第20.5話 重い男+α

 その日、スイは雲中子に拘束されていた。


 所長室にある、来客用のまあまあ上等な木椅子。手の自由は効くものの、両足を縄で椅子の足にがっちり固定されており、おまけに両脇には男性職員が二名。すぐに逃げることは困難。

「お、オレがなにしたって言うんだよ」

 困惑の表情を浮かべながら、スイは恐る恐る聞いた。その言葉を聞くなり、向かい合って座っていた雲中子は心底残念そうにため息をつき、

「自覚が無いんだネ……」

 と、椅子から立ち上がる。

「キミは、病気だ。治療が必要なんだヨ」

「嘘だ。オレは至って健康だ。治療の必要なんてない」

 スイがきっぱり言い切るも、雲中子は無言で首を横に振り、部屋の奥にある自身のプライベートルームへ一度姿を消す。

 程なくして戻ってきた雲中子が抱えてきたのは、大量の箱、箱、箱──。

 それを自身の執務机にドンと置き、

「訂正しよう。はっきり言ってキミは異常だ。──治療を開始しよう」


・・・・


 事の発端はほんの十分前に遡る。

 その日の勤務時間を一応終わらせて、雲中子は執務室でプラモデルを組み立ていた。

 元々雲中子は興味を持ったことは広く浅く、何にでも手を出す性分だった。給料が大幅カットされたことにより新規に趣味を開拓できないため、むかし買って積んだ物を消化している。

 幸か不幸か、ジャンル問わずかなりの量のコレクションがあるため、趣味に飽きることはない。

 パーツをヤスリがけしていると、ノックの音がしたため手を止めて応じる。

「雲中子、いる?本を返しに来たんだけど」

 やって来たのは、スイだった。張景が通常業務に戻ったことと、まだ天明が修行から戻ってきていないため、一人で。

「別に明日でもいいのに」

「読み終わった借り物が部屋にあるの、落ち着かなくて」

「相変わらずそういうところ、律儀だなぁ」

 スイは奥の部屋に行き、本を元の棚に戻すと足早に所長室を去ろうとして──立ち止まる。

「そういえばさ、雲中子」

「うん?」

「オレってさ、怪我は『治る』んじゃなくて『戻る』じゃん?血液とかも」

「うん、そうだネ」

「仮に死亡した後でも、臓器提供すると数日後に臓器が戻る可能性とか、あるかな」

「待って待って待って待って」

 雲中子はかなり慌ててスイの元へ駆け寄ると、急いで腕を掴んだ。スイはきょとんとした顔で雲中子を見上げ、

「え、オレなにか変なこと言った?」

「言った。少なくとも自殺未遂のあとに振る話題じゃないよネ!?」

 雲中子は鬼気迫る表情でぐいぐいと詰め寄ったが、スイは少し困ったように笑うだけで。

「やだな、怖い顔して。オレ、別にそういう意味で言ったわけじゃないって」

「そ、そうなの?じゃあ、一体どういう……」

「……通帳のこともそうだけど、オレにできる限りのことをしておきたくて。ほら、オレは一応妖獣だから、輸血とかそういうのはできないかもだけど、意思表示はできるだろう?万が一のときに役に立てばいいかなって」

「……本当に?」

「本当、本当。弟のおかげで助かったようなもんだし、変なことはしないって」

「そ、そう?」

 若干不安を残しながら、雲中子が手を離した──次の瞬間。彼は確かに口にした。

「折角の命、無駄なく使い切らないとな」


・・・・


 と、いう訳で慌てて拘束した次第である。

 ついでにたまたま通りかかった仕事終わりの職員にも協力を仰ぎ、とりあえず脇を固めてくれている。背がひょろりと高い青年風道士の徐栄と、厚いメガネがトレードマークの李根だ。

「ボクは、キミが怖い。そして心配だ。あまりにも身内に対する愛情が重い。もはや依存症の域だヨ。どうしちゃったの」

「それはこっちの台詞だ。オレは正常。なんもない。それよりも机の上の……なに?雲中子が積んでた趣味のやつじゃん。何をさせるつもりだ?」

「……見てコレ、無自覚だヨ怖っ。どう思うよ李根クン、徐栄クン」

「話を聞けよ」

 目をじとりと細めて訝しむスイをよそに、雲中子達は手招きをして職員達を呼び、ひそひそと相談を始めた。

「わわ、ワタクシは依存先をぶ、分散させるのがよろしいかと。た、大切なものが増えたら、精神的コスト、もそのぶん分散します」

「俺はとりあえず金を使わせるのがいいんじゃないかと思いますよ。通帳事件の真相聞きました?とりま金を減らせば、貯まるまでは余計な事考えないんじゃないですか」

「なるほどつまり、手っ取り早いのは……」

 三人の中で結論が出た途端、ほぼ同時にスイの方向へ視線を向ける。しかもやたら優しい笑顔で。当たり前だがスイはびくりと肩を強張らせて警戒していた。

「スイ!いまからボク達と趣味をつくろう!」

「なんでそうなった?」

 雲中子達の思惑は以下の通りである。

 依存先を増やし、適度に金を使わせること──即ち趣味の獲得である。人間、大なり小なり趣味を継続するには金がかかる。それが複数あればなおさらであるし、どれかが継続不能になっても『なら元の生活に戻るか』と極度に身内に奉仕することは減るだろう。

「だいたい、仕事が無くなってすることが、読書と運動ぐらいって不健康だヨ!趣味のない定年退職後のおじいさんと一緒!」

「じいさんだけど……」

「す、スイ。そういう精神がダメだと、しょ、所長は仰っています。もっと、じ、人生の楽しみを、増やして欲しい、と」

「そうだぞ。俺達もお前がすっかり大人しくなって寂しいんだ。なんでもいいから、楽しいことを見つけて欲しいな」

「……む」

 説得されて、渋々といった様子でスイは頷いた。それを見るなり雲中子はぱっと表情を明るくして、

「じゃあ手始めに、積みに積んだボードゲームやろう!ちょうど四人いるし!二人もいいよネ?予定ある?」

 自分がやりたかっただけではないか。三人はその言葉を胸にしまい、雲中子の提案通りに二時間ほどゲームに興じることとなった。

 全員長命ゆえに、囲碁や麻雀などの経験はある。いくつかゲームを触ったが、どのゲームもルールさえ理解すればそれ以降の飲み込みは早く、激しい攻防繰り広げる白熱した戦いになったが──ここでは割愛する。(途中、雲中子が「楽しいよォ……」と感極まって半泣きになったのを、全員で慰めたことのみ記述する。)

 途中、休憩を挟みそれぞれの趣味について話しもした。

 ただし、当のスイ本人は終始どこか乗り気ではないようで、ほかの三人に調子は合わせるものの時折時計を見上げていた。

「……ゲームは楽しめなかったかい?」

「いや、楽しいよ。その、そろそろ天明が帰ってきそうな時間になってたから、つい」

 これは半分嘘で半分本当だと、雲中子は直感した。ほか二人は気付いていないようで、それぞれうんと肩を伸ばしたり腕を回したりしている。

「もうそんな時間かぁ」

「な、長居、してしまいましたね」

「二人ともありがとう。よかったらまた付き合ってよ。オレはそろそろシャワーに行かないと。……あと足、いい加減解いて」

「わ、忘れてた!言ってくれたらいいのに!」

 もうすっかり解散ムードになり、スイは礼を言ったあとに駆け足気味で部屋を後にした。残った三人は肩を落とし、

「……今度、俺の休みのときに登山でも連れていきましょうか?」

「わ、ワタクシも、秋のえ、演奏会のチケット、興味があるなら、よ、用意しますので」

「うん、二人ともありがとうネ。少し考えてみるヨ」

 職員の二人も挨拶をして出て行く。残された雲中子は椅子に腰掛け、ふぅと短いため息をついた。

(……エゴなのは、わかってるんだけどね)

 長年彼を見てきたからこそ、会って間もない頃に感じた違和感を思い出す。昔、わが子に出来なかったことをしようと足掻いている、自分の愚かさも自覚している。

 それでも、先程彼に向けた言葉は本心なのだ。本気で心配しているつもりではあるのだが、そのぶん空回りがもどかしい。

 そんなことをぐるぐる考えていると、扉が二回ノックされた後に開く。中に入ってきたのは天明だった。いつもの帰還報告だが、彼一人で入ってくるのは珍しい。

「おや、おかえり。一人で来るのは……ああ、そういえばスイはいまお風呂か」

「……扉越しに、先にここに来るよう、言われた」

 天明はちらりと室内を見渡すように視線を巡らせ、

「いま、廊下でスイの話をしていた。何が、あった」

「あ、ああ。いやなに、大したことじゃないんだけど……、スイには内緒ネ?」

 雲中子は、(冒頭の危険発言は敢えて避けて)ざっくりと先程までのことを説明する。天明はただ静かに聞き、ひとしきり聞き終えたところで僅かに首を傾げた。

「……スイに、金を使わせる、と?」

「あくまで、自分の意思で、楽しいことに使って欲しいんだヨ」

「わかった」

「でも無理強いはしたく……ン?わかったって、何……が」

 雲中子が言葉を言い終える前に、天明は自身の胸元を掴み──派手な音を立て自らの服を何の躊躇いもなく盛大に破った。

「な、な、な、なにしてるの〜〜〜〜!?」

 目的の意図が見えず、雲中子が慌てふためいていると、再びノックの音がして扉が開く。入ってきたのは、寝間着姿のスイだった。

「なんだ、大きな声出して……うわっ!?どうしたんだよそれ?」

 スイも驚いた様子で近付いて来るが、当の天明は眉ひとつ動かさずいつもの淡々とした口調で答える。

「壊れた」

(壊した、では?)

 喉まで出かかったツッコミを、雲中子は寸前のところで抑える。対してスイは服を触りつつ破損具合をしばらく確認すると、雲中子に向き直った。

「こりゃ直すの難しいや。雲中子、悪いけど新しい服をいくつか頼んでおいてくれないか?費用はオレが出すから」

「……へ?い、いいケド、天明のは仙界製の高耐熱服なの、知ってるよネ?」

 天明の服は普通の素材だと、その体質のせいでいざというときに燃えてしまうおそれがある。火災に繋がる恐れもあるため、仙界側の工房に難燃かつ高耐熱のものを依頼をしているのだが、高額なのだ。

 しかしスイは気にした様子もなく、

「いいっていいって、予算にも限りがあるだろ?天明は今後も修行とかでこうなる可能性があるんだし、オレが出すから多めに頼んでおいてよ。ああ、ついでに例の新素材の開発資金、オレの口座から何割か寄付しといて。少しは足しになるかもだし」

「わ、わかった」

「よし、なんとか今の状態でもできる仕事、探さないとなぁ!内職バイトぐらいならやってもいいだろ?」

「い、いいけど」

「よっし、言質取った!じゃあ雲中子、天明を着替えさせなきゃだから、もう行くな?おやすみ!」

「う、うん。オヤスミ……」

 スイは先程とは明らかにイキイキとした様子で部屋から出ていく。天明もそれに続いて出ていこうとするが、扉を閉める一瞬だけ、雲中子と目が合った。それはまるで、

『これでいいか?』

 と言っているようで。

「……」

 一人残った雲中子はゆっくりと窓辺まで歩く。見上げると満天の星。星明かりをその身に受けながら考える。これでよかったのかと。そして辿り着いた結論は。

「……怖……。考えないようにしよ」

 そう呟き、えも言われぬ脱力感と共にいそいそと自室に帰っていくのであった。

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