第8話 くみこチャンネル

 私、木下久美子は専業主婦である。夫の徹也と娘の志保との三人暮らし。商店街のくじ引きで当たった三等の目覚まし時計で起床し、五年前に新調したダブルベッドに夫と包まれるまでの一日は、ごく平凡であり、波風が立たない日常の中で感情の起伏なく生活していた。

 私はそのことに、特別不服があるという訳でもなかった。生まれてこの方、何かをしたい、成し遂げたいと考えたことは無く、どちらかといえば不幸なく一生を終えたいという願望があり、わざわざリスクのある挑戦をしようとは思っていなかった。


 しかし、私はいま、ネット配信『くみこチャンネル』を開設している。なぜ、人生に受動的だった私が、ネット配信で世間にさらされているのか。事の始まりは娘との会話だった。


「ねえ、お母さん前に、生徒会長だったお父さんの好意を自分に向けるよう頑張ったって話してたじゃん。」

「ああ、そうね。あの時の私は今考えると不思議なくらい活動的だったわ。」

「それ、大学の友達に話したんだけどさ、そしたらすごい興味持ってて、どうやったら好意があがるのか、教えてほしいって言ってたよー。」


 今の時代、人からの好意が分かるようになってから、自分が受ける好意を如何に高めるかという関心は、確かに高まったように思える。テレビや新聞などのマスメディアでは好意に関する議論が毎日のように報道されているし、通販の決まり文句は『好意が○○%上昇』だ。好意は人間の承認欲求に働きかけ、いまや人類共通の関心ごとであると言える。


 まず私は、自身のブログに高校時代の話を投稿した。ブログ活動は10年前から日記替わりに毎日行っていた。普段は家庭菜園、料理などの趣味の話や、妻としての不満なんかを冗談交じりに投稿していた。10年続けていたこともあり、ブログの定期的な訪問者は50人程度いた。恐らく私と同じ40代主婦層の読者であると思われる。

 高校時代の話は、私の想像以上の反響だった。追加エピソードを待ち望む声が上がり、次第に増え、私は1週間後に、別のエピソードを投稿した。その日の訪問者は既に200人を超えていた。

 そんな具合にブログ投稿を続けて半年が経過した頃、家に一通の電話があった。相手は大手芸能事務所のプロデューサーだった。


「私、モシモプロダクションの鬼頭と申します。本日は人気ブロガーのくみこさんにご依頼させていただきたい案件がございまして…」

「人気だなんてとんでもない。依頼ですか…」

「ご謙遜を。いまや某ブログサイトのジャンル別ランキング『好意部門』で首位のあなたを、人気ブロガーといわずなんと表現できましょう。はい、実は弊社で運営しているYourtubeチャンネルにゲスト出演いただきたいのです。」


 話によると、毎回様々な分野で活躍する、好意の高い人材をゲストで呼び、そのノウハウを視聴者と共有する趣旨の番組のようだ。今回私は、主婦兼人気ブロガーとしてゲスト出演を依頼された。

 冒頭でも語ったように、リスクを最小限に抑えたい私は、ブログでさえも取り返しのつかない地位に浮上してしまったことに対して若干の後悔を抱いていたのだ。その上Yourtubeとはいえど、メディア出演などもっての外であり、その日私は当然のように丁重にお断りした。


 鬼頭はあきらめの悪い男だった。電話の回数は日に日に増え、耐えられなくなった私は家族に相談した。


「え、お母さんすごくない?人気ブロガーだったんだ。」

「そうだぞ。ここ1か月は父さんよりアフィリエイトで稼いでいるんだぞ。」

「お父さん、仕事辞めちゃえばww」

「Yourtubeタレントになって、さらに有名になったら父さんマネージャーに転身しちゃおっと。」

「いいねww」


 結果、完全に逆効果だった。家族は私の出演を強く推した。話しているうちになんだかどうでもよくなり、次の日鬼頭の出演依頼を許諾した。


「…ですから、人間関係には利害関係が根底にあるんです。相手に利することを心掛け、逆に害することを避けることで、自然と好意は上がっていきます。」

「なるほど。利害関係って情とは程遠い関係性だと思うのですが、人間関係の根底は情ではないという見地に立たれているんですね。」

「はい、もちろん情に訴えかけることは、人間関係に有効であると言えますが、根底の判断基準には、無機質な利害関係が存在しているんです。例えば…」


 Yourtubeでみる私は、ファシリテーターと対等に議論していて、なんだか普段の私とは別人のように感じた。家族も同様の印象を受けたようで、気のせいか、どこか私への崇拝心のようなものが芽生えている気がした。


 チャンネルは大盛況で、視聴回数は200万回を超えた。その日から我が家の電話は鳴りやまなくなり、私は鬼頭の言われるがままに、モシモプロダクションのタレントとして契約を結んだ。まさか齢45にして、タレントデビューするとは思ってもみなかった。


 そうして、くみこチャンネルは開設するに至った。50万人をこえるチャンネル登録者がおり、アンチもいるが私を支持してくれる人は数多い。中には熱狂的な信者もおり、一部では私は『くみこ様』などと呼ばれているようだ。私の稼ぎは夫の5倍に伸び、代わりに家事に手が回らなくなったので家事は夫に交代した。夫は会社を辞めた。もう後戻りはできない。決意を胸に、今日も私はタクシーに乗りスタジオに向かう。


◇◆◇


「くみこ様、今日もお美しい。彼の方はまるで天上から遣わされた、使徒のようだ。」

「言い得て妙だ。彼の方は正しく我らを導かれる。絶対的好意の境地へ。」

「同志よ、彼の方を崇めよう。今ここに、『くみこ教』の開宗を宣言する。」


 くみ子教は科学の犠牲を招集する絶好の場となるだろう。わしの、いや、人類の幸福のための必要な糧になるのだ。

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