決着
「はぁ?旦那、クソかよ!」
「ちょっ、言い方!」
まだ眠っている、もとい気を失っているガンガルーの横で凛が、怒りを露わにしている。
「ちょっとこの人の旦那探して、殴ってくるわー」
指も首もゴキゴキと鳴らしながら、犬歯をむき出しにしている魔法少女の姿は、なかなか拝めるものではない。
正直、怖スギィ…。
「り、凛。とにかく一旦落ち着いて。まずは怪人になってしまったお母さんの心を浄化しないと…」
「チッ…たしかにそうだね。殴るのは後からでもできる…」
舌打ちもさることながら、殴るのは確定なんですね…。とても魔法少女のセリフとは思えない。凛は一体ガンガルーママからの記憶に何を見たんだろう…。
イライラを押さえつけて、ふぅと息を吐いてから、
「説得して浄化させるには起きてないとだね…」
ちらりと、眠っているカンガルーを一瞥した凛は、腕に抱いていた男の子のほっぺたをフニフニと突き始めた。
「ほれほれー♩」
なんだか少し楽しそうだけど、男の子の方は不快なようで、眉間に皺がより、身を捩り始めた。
「凛、一体なにを…?」
今は遊んでる場合では…そう思った瞬間、火をつけたように男の子が泣き始めた。どうやら不快感が限界値を超えたようだ。
男の子の泣き声はとてもパワフルだ。前に子守をした時も耳元で泣かれた時は、しばらく耳がおかしくなってしまったほどだった。
『もー、泣かせてどうするのさ』
『まぁ、見てて、あのお母さんなら大丈夫』
泣き声に掻き消されないように、脳内での会話に切り替えて、凛の考えを聞いてみたけど、いまいち凛の狙いが分からなかった。
しかし、次の瞬間に僕は理解した。
カンガルーの目がパチリと開き、さっと立ち上がると、凛から子どもを素早く受け取って抱きしめたのだ。ゆらゆらの体を揺らしながら、背中をとんとんと優しく叩きはじめると、男の子はまたすぅと眠りについた。
これが狙いだったのか。
「さすがママだね!」
凛が変身前に見せたような優しい笑顔を、男の子を申し訳なさそうに抱くカンガルーに向けた。カンガルーはかぶりを振って否定する。
「私はダメな母親です…」
消え入りそうな声でそう呟いた。
—あ、喋れたんだ…。
凛と僕の感想が一致した。
「そんなことないよ!全然ダメなんかじゃない!」
凛がガシっとカンガルーの肩を掴んで、目を真っ直ぐ見つめ、自信たっぷりに言う。
「あなたは偉い!すごいがんばってる」
ガンガルーは俯いて、蚊の鳴くような声で答える。
「でも、この子に当たったり、家事ができなかったり…母親らしいことなにもできてない…」
闇の魔力が色濃くなった。
そんな闇を照らすように、凛が温かな言葉で説得を続ける。
「あなたは真面目すぎるだけ、全部しなくていいんだよ、ていうか全部なんてできないよ!」
「でも、私…」
イラッ!
—あ、凛が切れた。
僕はゆきちゃんの耳を塞ぐ前足達にそっと力を込めた。
「てめぇ、でもでもってウルセェんだよ!なんなんだ?かまってちゃんか?」
突然態度が変わった魔法少女に怪人がタジタジするという不思議な光景が目の前で繰り広げられている。
「でも、事実だし…」
「確かにあんたからみたらそうかもしれない い。でもこっちからみたら、あんたは十分がんばってんだよ!その証拠がこの子だよ!」
凛は眠っている男の子を指差して続ける。
「あんたは覚えてるかわかんないけど、そんな姿になっても、あんたはずっとその子のこと守ろうとしてたんだよ!それに、記憶勝手にみさせてもらって悪かったけど、あんたは常に子供最優先にしてるから!」
凛の説得に簡単に応じず、ダンっと力強く地面を蹴りつけてカンガルーは吠える。
「そんなことない!大切にできてないからこの子に当たったらするんだもん!」
「違う!」
凛も負けじと吠える。
「あんたはどうしたらいいのかわからないって言ってたけど、一番大事なことが見えてないだけ!」
「なにそれ…?」
男の子を抱く腕に力が込められた。
「育児、子育て。それが一番大事なこと。あなたはそれがちゃんとできてるんだよ。そこから目をそらして、できてないことばかり見てるから辛くなる」
「どこができてるっていうの…?」
「なら、逆に聞くけど、なんで子供が泣いたら抱っこするの?抱っこから降りたくないって言ったら抱き続けるの?ぶーぶって言ったら疲れててもドライブに連れて行ってあげるの?なんで、怒った日は泣いてその子に謝るの?どれもこれも放っておけばいいじゃない?家事ができないなら、その子を放置して皿洗いなり、掃除なり、なんだってしたらいいじゃない?抱っこって泣いたって床におろして放っておけばいいじゃない?でも、あなたはそうしない…。ねぇ、なんで?」
「それは…この子のことを…」
凛は優しく微笑み、カンガルーを優しく抱きしめる。
「その子のことを?」
嗚咽とともにカンガルーは答える。
「この子のことを、愛してるから…。泣いてると、こっちまで悲しくなるから。喜んでるとこっちまで嬉しくなるから。私は、この子のことが大好きだから…」
闇の魔力が徐々に弱くなってきて、ガンガルーの姿に被って元の姿が現れ始めた。
「そう、あなたはそこを見失ってたから、心が闇に染まったんだね」
凛は変身してから初めて、魔法少女みたいなことを言った。そして指輪をコツンとカンガルーの額に当て呪文を唱える。
「
指輪から温かみのある光が溢れ出す。まるで陽だまりの中にいるような感覚だ。その光の中に小さな嗚咽が混じる。
凛は震える肩を優しく抱き寄せ
「大丈夫、大丈夫」
と、背中をポンポンと叩き、落ち着かせる。
子どもを大切に思う母親の泣き声が小さく響く日曜日の公園にはカンガルーの姿はもうなくなった。
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