第10話 いつもの夕食

 双子へのお仕置きを終え、今日の狩りでの獲物の分け前の話し合いが済んだ頃には、日が沈み始めていた。

 空が茜から紺色に移ろおうとしている中、自宅に帰り着く。

 目に映る物が段々と暗さに紛れていく一方で、窓から漏れる光だけが徐々にその在り処を際立たせていた。


「ただいまー」


 その自宅の玄関の扉を開けると、


 中では、母さんの足元で正座した父さんが、床に頭を擦りつけていた。


 ……えっと。何これ? ちょっと留守にしている間に、家庭崩壊の危機?


「あ、ティグルお帰りなさい」

「ああ、うん、ただいま。……で、何がどうしてこうなったの?」


 普通に挨拶してきた母さんに、状況の説明を求める。


「いやね、最近お父さん不猟だったでしょ? 備蓄も減ってきたから、買い出しに行こうと思ったんだけど『猟師が肉買いに行ったら、いい笑いものだ! 待ってろ、今日こそ大物獲ってくるから!』って言って」

「なるほど、概ね察した」


 つまり、意気込んで猟に出たけれど、結局今日も碌に収獲がなかった、と。


「今日こそは、今日こそはいけると思ったんだ!」

「いやいや」


 蹲ったまま、父さんが理屈の通らない言い訳を叫ぶ。

 気合いで獲物が獲れるようになったら、誰も苦労しないって。


「まあ、お父さんの気持ちもわかるけど。けど、どうするの? 残っている食べ物、パンの他は頂いたお野菜と、後は干し肉が少しあるだけよ」

「うぐぅっ!?」


 母さんの追い打ちの言葉に、父さんが頭を抱えて身悶える。

 なんというか、火炙りにされている毛虫みたいな動きで、ちょっと気持ち悪い。


 だが、ちょうどよかった。父さんの分も、と張り切った俺の頑張りは、無駄ではなかったようだ。


「ふふふ。ご安心召されよ母上、父上」

「……どうした、ティグル? 変な口調になって。頭でも打ったのか?」


 ちゃうわい、ボケ親父。


「じゃーん! これを見よ!」


 俺は高々と、右手に持っていた袋を掲げる。


「こ、これは兎と、鹿の肉! それも、こんなに大量に!? お前が獲ったのか!?」


 中身を見て驚愕する父さんに、俺は自慢げに胸を逸らしてみせた。

 兎は俺が一人で獲った獲物なので、当然一羽全て俺の取り分。鹿も、追い込みなどは全員で行ったものの、仕留めたのは俺なので、一番いい所を含む結構な量を頂いてきた。

 この量なら、我が家三人でも数日分にはなる。


「おお、さすがは俺の息子! これで今日のおかず問題は解決だな! さすが、息子!」

「ははは、なんで『俺の』の部分を強調してんのか知らんけど、それほどでもないって!」


 父さんが俺の肩をバンバンと強く叩いて喜んでくれる。俺も得意気になって、二人で笑い声を上げる。


「ねえ、ティグル」

「ん? 何、母さん?」

「まさか、使ってないわよね?」


 ピタ、と時が止まった気がした。


 息が詰まるような、奇妙な圧力を感じる。全身の筋肉が過剰に緊張してくる。

 それを力ずくで捻じ曲げるように、ゆっくりと母さんの方へ振り向く。

 母さんの表情は、別段怒ってはいないように見える。

 ただ、笑みも、哀しみもなく、ひどく真剣な顔で、まっすぐに俺を見つめていた。

 その感情の揺るがない鋭い瞳が、何よりも恐ろしい。問われている当人ではない父さんまで、笑顔のまま固まっていた。


「……つ、使ってないよ。使うわけないだろ。そういう約束だし、あんなの使わなくたって、鹿の一頭や二頭楽勝だって、うん」


 そう、俺はアレを使っていない。疚しいことは何もない。

 それなのに、俺は心臓を弾け飛びそうなほどバクバク言わせながら弁明する。喉が締め付けられるように苦しい。

 一瞬の静寂が過り、


「そう、なら良かった」


 母さんがいつも通りの柔和な笑顔を浮かべ、場の空気が融解した。


「それじゃあ、私は夕飯の準備しちゃうわね」と言って母さんが台所へ去っていく中、俺と、そばで見守っていた父さんが、揃って息を吐く。


「び、ビビったぁ……」

「母さん、お前の力のことになると神経質になるからなぁ……」


 そう、アレというのは、俺が持つ“力”のことだ。


 あのゴブリンの一件以来、俺は“力”を使っていない。

 使う必要のある場面がなかったのもあるが、何より、母さんと「二度とあの力は使わない」と約束したのが一番の理由だ。


 あの“力”は、前世での俺の正体同様、一体どういうものなのか良くわかっていない。


 普通の人間にも、魔法などを生み出す源である魔力という力を持つ者がいる。

 が、一度、この村を訪れた旅の魔法使いに俺の“力”を話したことがあるが(母さんには、三時間かけてお願いして了承を得た)、どうも魔力とはまた別の“力”らしいと言われた。


 それ以来、ますます母さんは俺の“力”のことになると過敏に反応するようになり、事ある毎に、こうして物凄い迫力で尋ねてくるようになった。

 まあ、そんな得体の知れない力を一人息子が持っているとなれば、恐怖や心配を抱きもするというものだろう。


 俺自身も、母さんを不安にさせるような行動は慎むようにしないと。

 あの日、もう心配かけないって、約束したからな。


 台所に立つ母さんの背中を見ながら、そんなことを考えている内に、夕食が出来上がったようでいい匂いが家中に漂ってきた。俺は椅子から立ち、食器を用意する。

 ほどなくして、夕食の支度が整った。

 机の上には、村の共用竈で焼いた母さん手作りの丸パンと、炒めた玉ねぎで味をつけた鹿肉、豆の入ったスープが並んでいる。


「それじゃあ、いただきます!」


 三人が席に着き、祖神と大地への祈りを捧げ終わると、俺は我先にと食具を手に取った。

 鹿肉は固くならない程度に火が通り、それに合わせた玉ねぎの甘さが、肉の旨味を引き立ててくれている。

 スープの方も、豆の身を崩さない煮込み具合といい、塩加減といい、実に絶妙だ。


「ん~~~美味い! やっぱり母さんの料理は最高だ!」

「だから、いつも大袈裟だってば」


 母さんが、大半の呆れの中に、嬉しさと気恥ずかしさを混ぜた表情で返す。

 しかし、決して大袈裟ではないと思う。特に俺にして見れば、この料理というもの自体が最初は衝撃的だった。

 前世では、生の肉しか食べたことがなかったのだ。火を通し、味をつけて調理された食べ物の、なんと味の豊かなことか。生の状態で食べることが普通だっただけに、その美味しさが余計に際立って感じられる。

 この料理というのは、人類が生み出した最大の発明に違いない。


「ふふふ、そうだろうそうだろう。母さんは昔っから、料理上手で村でも有名だったからな。俺が母さんに惚れた切っ掛けも、胃袋を掴まれたからに他ならないのだ」

「なるほど。つまり、胃袋を掴まれたが最後、男は尻に敷かれる運命だと」

「そういうことだな」

「別に掴んでも敷いてもいないと思うけど……」


 その後は、馴染みの行商人が今日村に到着し、新護の儀が終わるまで滞在するという話題や、今日の狩りで見かけた変わった野草のこと、やっぱりテッドがアホだということなんかを話し、最後に残った肉を父さんと取り合って母さんに二人して怒られて……そんな他愛のない時間が流れ、夜は更けていった。

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