第11話 父と子(1)


 夕食も終わり、近隣の家の多くから灯りが消えた頃。

 俺は自室で、ランプの光に照らされて本を捲っていた。

 今読んでいるのは、『オークでもわかる! 魔法入門!』という本だ。

 机の上には、他にも『図説付きモンスター大全』『ファニタ動物記』などの書物が積んである。これらは、定期的に村へ来る行商人に注文していた物で、今日家に届けられていた。


 しかし、この本『オークでもわかる』という触れ込みのくせに、さっぱり理解できんのだが……。

 これはあれか、俺がオーク以上のバカということなのか。それとも、オークというのは思ったよりも頭がいいのか。


 未だ会ったことのない魔物に思いを馳せ現実逃避をしていると、不意に、戸を叩く音が響いた。


「よう、やっぱりまだ起きてたんだな」

「父さん? そっちこそどうしたんだよ、こんな時間に」

「ん、まぁちょっと差し入れにな……」


 そう言って、父さんは両手に持ったコップの一方を差し出してきた。中身は蜂蜜酒だ。

 この辺りは川も多いので、水不足にはなりにくいが、衛生的な観点からこいつを水で割って飲むことが多い。俺たち未成人は、さらに牛やヤギの乳を混ぜることもあるのだが、


「って、濃!? 全然割ってないだろ、これ!?」


 なのに、この差し入れはほぼ原酒のままだった。匂いの強さで気づかなければ、一気に呷ってしまう所だった。


「まあまあ。ちょっとした景気づけだよ。……母さんには内緒だぞ?」

「なんの景気づけだよ……」


 呆れながら、ゆっくりと口をつける。

 父さんと違ってそれほど酒は好きではないのだけれど、まあたまにはいいか。


 そのまま、二人してちびちびとコップを傾ける。

 どうしてか父さんは何も言わず、俺も父さんの意図を読み切れないまま、時間が流れる。

 時折ランプの灯が揺らぎ、壁の影が濃淡を移ろわす。


「……調子、どうだ?」


 コップの中身も半分を切ろうとした頃、父さんがようやく口を開いた。


「調子って?」

「それ。さっそく読んでたんだろ?」


 父さんが顎で、机の上で開かれた本を指した。


「あぁ……やっぱり魔法関係は、俺の頭じゃあさっぱりわからんわ。もっとも、それでなくても望み薄だとは思うけど。今までも散々調べてきたのに、収獲ゼロだもんなぁ」


 思わず愚痴っぽいセリフを零しながら、俺は壁際の本棚へ目を向けた。

 そこには、村の人から譲ってもらったり、以前に行商人から買ったりして手に入れた本がずらりと並んでいる。

 その種類は、モンスターの生態に関するもの、世界中の地理や風景のスケッチ集、魔法や錬金術の解説書など、一見雑多な内容に思えるかもしれない。

 けど、これらは全て、ある一つのことを知るために集めた資料だ。


「それじゃあ、うちの息子は依然身元不明のままかぁ」

「ホント、俺はどこのどちら様だったのかね」


 俺が調べているのは、俺の前世だ。

 モンスターや動物関係の書物は、前世の俺と同じ種類の生物が載っていないかを(もっとも、自分自身の姿形にもかつては無関心だったから、自分がどんな生き物だったのかもうろ覚えなのだが)、魔法や錬金術なんかは、俺の“力”について調べるため。

 他にも、見覚えのある場所や出来事が記されていないかなど、手がかりになりそうな物は手当たり次第に読み漁っている。

 とはいえ、こんな田舎で手に入る物には限度がある。調べ始めて数年になるが、未だに何の手がかりも得られていない。


「やっぱり、でかい街の図書館にでも行かなきゃダメかなこりゃあ」

「別に、そこまで気張らんでもいいと思うがなぁ俺は」


 父さんが、何気ない口調で言う。


 けれど、その語気には沈むような低さが滲んでいた。他人が聞いても気づかないだろう、本当にわずかな感情の揺らぎ。

 しかし、こちとら15年も息子をやっているのだ。気づかないはずがない。


 怪訝な色を瞳に込め、父さんの方へ首を向ける。視線を注がれた父さんは、迷うように二、三度目を泳がせた後、首の後ろを掻きながら、


「いやさ。俺としては、お前の前世がわからないままでも、いいんじゃないかなぁと思うんだよな」


 口にすることを躊躇するかのように、思いを吐露する。


「調べるな、って言っているわけじゃあないんだぜ? ただ、別に無理して知る必要もないんじゃないかって話だよ。今だって、わからずとも何事もなく暮らしているわけだし」

「……それは」


 俺は反論しようと口を開いたが、それを先んじて制するように父さんが「もし」と次の句を継いだ。

 俺が思わず口を噤むと、父さんもまた逡巡するような間を横たわらせたが、やがて続きを言葉にした。


「……もし、お前が母さんのことを気にしているんだとしたら、それこそお前が気に病む必要はないんだからな」


 ぴくっと。父さんの言葉に反応して、無意識に俺の肩が跳ねた。


「確かに母さんは、お前の力に異様なまで神経質になっている。けどさ、あれは別にお前やお前の力自体を怖がっているわけでも、まして気味悪がっているわけでもないんだぜ。母さんは……他の人から、お前がそう思われることを怖がっているんだよ」

「……うん。知ってる」


 母さんと父さんに、俺に前世の記憶が残っていることを話した日。

 母さんが俺に、二度と“力”を使うなと言い聞かせた時の顔は、忘れられない。

 表情を青白く強張らせ、瞳は不安で泣きそうなほど揺らがせながらも、俺から一瞬も視線を逸らすことなく、必死に、何度も繰り返していた。

 そして、約束した後には、震える腕で痛いくらいに強く抱き締められた。

 幼かった俺だが、あの時母さんが何かを決意したのを、漠然と感じていた。


「こんな辺境の村だからな。色々閉鎖的だし、自分たちと違うものを怖がる人は多い。一度、『変なもの』の印を捺されたら、まともに生活していくのも難しくなりかねない。母さんは、お前にそうなってほしくないんだよ」

「……まあ、そうだろうなとは思ってたよ」


 でなければ、俺が“力”を使うことに、あそこまで過剰に反応する理由がない。


「俺と母さん自身は、お前が前世で何者であろうが、妙な力を持っていようが、気にしねぇよ? そりゃあさ、初めてお前に前世の記憶やら不思議な力があるって知った時は、戸惑ったし……その後も、色々と、悩むことは、あったけど。けど、いくら悩んだって、お前がかつて何者だったとしたって、今は、俺たちの息子なんだから。それが変わるわけじゃあないんだし」

「……うん。それも、知ってる」


 父さんも母さんも、俺が転生者だなんていう得体の知れない奴だとわかった後も、変わらず『親』でいてくれた。愛してくれている。それは、確信を持って言える。


「だったら」


「父さんはさ、俺がちゃんと『人間』だと思うか?」

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