第1章 「人間」となる“獣”

第1話 転生(1)

 どれくらい経ったのだろう。


 たしか、眠っていたはずだ。眠りながら、たくさんの光の中を漂っていたような気がする。それも、いままでに感じたことがないくらい、長い、長い時間だ。


 やがて、辺りの光が遠のき、別の光が差し込んできた。


 この光は、知っている気がする。


 その光へ、前脚を伸ばそうとしていた。なぜかはわからない。ただ、無性に、その光に触れたかった。

 徐々に光が近づき、ついに光に触れたと思った――次の瞬間、全てが真っ暗になった。触れたと思った光も、それまで辺りを漂っていた光も、全ての光が消え去った。


 なんだ? 一体どうしたのだ? さっきの光は、どこへいってしまったのだ? 今、どこにいるんだ?


 わからなかった。何もわからない。なんだか、胸の奥がひどく苦しい。


 いままでも、わからないことはたくさんあった。でも、それは気にならなかった。わからなくても良かった。

 なのに、今はわからないことが、とてもつらい。引き締められるような苦しさと、ざわざわとした寒さを感じる。


 ああ、苦しい、寒い、震える、苦しい、嫌だ――怖い。


 気づけば、声を上げていた。出せるだけの声を、何度も何度も。


 こんなことは初めてだった。なぜなら、これまで声を出すのは、動くモノを怯ませるためだったり、必要がある時だけだったから。意味もなく声を出すなんて、初めてだ。

 だけど、出さずにはいられなかった。


 声を出して、身を捩り、足を振り回し、足を前に伸ばして。


 そうしていると、前足に何かが触れた。


 驚き、声が止まる。


 なんだ、これは。柔らかい。それに、温かい。


 繰り返し、触る。それに触れていると、胸の苦しさが和らいでいく気がした。


 その時、一筋の光が走った。前に感じた光とは違う。いやに眩しく、目が焼かれるようだ。


 少しずつ、光が広がっていき、視界の全てが覆われて、そして――


「お―――目を―開――よ!」


 目の前に、顔が現れた。


「――おお、本―だ!」


 さらに、別の顔が新たに現れる。二つの顔は、息がかかるほど近くからこちらを覗き込んでいる。


 顔だけではない。最初は目が眩むほどだった光が次第に落ち着き、視界に様々な物が映る。ぼやけてはっきりとは見えないが、見たこともない物がたくさんある。

 周囲の物を見つめていると、二つの顔がそれを遮るように視界の中央へ移動してきた。意図はわからないが、邪魔だ。


 この二つの顔は、妙に毛が少ない。頭の部分と、あとは顔面の一部からしか生えていない。

 だけど、こんな顔をしたモノは知っている。ちょうど、眠りに落ちる前に最後に見た、あいつが似たような形の顔だった。この二つの顔も、二本足で歩く同じモノなんだろう。

 だけど、変だ。あの二本足のモノは、すごく小さかったはずだ。こちらが口を開けば、一口で飲み込めるほどの大きさだった。

 なのに、目の前の顔は、こちらの顔よりずっと大きく見える。


 不思議に思いながら、邪魔な顔を振り払おうと自分の前足に視線を向ける。


 すると、とても驚いた。


 一つは、自分がいつの間にか目の前にいるモノの指を握っていたこと。先程触れた柔らかくて温かいものは、この指だったのだ。


 そして、もう一つ。自分の足が、いつもの足と違っているのだ。


 毛がない。爪が短い。形が大きく違っていて、指は細くて長い。

 そう、まるで目の前の、二本足で歩くモノの前足と同じような形になっているのだ。


 本当にこれが自分の体なのか。信じられず、確かめるために、指を口に含んでみる。

 わからないモノは、とりあえず噛んでみるのがいい。


 そして、また驚いた。


 牙がない。歯が一本もない。これでは噛めない。


 それに、顔を触った感触も変わっていた。やはり毛がなくて、形も違う気がする。


 何がどうなっているのか、わからない。

 だんだんと、またあの胸の苦しみが強くなってきた。堪らず、声を上げる。


 すると、二本足の一方が、こちらを持ち上げた。細い腕で、軽々と。

 どうやら今の自分はずいぶんと小さい体のようだ。持ち上げられて、初めてそれがわかった。

 二本足が、腕と胸の間でこちらを挟んできた。痛くはない。むしろ弱い力で、あの柔らかさと温かさが伝わってくる。

 だけど、今度はなかなか胸の苦しみが消えなかった。

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