戦いの後で
「どう?落ち着いた?」
さきほどまで筋肉隆々のカンガルー怪人だった人物は、眠っている男の子を大事そうに華奢な腕で抱きしめる女性の姿に戻っていた。
凛の問いかけに小さな声で「はい」と答えたが、まだ少し息が整わないようで時々嗚咽が混じっている。
凛はそんな彼女の頭をふわりと撫でて、落ち着かせる。
そんな姿を見て僕は、僕の下にいるゆきちゃんに声をかけた。
「ゆきちゃんは、凛みたいな強くて優しいママがいていいね…」
素直な感想だった。戦いの最中の言葉遣いや言動はまぁ問題があったが、心の浄化に関してはパーフェクトだった。やはり凛は魔法少女にふさわしい。ちょっと魔力が強すぎるのが心配だけど…。
ゆきちゃんの頭からするりとおり、ちらりとゆきちゃんを見ると、男の子の方を見ながらなんだか悲しそうな顔をしていた。
「どうしたの?ゆきちゃん」
「…りん、まま、ちゃうよー」
「ん?」
「…りん、まま、ちがう…」
「…ちがう?」
変身してるから凛が凛だとわからないのは、そうだけど、凛がママじゃないって一体…どういうことだ?
「よっしゃ!お母さんの方も落ち着いたし、旦那さんの方、ちょっと殴らせてもらいますね♩」
僕がゆきちゃんの言葉に戸惑っている間に、いつの間にやら泣き止んだ女性に、凛が突然の暴言を吐き出した。
あ、それ、忘れてなかったんだ…。
「凛、待って、せめて変身解いてからじゃないと旦那さん、絶対殺しちゃうよっ!」
ただ一歩の歩みであれほどの破壊をもたらした凛の魔力だ。怪人でもないような一般人を殴ったりなんかしたら、相手はきっと塵と化すだろう…。
「えー、でもいくら心が浄化されたからって、今までのワンオペ育児生活に戻ったら、流石に厳しいものがあるよ。また、怪人になってもおかしくない…」
「ワンオペ?」
頭の中に手術着を着て、隣の助手にメスを要求する犬が浮かんだ。
「ワンオペって言うのはワンオペレーションの略で、1人で育児したりする状況でよく使われる言葉だよ。今社会問題になったりしてる。この人たちの場合は、共働きなのに旦那さんが全然育児も家事も手伝ってくれてなくて、お母さんの負担が重すぎなのが問題かな…?」
頭の中の犬が1人でバタバタと子どもの世話や仕事をする姿に変化する。
「そのビジョンを見て、凛はさっきあんなに旦那さんに対して怒ってたのか…」
「そゆこと、ただ全部丸投げされてるだけならなんとか頑張れるかもしれないけど、必死に頑張ってるのに文句まで言われちゃーね…。流石にクルものがあるよ…。私だって同じ状況だったら闇落ちしてたかもだし…」
凛が怪人になったことを想像してみると、一瞬で地球を終わらせることが可能そうで、身震いした。そんな恐ろしいイメージはブンブンと頭を振って追い払う。ゆきちゃんも例のごとく真似をしていて可愛いかった。
「ともかく、魔法少女としての仕事はここまでだよ。ここから先は本人が変わるしかない…」
「うーん、そうよね…仕方ないか…。人様の家庭事情に口出すのもね…」
そう心が闇に染まることは誰だってあることだ。それとの戦いは本人にしかできない。
僕と凛は女性を見つめる。
僕らの会話を静かに聞いていた彼女の瞳には、今までにない輝きがあった。
「私…わたし、変わりたい!もう、この子に酷いこと言ったり、当たったりしたくない…」
眠る我が子を愛おしそうに見つめ、静かにそう願う母親の姿は輝かしかった。怪人になった後もなお、子供のことを第一で行動していた彼女だ。きっと、何とかなるだろう。
凛はそんな願いを受け止め、彼女を優しく包み込み、優しく微笑みながら言う。
「そうね…。ならまず旦那を一発殴ろうか?」
=====
先ほどの騒ぎの影響か、わずかに人が減った公園には、戦いの痕跡など何も残っていなかった。と言っても、怪人は何も破壊はしていなかったので、凛のやらかしたことを無かったことにしただけに過ぎない。これはもちろん魔獣である、僕の力によるものだ。
遠くの方にはお母さんが、レジャーシートに正座している旦那さんに、腰に手を当てぷりぷりと怒りながら、何やら話しかけているのが見える。男の子もママの隣に立って腰に手を当てて真似をしている。ちなみに、あの旦那さん、正座する前には、寝っ転がって眠っていた。その胸ぐらを掴み、叩き起こして、頰に目覚めの一発をお見舞いしたのは、あのカンガルーだった、彼女だ。怪人の時の方がむしろおとなしかった…。
「凛、なんであんなこと言ったのさー」
凛の発言によってもたらされた暴力を見るに見兼ねた僕は、先ほどの発言の真意を問うた。
「んー?」
凛は、元の平和な風景に戻った公園で、相変わらず砂遊びに興じるゆきちゃんをニコニコと眺めている。
「だってさ、あの人、優先順位がめちゃくちゃだったんだもん」
「…優先順位?どゆこと…?」
「あの人は、自分のことを優先したり、自分のために何かすることを悪いことだと思ってたの…常に子供、旦那、仕事、家事って、自分のことを蔑ろにしすぎてたんだよ」
「それと一発お見舞いするのに何の関係が…?」
「わかんないかなー?殴れば痛いじゃない?殴られた方もびっくりするし、お互い正気に戻るのにはいいのかなーって思ってさ…。彼女は特に彼女自身のことを思い出して欲しかったしね!」
「ふむ…わかったような、わからないような…?」
「育児は1人じゃ無理が多すぎるの…。協力し合うにはお互い対等でいないといけないんだよ。なのに彼女は自分の価値を下げすぎていたんだよ…。母親失格って言ってね。あんなに頑張ってたのに…。だから対等になるようにしたかったの!あとは単純に私がムカついただけ…」
あっ、本音はこれか…。
「そうか…」
対等に…。それが大事だったのか…。
僕も子育て中で大変なのに契約を頼むときに、僕側の都合ばかりを押し付けてしまっていたなと反省した。
そしてニコニコと何やら嬉しそうな凛の視線の先を見ると、レジャーシートで正座しながら項垂れている旦那さんの頭を優しく撫でる彼女と男の子の姿があった。
「一件落着ってね!」
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