番外編 玃猿という妖獣と、その対策

 玃猿(かくえん)という妖獣がいる。

 一六〇センチ前後の猿に似た姿をしており、二足歩行。主に山奥に生息している。

 普段は人里まで降りてくることはないが、ある時期になると、稀に見かけることがあり──。


「と、いう訳で。炭中泉付近で玃猿の目撃情報がありました。緊急性が高いため、本日午後から警備隊と対応に当たるため、対策とメンバー選出をします」

 妖獣保護センター、朝。朝礼も程々に、多くの職員が会議室に呼ばれて説明を受けていた。張景も若干ぎちぎちに揉まれつつも部屋の後方で立って話を聞いている。

 会議室の最前では、雲中子自らがホワイトボードにどんどんと文字を書きながら説明を続ける。

「目撃情報は八十年ぶりだから、知らない職員もいるし説明からするネ。玃猿は臆病なので普段、山奥にいて人里に降りることはほぼないヨ。だけど秋……繁殖期になると、一部の個体が繁殖先を探して降りてくる場合があります。はい、じゃあなんでこれが危険なのか、若手の中で──景クン、考えてみて」

「えっ、僕ですか?」

 突然指名されて驚くも、張景なりにしばらく考え、

「繁殖期、ということなので、興奮して危害を与える可能性があるから?でも警備隊と連携してまで対策する理由まではわかりません。申し訳ないです」

「大丈夫、半分正解だヨ。問題は危害の加え方なんだけど……」

 雲中子はホワイトボードに、ざっくりとした玃猿の絵と身体の特徴を書く。

「まず体調。約一六〇センチ。人間とほぼ変わらない野生生物で、これだけでも十分危険。もう一つは、こいつらはオスの個体しかいない」

「……と、いうことはもしかして……」

「うん、こいつらは人間の女性を攫って孕ませます」

 その一言で、室内が一気にどよめく。一部の女性職員に至っては、顔が青ざめている。

「なので、危険度は妖獣の中でもかなり高い二等級だ。だけど対策はある」

 雲中子はニコリと笑い、

「こいつらは臆病なうえに、他種族の男を嫌う。だから、男がこいつらの巣の近くでとびきり驚かせたらいい。そうしたら玃猿同士のネットワークにこの地域は危険だという情報が出回って、山奥に逃げ帰る。有害だからといって駆除するのは生態系を壊しかねないからネ。なるべく穏便に帰ってもらおう」

 すると職員の一人がすっと手を挙げた。小柄な少女風の女性──ベテラン職員の一人、蘇紅玉だ。その佇まいは、会議室の空気に呑まれず堂々とかつ凛としている。

「所長、もしかして前回の、あの作戦をするんですか?」

「……ああ、一部の職員には大変迷惑をかけるが」

 ──その時、ベテラン勢がどよめきだす。ある者は安堵し、ある者は顔がひきつる。そして蘇紅玉含めた一部の職員はガッツポーズを取り、

「作戦名『トールの嫁入り』、これから男性職員を選別して、女装してもらいます」


・・・・


 作戦は以下の通りである。

 囮となる男性職員に、男とわかりにくくする術をかけ、山に入る。玃猿が近付いてきたところで驚かせる。これを数人で、近隣地域で繰り返す。以上。

 保護センター男性職員は、拒否権なしの選抜を受け、女性職員によりメイクと着替えを急ぎ施されている。

 張景はこの作戦に不安を覚えたが、実際、過去に何度か実行して成果を上げているので反論のしようがない。意気揚々と選抜を行う女性陣を見ながら、張景は不思議そうに徐栄に尋ねた。

「……女性って、なんで男に化粧するとなるとあんなに盛り上がるんですか?」

「……知らん。女衆に聞いてくれ」

「怖いからやです」

「俺も怖い」

 そう言い残し、徐栄は女性達の気に負けてトボトボと業務に戻って行った。

 なお張景はというと、

「景クン身長いくつ?センチメートルで一七五越える?」

「え、ええ。一七七センチぐらいだったかと」

「そっかァ、残念。多少誤魔化すといってもデカすぎると怪しまれるから、景クンは術かける係のフォローに入ってヨ」

 と、晴れて作戦から外された。張景の今年の良かったことベスト五に堂々のランク入りである。

「チッ……。化粧映えしそうな肌してるのに」

 そんな呟きがどこからか聞こえたが、聞こえなかったことにした。

 選抜開始から三十分後、哀れにもお眼鏡にかなってしまった男性職員三名は別室で準備をトボトボ進め、通常業務へ戻る職員が出始めた頃。雲中子は眉を寄せながら悩んでいた。

「もう一人ぐらい欲しいな。山側の警備隊は獣頭の子達が多いから、できるだけウチで揃えておきたいのに」

「雲中子様は作戦に参加しないんですか?」

 張景は服に貼るために呪符を作る作業を止め、雲中子に尋ねた。

「はっはっは。もちろんするとも、司令としてネ。だから実行部隊に参加はできないかナ」

「ええ、なんかずるいです」

「なにかあったら責任を負うのもボクだからネ。そこらへんは勘弁して欲しいナッ!しかし、思った以上に今の職員は小柄な子があんまりいないネ。この際、幻術が使える子に……いいやでも、匂いをつけないといけないから……」

「小柄な……、あ」

 張景が思わず上げてしまった声に、雲中子は思案を中断して視線を向ける。しまったと張景は咄嗟に口を噤むが、すでに他の女性職員数名に気付かれたらしく、こちらを見ている。

 その異様な空気にほかの職員も気付き、徐々に視線は張景の方へ。これはもう、『なんでもない』と言える空気ではないと悟った張景は、声を強張らせながら罪悪感をたっぷり含んだ声色で告白した。

「……あ、兄さ……スイさんの身長、確か一六二センチだったなって……」


・・・・


「うおーーーー!!離せ!降ろせ!!はーなーせーー!!」

 数十分後、そこには徐栄と張景に担がれ運ばれるスイの姿があった。両手足はなぜか縄で拘束されている。スイは元気いっぱいに暴れているが、二人とも息も絶え絶えだ。

「すまん、スイ……。女衆を……敵に回したくないんだ……。俺達の贄になって、くれ……」

「ご、ごめん兄さん……。今度、山楂糕、奢る……から」

「割に合わねー!」

 暴れるスイを化粧室に放り込んで急いで扉を閉め、とりあえず──手を合わせておいた。もちろん二人とも仏教徒ではないのだが。

「二人ともご苦労様。……大捕物だったみたいだネ」

「はは……。危険察知能力とステルス能力すごいっスよアイツ。ニンジャかなにかっスかね?」

「相変わらず……全然捕まらなかったんです……。挟み撃ちでどうにか……。ところで前回は参加していなかったんですか?あの様子だと」

「前回は天明の八時間縛りがあったから、最初から除外してたんだヨ」

「なるほど……。今回は裏目に出たんだ……」

 張景は壁にもたれかかり、ずるずると床に座り込んだ。かなり本気で疲れたらしく、徐栄も隣で壁にもたれかかって休む。雲中子は苦笑して、

「キミたち、仕事に戻りなヨ?」

「……捕獲者の権利を主張します」

「仕方ないなァ。終わるまでこっち手伝って」

 と、スイの悲鳴を背中に受けつつ近場で片付けを手伝うことになった。

 二十分ほど経った頃だろうか。メイク担当をしていた蘇紅玉が勢いよく扉を開けて出てきた。と思いきや同じぐらい勢いよく扉を閉めて、

「駄目!!これは表に出せない!!」

 突如そう宣言され、男性陣は面食らった様子でその場で数秒ほど動きを止めた。

「い、いや、どうせ誤魔化すから見てくれは適当でいいんだケド……。誤魔化せないほどヤバかった?」

「逆です!少々盛り過ぎたのもありますけど、あんな美少女を野に放ったら男でも拐われる!駄目です出せません!」

「一言で矛盾が生じている」

 しかしその一言で、張景含めた周囲の職員がワラワラと寄ってくる。真っ先に前へ出てきたのは徐栄だった。いつの間にか手には一眼レフ(備品)が握られている。

「よし、出せないなら一目見せてくれ。あわよくば一枚撮らせてくれ。酒の肴に二十年は擦れる」

「嫌よ。あの子が嫌がるし可哀想でしょ!写真はあとで撮るけど!」

「また一言で矛盾が生じた」

 困った顔で笑う雲中子をよそに、二人は見たい見せないと言い合いがヒートアップする。周囲の職員も見たい見たいと加勢に入り、それに反応して室内に残っていた女性職員全員が出てきて阻止する。雲中子は「仕事してヨ」と呟くが、誰も聞かないので隅で肩を落としていた。

 その脇を腰を低くして張景が通り、扉越しにスイに声をかけてみた。

「……兄さーん、ごめんなんか大事になってきた。大丈夫?精神的に」

「…………死にたい」

(あ、本気のときの声だ)

 この兄、プライドだけは一丁前なのを張景は思い出し、一瞬背筋が凍る。

「み、みなさん!ちょっと待ってください!ちょっとマズいかも、少しお話させてください!」

 慌てて声を張り上げると、その剣幕に一同みな言い合いを止めてくれた。こういうときの皆の察しの良さに感謝しながら──張景は一度深呼吸をし、冷静に、穏やかな声で語りかける。

「兄さん、ごめん、僕が悪かった。笑ったりしないから、入っていいかな?大丈夫、外には出さないし、誰にも見せないよ」

 返事は返ってこない。それでもハラハラしつつ待っていると、

「…………本当に?」

 と、非常に弱々しいが、確かに声が聞こえた。

「本当だよ」

「……少し待って」

 扉の向こうで服の擦れる音が聞こえる。それはゆっくりとこちらへ近づいてきて、そして。


 カチャリ、と鍵のかかる音がした。


「あっ!鍵かけられた!!」

「なんでだよ!?足は縛ってたはずだろ?」

「着替えるときに外すに決まってるじゃないの!」

 ガタガタと扉を横に激しく引いてみるがロックはしっかりしておりビクともしない。ガンガンと扉を激しくノックするが、返事はない。

「お、おい!どうするんだよ、まさか窓から落ちたりしないよな!?二階とはいえ落ちたら……!」

「そ、それはないと思います。女装したまま自害は兄的にナシかと!に、兄さーん!何するつもり!?」

 やはり返事はない。代わりに、耳をすまさずとも室内からガコガコと机を引き摺る音がする。

「バリケード作ってるみたいです!」

「籠城するほど嫌だったのか!?」

「ご、ごめんなさい!メイク落とすから中に入れてー!」

「かかか、鍵!鍵取ってきます!」

「それよりも誰か解錠術使える人いないのっ!?」

「みんなー、仕事しようヨー」

 廊下に集まった職員達があれやこれやと騒ぎ出す。扉を開けようとしたり、反対側の出入口の鍵が開いていないか確認したり、解錠を試みようとしたり。

 張景は集まる人とは反対側に駆け出し、鍵を取りに行こうとした──とき、ある人物が向こうから歩いてくることに気付いた。その人物は張景に気付くなり、にこやかに手を振り、

「あらぁ〜、張景ちゃん、久しぶり〜」

 その人物は、緩やかなウェーブのついた髪をなびかせ、豊満な肉体をやたらパンキッシュな服と白衣で飾っていた。ジェニファー女医こと、痘疹娘娘だ。

「せ、先生。お久しぶりです。どうしたんですか?定期検診ならまだ先では……」

「南海村に行く用事があったから、ついでに様子を見にね?」

 南海村とは、文字通り桃源郷の南端に位置する漁村である。碧霞医院は里の西側、保護センターは桃源郷の東側にあるため『ついで』と言うには些か無理がある。

 厄病守護仙女の一人である痘疹娘娘が、兄を気にかけていると、張景はとても嬉しく思ったのだが、

「雲中子ちゃんにも用事があるから、行く前に不在かどうか千里眼で確認したら、聞き捨てならない事態じゃないの。すっ飛ばして来たわ〜」

 ──前言撤回。よく見たら目が狩人のそれだ。

「げ、お師匠様」

 蘇紅玉がジェニファー女医の存在に気付き、心底嫌そうに声を上げる。職員達は一斉に動きを止め──なにかを察して道を開けた。残ったのは蘇紅玉含めた女性職員だけだ。

 コツコツと確かに、しっかりとした歩みで部屋まで歩くジェニファー女医の前に、蘇紅玉が立ちはだかる。が、女医がふっと目を細めた途端、その身体は半透明となり蘇紅玉たちの身体をすり抜け──。

「しまった!」

 蘇紅玉が咄嗟に扉に防護の術を貼ろうとしたがそれより先に、ジェニファー女医は部屋の中へ入ってしまった。

 次の瞬間。

「……び、びゃああああーーーーッ!!!」

 部屋の中から悲鳴とも雄叫びともとれる奇声が聞こえたかと思いきや、目も開けられないほどの強い光が溢れ出した。

「何事ーーッ!?」

 十数秒にわたり光は廊下と部屋を照らし続け、やがて光は徐々に消える。そして普通に鍵が開き、ジェニファー女医が出てきた。しかしその顔は正気かどうか怪しく、目の焦点が合っていない。

「あ、あば、ば、ば、び、ばばばば」

 女医は痙攣しながら一歩、また一歩前進する。対して職員はほぼ全員警戒している。全員、半径二メートル程度は下がっていた。

「わ、わた、わたし」

 おぼつかない口調で紡がれる言葉は、明らかに動揺を隠せていない。しかし目はなぜか決意に満ち満ちており──正直なところ、職員の多くは恐怖すら感じていた。

 そしてジェニファー女医は何を思ったのか、

「わ……私が守らなきゃあの子を守らなきゃ私が、私が!玃猿を!退治する!!一匹残らず根絶やしにするぅーーーーーッ!!!」

 と、そう叫びながら廊下を疾走して行ったのだ。

「はっ!?まずい!みんな、お師匠を止めて!!止めないと本気で玃猿が駆逐される!生態系の危機よ!」

「ど、どういう事おぉぉぉ!!?」

 張景の叫びは、まさにその場の職員全員の代弁で。

 全員言われるがまま、必死になって女医の後を追いかけたのであった。

 唯一残った雲中子はやれやれと肩を落とすと、懐から携帯端末を取り出して電話をかけ、

「あ、ボクです。ごめん、女装班は待機で。もしかするとキミ達が出る必要なくなるかも。ホントごめんネ?今度埋め合わせはするヨ」

 電話を終えると、今度は例の部屋の扉に手をかける。先程ジェニファー女医が出てきたときから鍵は開いていたが。

「……さすが、逃げ足が速いことで」

 そっと扉を開けたが、そこにはもぬけの殻であった。雲中子は室内に入り、窓から空を見上げなながら一人ぽつりと呟く。

「仕事……して欲しいんだけどなァ……」


 その後。

 なんやかんやあって、ジェニファー女医こと痘疹娘娘は山中に突入。美しき女仙の気配を察知してに玃猿達が群がるものの、その怒気は凄まじく彼女と目が合った玃猿は修羅と目が合ったと言わんばかりに縮み上がり、近付く間もなく逃げ帰っていったという。

 しかし痘疹娘娘は玃猿をそれだけでは許さず追いかけ、途中寄ってきた玃猿も半泣きで逃げ回り、それはもう山の奥の奥の奥まで逃げていったという。

 この日以降、玃猿達は女性恐怖症になったのか人里周辺で見かけることは終ぞ無くなった。

 なお、この時の武勇(?)が口伝で広まり、しばらく山中で仕事をする人間に痘疹娘娘が描かれた木彫りのお守りが流行ったとか、なんとか。


 余談だが、スイは騒動が終わったあとに「語れば祟る」とだけ告げると、天明以外の職員全員と数日間一切口を利かなかったそうな。

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