第5話 料理人は失業中
ミーナさんの働いているのは「海猫屋」というレストランだった。
高級すぎず、かといってカジュアル過ぎない、ちょっと贅沢をしたい日に使うような店だと聞いている。
名物は牛ほほ肉の赤ワイン煮込みで、口の中に入れると、とろける肉のうま味と赤ワインの豊潤な香りが楽しめるそうだ。
鍋の代金は2万ジェニーの約束だから、そのお金が手に入ったらぜひともこれを食べていこうと考えていた。
ところが――。
『海猫屋』の場所はオックス通りにあると聞いていたので、道行く人に訪ねながら30分ほど街を歩いてようやくたどり着いた。
でも『海猫屋』は聞いてきた場所にはなかった。
あるのは燃え尽きた建物の残骸だけだ。
「そこのレストランは五日前の火事で焼けちまったよ」
呆然と焼け跡を見つめる僕に通りがかりの人が教えてくれた。
「ここで働いていたミーナという人を知りませんか?」
「さあなぁ。俺もよくは知らないんだ」
近所の人に聞き込みをして、ようやくミーナさんの居場所を突き止めたのはお昼少し前のことだった。
裏通りの古びたアパートの一室、それがミーナさんの住む家だ。
「は~い……」
ドアをノックすると疲れた声で返事があった。
「どなたですかぁ……」
玄関先に出てきたミーナさんはどんよりとした表情で生気がない。
オレンジ色の髪の毛はボサボサだし、着ている服もよれよれだった。
村に来たときは明るくはつらつとした人だったのに。
「あの……自分はパル村のカガミです」
「…………ああーっ!」
急に思い出したようにミーナさんは叫び声をあげた。
「たしかレニー君だったよね。ごめんなさい! 鍋を注文していたのに取りに行けなくって。実は大変なことが起きてしまって街を離れることができなかったの」
「はい、店の方は見てきましたよ。災難でしたね」
近所の人の話では、店長による火の不始末から火事になり、ミーナさんは職を失ってしまったそうだ。
「そうなのよ。後片付けとか何とかで忙しかったうえに、店長が私たちの給料を払わずにトンズラしちゃってね……。今は求職中なの」
「そういうことだったのですね。実はこちらも大変でして――」
僕は村に魔族が攻めてきたこと、じいちゃんが死んでしまったことなどをかいつまんで説明した。
「レニー君も大変だったのね。まさかあのコウスケさんが死んでしまうとは……」
ミーナさんはじいちゃんの死を悼んでくれた。
「レニー君、ごめんなさいっ!」
突然ミーナさんが頭を下げて謝ってきた。
「どうしたんですか?」
「実は私、お金がほとんどないの! だから、レニー君が大変なのに鍋の代金を払えないのよ」
それは困った。
だけど給料を持ち逃げされたミーナさんは、僕以上に困っているのだろう。
「だから、その鍋は他の人に売ってあげてくれないかな?」
ミーナさんはそう提案したけど、実はそれも困るのだ。
じいちゃんは使う人に直接販売しかしない人だった。
仲買人や商人に卸すことはなかったのだ。
この鍋はじいちゃんがミーナさんのために作った鍋だ。
他の人が使うなどあり得ない。
売った後はどうしようと買った人の自由だけど、最初に使うのは仕事を依頼してきた本人に限るというのが加賀美幸助の流儀だった。
僕はそのことも丁寧に説明した。
「というわけで鍋は置いていきます。お金はまた今度で結構ですから」
「でも……」
「大丈夫ですよ。ミーナさんは品物を持ち逃げするような人ではないと思いますから」
前から思っていたけど、この人からは誠実さと優しさを感じるんだよね。
代金を踏み倒すなんてことはしないと思う。
「私のことを信じてくれるのね。ありがとう……。そうだ! レニー君、お昼ご飯は食べた?」
「まだですけど」
「だったら家で食べていきなさいよ」
今度は僕が遠慮する番だった。
だってミーナさんはお金がなくて困窮しているんだよ。
そんな人の家でご飯を食べるなんて、やっぱりよくないよね?
「心配しなくても大丈夫よ。レストランの裏手にあった食糧庫に火の手は回らなかったの。だからそこに残っていた食材は給料代わりにみんなで山分けにしたのよ」
「でしたらお邪魔します。本当は凄くお腹が空いてきていたんです」
ミーナさんは笑顔で僕を迎え入れたけど、急に思い出したように顔色を変えた。
「ヤダ! 私ったら顔も洗ってないし、髪もとかしてなかった! 服もそのままじゃない!?」
実はそうなのだ。
ミーナさんが着ている襟なしシャツはだいぶくたびれていて、胸元が大きく開いていた。
普通の人よりかなり大きな胸元が覗いていて、さっきから僕はドキドキしてしまっていた。
「レニー君、ちょっとだけ待っててね」
バタンッ!
僕の鼻先で扉は音を立てて閉じられてしまった。
女の人の部屋に入るのなんて初めての経験だった。
化粧品などの匂いがするものだと思い込んでいたけど、この部屋はハーブの匂いがこもっていた。
それもそのはずで天井にはロープが張ってあり、そこには束になったセージやバジル、ローズマリーなんかが吊るされている。
すべて料理に使うためのものだろう。窓辺にもハーブの鉢植えが置いてあった。
「すぐに用意するから、そこに座って待っていてね」
勧められた席で落ち着かなく辺りを見回した。
部屋の中は割合と片付いている。
きっと物が少ないからだろう。
それに比べてキッチンの方は調味料や料理道具で溢れていた。
でもキッチンの方が部屋の中よりはるかに綺麗に片付けられているのは、ミーナさんがちゃんとした職人である証だ。
じいちゃんも片付けられない人だったけど、鍜治場だけはいつも整頓されていたもんな……。
「レニー君は食べられないものある?」
「好き嫌いはありません」
「えらい。塩漬け肉と野菜でポトフを作ってあるの。それを温めるわね」
キッチンの方から包丁のトントンいう音と優しいミーナさんの声が響いてくる。
僕はいつもじいちゃんとご飯を作っていたから、こういう光景には馴染みがない。
もしも母さんが生きていたらこんな感じなのかな?
まだ若いミーナさんを母さん扱いするのは失礼か。
たしか21歳と言っていたから、僕にとっては姉さんと言った方が妥当だ。
「いただきます!」
ミーナさんの作るポトフは優しくて、味わい深くて、人をほっこりとさせる力があった。
「とっても美味しいです。毎日食べたいくらい」
「料理人にとっては最高の褒め言葉ね。たくさんあるからお代わりして」
ポトフをもう一杯もらってからミーナさんの家を出た。
「また寄ります」
「それまでには仕事を見つけて少しでもお金をためておくわ」
「無理しなくていいですからね」
ポトフで元気が出た僕は、再び川へと向かった。もちろん新しいシャングリラ号のエンジンをテストするためである。
「これが10馬力エンジンか!」
新型エンジンを搭載したシャングリラ号は軽快に川をさかのぼっている。
パワー、スピード共に6馬力のときとは格段の差が出ていた。
力強すぎてちょっと不安定な気さえする。
エンジン出力のわりにボートが小さすぎるのだ。
そろそろ船体の刷新が必要になってきたと感じている。
次はいよいよレベル5に到達だ。
切りのいい数字だから、ボートもグレードアップするんじゃないかという予感がしている。
レベルアップはおそらく走行距離80キロ。
このスピードなら3時間もしないうちに到達するだろう。
日暮れまではまだ余裕があるので操船技術を磨きながらレベルアップを図ることにした。
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