第12話 父と子(2)
「父さんはさ、俺がちゃんと『人間』だと思うか?」
父さんの次の句を遮って発した俺の言葉に、父さんは一瞬呆けた顔をした。
「な、何言ってんだ? 当たり前だろ」
「体はね。でも、魂は……心の方はどうなんだろうって、たまに思う」
父さんが今度こそ言葉を失くす。俺が抱いていた思いを初めて知って、驚いているんだろう。
俺自身、父さんたちに告白する日がくるとは思っていなかった。それでも吐露してしまったのは、酒の力によるものかもしれない。
「確かに、体は人間に生まれ変わった。でも、俺の中にはまだ前世の……化け物や怪物の類だった頃の部分も、確実に残っているんだ」
それは“力”や“衝動”に限った話ではない。
俺が抱く考え方、思想や感情には、どうしても怪物だった頃の名残りが滲んでいる気がしてならないのだ。
「今ではだいぶ人間側に寄れたとも思うけど。でも、ガキの頃なんか、どっちつかずの宙ぶらりん状態だった気がする」
子どもの頃は、他人が傷ついても、なんとも思わなかった。
なぜ自分とは別の個体である他者のことを慮らないといけないのか、まるで理解できなかった。
あの頃の俺は、きっとまだ半分くらい怪物で。人間と怪物、どちらに転がっていっても不思議じゃあなかったんだ。
実際、人の社会を捨てて、獣のように野山を駆け、前世と同じ生き方をすることもできただろう。そのための“力”があったのだから。
「それでも、俺が今人間の側でいられているのは、あの日があったからだ」
「あの日って……ゴブリンと戦ったっていう日か?」
父さんの問いに頷く。
「あの時、俺は“衝動”に任せて“力”を使った。きっとあのままだったら、一気に化け物側へ転がり落ちてたと思う。それを、母さんが止めてくれた」
「母さんが、お前をゴブリンから庇ったんだろ? 俺はその話を後で聞いて、肝が潰れるかと思ったよ。母さんも無茶なことするよ」
「はは、本当だよな。……でも、俺はさ。その無茶が、嬉しかったんだよ」
目を閉じ、あの日を思い出す。
俺を庇った時の母さんの表情を思い出す。俺が無事だと知った時の、あの安心し切った様子の母さんの表情を。
「あの時の俺は、まさか母さんが俺のことを庇うとは考えもしなかった。誰にとっても、自分が一番大事だと思っていたから。だから、最初は困惑した。
でも、事が収まって、日が経つうちに、あの日を思い出す度に、母さんが俺を庇ってくれたことを嬉しいと感じるようになってたんだ。だって、それって、母さんにとって俺は、母さん自身より大事だったからだろう?」
冷静に考えれば、助ける必要なんてない状況だったのに――冷静に考えられないほどに。
あそこで庇ったりしたら自分が危険なのに――自分のことなど、頭から抜け落ちるほどに。
自分の方が怪我をしているのに――俺が無事だとわかると、心の底から顔を綻ばせるほどに。
俺は、母さんに大切にされている。
それまで誰かから大切にされる――愛されるということを知らなかった
そして、それを与えてくれる母さんの存在は、俺の中でどんどん、どんどん大きくなっていって……いつしか俺も、こうなれるだろうかと、思うようになっていた。
この人のように、誰かを大切と思える存在に。
「愛する」ということができる『人間』になりたいと、いつの間にか願っていたのだ。
「あの日から、『人間』は俺の憧れなんだ。怪物ではなく、『人間』として生きていきたいと、心の底から思う」
「ティグル……」
「裕福でなくてもいい。特別に幸せでなくてもいい。平凡な、どこにでもいる『人間』でいいんだ。それこそ、今の生活がずっと続くような……テッドたちと狩りして、村の悪ガキどもを懲らしめて、家に帰りゃあ母さんの料理が待っている。んで、いずれは独り立ちして、母さんみたいないい嫁さん貰って」
「バカ言え、母さんは世界一の嫁さんだぞ。あんな人が二人もいるもんか」
いや、ここで茶々入れるなよ。やりづらいだろ。
「と、とにかく! そんな、どこにでもいるような『人間』に俺はなりたいんだよ。でも、俺がいつまでも今のままでいられる保証って、どこにないだろ? あの“衝動”が蘇らないとは言い切れないし、現に“力”は俺の中にまだ残っている。その間は、安心なんかできない」
詰まる所、俺も怖いのだ。
俺が、いつしか『人間』でいられなくなる日がくるのではないか、と。
だから、安心するために、俺は自分の前世を調べている。かつての自分に戻ることはない、という保証が欲しいのだ。
そして、あわよくば“衝動”や“力”を完全に消し去る方法を見つけて、前世なんてものとはすっぱり縁を切って、真っ当で平凡な、どこにでもいるティグルになりたい。
「……ふぅ、わかったよ。まあ、お前自身がそうしたいんなら、止めねぇよ」
俺の言葉を一頻り聞いた父さんは、酒を一口大きく呷ると、そう漏らした。
「でも、あまり無理はするなよ。母さんも、夜更かしが過ぎるんじゃあないかって心配してたんだからな」
「あー……わかった、気をつけるよ。ただ、なぁ……」
「ん? どした?」
歯切れの悪い俺に、父さんが疑問の目を向けてくる。
「実は……俺が前世のことを気にしている理由って、他に、もう一つあって」
なんとなく言い出しにくさを感じ、頭を掻く。
そのもう一つの理由というのは、前世のとある記憶にある。
当時はあらゆることに無関心で、どれも印象が希薄でうろ覚えな記憶の中にあって、ただ一つ、忘れられない記憶。
死に際に見た、最後の光景。
横たわる俺の前に立つ、杖を持った者。
俺を殺した相手――あの時はわからなかったが、あれは人間の女の子だった。線の細い、小柄な少女だった。年も、今の俺とそう変わらないくらいだったはずだ。
彼女は、俺に何かを語りかけていた。
当時の俺に人間の言葉はわからなかったが、その声に敵意や憎しみは入り込んでいなかったように思う。
そして、俺の頬を柔らかく撫でながら。光の中で青白く煌めく不思議な髪の向こうで。
(…………泣いてた、よな)
命が消えかけ、掠れゆく視界の中で、それだけははっきりと覚えている。
日々の暮らしの合間、ふとした思考の空白を縫ってあの光景を思い出す度に、考えてしまうのだ。
彼女は一体何者だったのか。
なぜ俺と戦っていたのか。
敵であった俺に、なぜ憎しみや怒りを持たず、何を語りかけていたのか。
何より――あの涙のわけは、なんだったのか。
それを知りたい。それが、前世の自分を調べるもう一つの理由だ。
けれど、それを本当に知りたいのなら、あまり悠長に構えてもいられないと思う。
人間の一生は短い。正確ではないが、少なくとも数百年以上は生きていた前世の俺と違い、一人の人間の痕跡などあっという間に消えてしまう。
何せ、あれからどれだけ時が経ったのかも不明なのだ。急ぐに越したことはない。
そんな内容を、掻い摘んで父さんに話していると、
「……うっ、ぐすっ」
「え、何? なんで涙ぐんでんの?」
「だってよぉ……マザコンのお前が、母さん以外の女性にも興味があったのかと思うと、嬉しくて」
「いやいやいや!? この話の流れで、その反応はおかしい!」
「そう言うなよ。親としては、このままマザコン拗らせたらどうしようって、将来を心配してたんだぞ?」
「そんな心配されてたのかよ、俺!? てか、マザコンじゃねぇって言ってんだろ!」
「ほら、自覚のない所がさらにもう……」
「だーかーらー!」
その後も何度言い返そうと父さんは聞く耳を持たず、涙を拭きながら部屋を出て行った。
俺も、なんだか気持ちを削がれて、以降は本を開く気持ちにはなれず、ベッドに潜り込む。
…………マザコンじゃあ、ないよな?
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