第9話 終焉

 僕の名前は北野颯太。海道中学校に通う三年生だ。同級生の吉野麻衣に救われ、僕の人生は変わった。クラスで一人、ふさぎ込んでいた僕に、彼女は優しく手を差し伸べてくれた。それから、少しずつ周囲の様子も変わり、今ではクラス全員、心の距離は無くなっている。


 ただ、心の距離が無くなった過程で、不自然なことがいくつかあった。なんて言うか、本来心の距離をなくすのって、お互いの本音をぶつけ合いながら、信頼関係を築いていくことで可能になると思っていた。でも、ぶつかり合うというシチュエーションは僕らにはなく、いがみ合っていた二人がある日突然仲良くなるケースが多かった。


 例えば以前、クラスの委員長に、けんかの仲裁を取り持ってもらおうと依頼した時もそうだ。


「榎本、ちょっといいか。」

「うーん。なに?」

「実は、遠藤と菊池が昨日、体育の時間にバチっちゃってさ。険悪な雰囲気なんだよ。お前、委員長だろ?何とかしてくれないか。」


 榎本は心ここにあらずといった様子で、恍惚な表情を浮かべていた。


「なんだ、そんなことか。わかった、私に任せてよ。」


 そうして彼女は二人の元へ順に訪れると、三人でどこかへ去っていった。しばらくすると三人は戻ってきたが、それまで遠藤と菊池が醸し出していた険悪なムードがすっかり無くなり、代わりに二人とも、榎本のような恍惚な表情を浮かべていた。

 僕は、様子が気になり、遠藤と菊池を呼び止めた。


「なあ、二人とも仲直りできたのか?」

「ん、ああ。俺たち、いがみ合ってなんかないよ。お互いのこと大好きなんだ。」


 遠藤の手元をみると、隣の菊池の手をぎゅっと握っていた。


「なあ、北野。俺ら、お前のことも大好きだぜ。」

「あ、ああ。お前ら、どうしたんだ?」

「なにが?」「なにが?」

「だって、なんと言うかお前らどちらかというとクールなタイプだし、誰かと人前で手をつなぐようなやつらじゃなかったじゃないか。」


 僕の言葉などお構いなしに、二人は席に戻っていった。気づくと榎本は加藤の机でベタベタしている。僕の知っている限り、榎本千佳と加藤美香は小学生のころから内心でお互いいがみ合っており、中学に入って同じ友達グループに属しながらも、その関係性に変化はなかったはずだ。

 そもそも、榎本は人前でベタベタするタイプではなかった。それが加藤の手を握り、頭を引っ付け、左足を、加藤の右足に絡めているではないか。明らかに以前とは様子が違っていた。


 気温が急激に下がり、枯葉が地面を覆う11月の暮れ、今日は麻衣と帰る約束をしていた。


「颯太君、ごめん。なんか千佳ちゃんがどうしても一緒に行きたいところがあるらしくて。」

「…僕もついていっていいかな。」

「いいよ。北野君なら大歓迎。」


 声の方を振り向くと、満面の笑みを浮かべた榎本と加藤が立っていた。二人はやはり、手をつないでいた。


 放課後、二人に連れられてたどり着いたのは、白い教会のような建物だった。玄関には木札があり、『くみこ教団第二支部』と書かれていた。


 玄関を抜けると、そこは部屋の区切りがない大スペースがあるだけで、端には上層階に上がるためのエレベーターが設置してあった。

 4人ほどの小集団が30グループほど散らばっており、手をつないでわっかを形成しているようだった。僕たちも榎本と加藤に誘われ、4人の輪を作った。


「ねえ、これ何をしているの?」

「これはね、お互いが好き同士ってことを、実感する儀式なのよ。ねえ、幸福感で満たされるでしょ?」


 麻衣が尋ねると、加藤がにこやかに答える。僕は、彼女の言っていることが一つとして理解できなかった。訝し気な様子を察知したのか、榎本は何か納得したような表情を浮かべると、僕の手を振りほどき、左ポケットからお菓子の缶を取り出した。


「これ、たべてごらんよ。そしたらわかるから。」


 缶の中にはラムネのような錠剤が入っていた。僕は、それがドラッグに見えて仕方なかった。


「いや、僕は…」

「ほら、麻衣も食べなよ。」

「私もちょっと…」


 その時、大きな悲鳴が館内を包み込んだ。部屋の中央当たりの1グループの円が乱れ、女性がしゃがみこんでいる。彼女の父親ぐらいの年齢の男性が、後ろから女性を抱きしめた。


「いや、いや、みんなどうして私を好きになってくれないの。私を、愛してよ!」

「志保、落ち着きなさい。ほら、これを口に。」


 男性は指で何かをつまみ、彼女の口に押し込んだ。僕にはそれが、千佳の持っているものと同じであるように思えた。彼女の悲鳴は突如止み、そして何事もなかったかのように円を形成して回りだした。


「麻衣、行くぞ!」

「颯太く…」


 気づいた時には、麻衣の口にはあの錠剤が押し込まれていた。加藤の指が、麻衣の唾液で少し湿っていた。


「そんな、どうして…」

「ほら、颯太君も早く。」


 そういうと、千佳と加藤は僕の両側に立ち、腕を抑えつけた。いくら女の子といえど、二人がかりでは抵抗することができない。


「麻衣!助けてくれ!」


 足を崩していた麻衣が立ち上がる。そして僕のところへやってくる。麻衣…頼む、正気を保っていてくれ…


「颯太君!今助けるから!」

「麻衣!」


 よかった、麻衣は無事だ。どうにかして、麻衣と二人でここを抜けるんだ!麻衣は榎本を押し倒し、取っ組み合っている。加藤ひとりであれば、拘束から抜け出すことは可能だ。加藤には申し訳ないが、彼女の肩をつかみ、地面へ投げ飛ばす。彼女の肩は床で強く跳ね帰り、そして動かなくなった。気絶したようだ。

 麻衣の方を振り向くと、向こうもうまくいったのか、こちらに向かってきた。ようやくここから抜け出せる。


「麻衣、さあ行こう。」


 しかし麻衣は出口を振り向かない。僕の肩に麻衣の手が触れる。そのまま顔が近づき、僕の口に口を重ねる。何が起こっているのか、理解に時間がかかったが、どうやらキスをしているようだ。

 彼女の頭を無理やりはがす。麻衣は恍惚な表情を浮かべている。そう。あの時遠藤や菊池が浮かべていたような。


「これで、颯太君も助けることができた。この好意におびえる世界から。」


 舌の上には、丸い固形物がある。麻衣の唾液が絡まったそれは、するりと僕の喉を抜けていった。


◇◆◇


 データは十分集まった。人々の好意の感じ方はコントロールすることが可能だ。好意を感じるパターンが分かれば、あとは装置を改良することで、薬など使わなくてもコントロールできる。


 人々はかつて、周りの評価、好意を気にし、心は疲弊していた。他人に認められたい、自分が愛されたいという欲求は、自分の力だけでは時には成し遂げられず、そのギャップに多くのひとが苦しみ、中には自殺する者だっていた。私の愛しい妻のように…


 だからこそ私は、誰にでも優しい世の中を実現することを、自分に誓ったのだ。これからは、常に100の好意を周囲から受け、悩みなど抱えず生きていくことができる。


「なあ、颯太。おじいちゃんの好意、いくつだ?」

「100だよ。じいちゃん、僕を愛してくれてありがとう。」

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