怪人の誕生

 平和な日曜日の公園。楽しそうに遊ぶ親子。親子。親子。心穏やかになるはず、なるべき…。でも…もう私は疲れてしまった…。


 —なんで?なんで?私ばっかり…。


 自分から張り付いて離れない息子。可愛くないわけじゃない。でも、どうして他の子みたいに親から離れて遊べないのか?

 もう歩けるのに、なんなら走れるのに…。

 走り回って楽しそうに遊んでいる子たちとついつい比べてしまう…。


 そして何より、どうして主人は人に作らせたお弁当を食べたら、さっさと寝てしまうのか?ピクニックシートの上で呑気に寝ているそいつを憎々しげに見下ろす。

 お弁当を作っている時だって、息子のお守りも1秒たりとてしてくれなかったのに…。


 たしかに平日は残業もして、仕事が大変なのはわかる。でも、私だって時短勤務とはいえ働いている。本当ならば今日は家の掃除をしたかった。だからお弁当もお守り片手間に頑張って作った。

 お弁当を渡しながら、行ってらっしゃいと言うと主人は不思議そうな顔をして、お前も来るんだよと言う。そして平日帰ってきた時に家の中が荒れていると、なんで掃除してないのと言う。


 —もうどうしたらいいかわかんないよ…。


 主人のそばにいるのも嫌なので遊具の方へ歩き出す。遊具のそばに行けば息子も遊び出すかもしれない。

 ズシリと息子の重さが体に染みて気分もすっかり重くなる。


 家のこともまともにする時間が取れない。

 仕事の時も、周りから時短勤務や突然の子供の体調不良のことを遠回しに嫌味を言われる。主人は子育てを手伝ってくれない。私は一体どうすればいいの?


 育児?家事?旦那の世話?仕事?


 そんなイライラを息子にぶつけてしまうことが最近増えてきた気がする。


 平日お仕事でママと離れてるから一緒にいる時はいっぱいいっぱい甘えさせてあげよう。保育園に入園させた時はそう思っていたのに…。

 保育園からお迎えに行き、家に帰って来てから、息子は抱っこから降りようとしない。だから、片手で夕飯の準備をする。もう米袋分ほどの体重をずっと片手にだ。

 やっとご飯の準備ができて離れてくれても、食べこぼす。立ち歩く。遊び出す。注意をすると癇癪を起こす時だってある。

 前は笑って許せた。

 でも最近は、カッとなることが多い。くどくどと責めてしまう。

 意味がないことはわかっている。ただのストレス発散だ…。


 —最低な母親だ…。


 少しずつ言葉が出てきた息子は、私が酷い言葉を口にすると、悲しそうな顔をする。

 言っていることはわからなくても、きっとマイナスな言霊を感じ取っているんだと思う。


 子供は繊細だから…。


 —わかってる。わかってるけど…。私だって余裕がない。


 帰ったら自分と息子の食事の準備。それが終わればお風呂に入れる。少し遊んで、寝かしつける。寝かしつけには時間がかかる。同じ絵本を何回も何回も読み聞かせ。ぶーぶと言われれば車でドライブをする。やっと寝かしつけたら、今度は仕事から帰ってきた旦那の夕食を準備したり、話し相手になったり、翌日の朝食と夕食の準備をする。

 全部の作業が終わるのは22時を過ぎた頃だ。

 そして旦那は、俺にもっと構ってくれと言う。自分の時間なんてない。休みの日だって旦那は出かけてしまうことが多く、息子の世話を1人でしていて、家事の時間だって取れない。


 息子のことを理不尽に怒ってしまった時は、毎晩毎晩、泣きながら寝顔に謝る。

「ダメなママでごめんね…」

「もう二度と怒鳴らないよ…」

「明日は、一緒にいっぱい笑おうね…」


 でもその約束は守られない。

 —だれか、助けて…もう耐えられないよ…


「あんた、なかなかいいオーラしてるね。俺が助けてやるよ」

「えっ?」


 私の心の声に返答した声が、随分と地面に近いところから聞こえてきた。

 声の発生源に視線を向けると、首にひび割れた大きな水晶玉をつけた黒猫がいた。左目は黄色で、右の目は怪我をしたのか、傷で塞がっていた。


 —疲れすぎてるのかな?まさか、この黒猫が話すわけない…。


 黒猫は、私の周りをくるりと回り始めた。

 それを目で追う。腕の中で息子も釣られて一緒に見ている。動物が好きだから、小声でにゃんと言いながら、ニコニコしている。


「この世界では猫が話すのはありえないことだもんな?そう思うのは仕方がない。でも生憎、俺は猫じゃない。まぁ、それは置いといて…あんたの、そのどす黒い気持ちは頂いていくぜ!」


 黒猫が1周回り終えるのと同時に、ひび割れた水晶が光り出して、私の周りに先ほどの黒猫の軌道をなぞるように、光る円形の模様が現れた。


「えっ?なにこれ⁉︎」


 逃げようとしても身動きが取れなかった。黒猫は円の外からこちらを満足そうに眺めている。

「安心していい。あんたは、そのどす黒い不満を吐き出すだけでいいんだから…」


 私を取り巻く光が強くなる。はっと腕の中にいる息子を見る。息子も不安そうな顔をしている。

 ぎゅっと息子を抱く腕に力を込め、目を閉じた。


 —守ってあげられなくてごめんね…。私は…私は本当にママ失格だ…。


 そこで私の記憶は途切れた。




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