫でられいくらか気が落ち着いたのか、顔をベンの手に擦りつけている。
「で、お前の方はどうなんだ? 大きな傷や痛みはないのか?」
「それは、なさそうなんですけど……ぴったり挟まっちゃったみたいで、抜け出せないんです」
メリルの返答を聞き、ベンの表情が一瞬、苦々しく歪む。だが、すぐに腰を上げ、「待ってろ。今、上の瓦礫をどかしてやる」と、梃にしようというか、近くに転がっている木材へ手を伸ばそうとする。
「お~お~、いたいた。ようやっと見つけたぜ」
だが、唐突に響いた声に、ベンは動きを止めた。
事態は、最悪の方向へと転がり出そうとしていた。
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