第20話 みずのかたち、ひとのかたち(7)

 五日目。

 雲中子に許可を取り、二人は出勤する職員達と入れ替わるように外へ出かけた。

 張景が普段通勤用に使っている原付に、二人跨がり平野を行く。爽やかだがどこか冷たい風に、冬の匂いを感じる。眼前に広がる草原も夏の色とは質感を変え、柔らかい日差しを受けて淡く静かにそよいでいる。

「そういや豊穣祭ってこの前だったっけ。今年は手伝いできなかったの悪かったなぁ」

「大丈夫、そのぶん僕が働きましたから。何してたか半分ぐらいしか覚えてないですけど」

「お、おう。なんか、ごめん」

「いい経験になったので問題なしですよ」

 原付に二人跨り秋の道を進む。口数は多くないものの、時折他愛ない話をしながら。

 途中、左折して南方へ。いままで日差しを背中に受けて走っていたものだから、視界の端が眩しくてやや目を細めた。しばらく進むと川にぶつかり、更に川沿いを下る。

 やがて川沿いに一本の木を見つけると、二人はそこに腰を下ろした。

 少しの間、なんとも言えない沈黙が流れたあと、スイは自身の荷物からなにやらごそごそと大小様々な袋を取り出す。一番大きな袋からは、伸縮タイプの釣竿が出てきた。

「釣りやろう、釣り」

「ええ、急だなぁ……。兄さん、釣りできるの?」

「得意、ではない。でもまあ、今日はいいだろ、釣れても釣れなくても」

 それはそうか、と納得して──生き餌も無しに各々自由に釣り糸を垂らす。

 天気は良好、程よく曇り風も穏やか。遠くで鳶の鳴き声が聞こえ、川のそよぐ音が心地いい。

 特にこれといった会話はなく、魚も当然釣れず。そんな時間を少し過ごし、

「伯父さんのこと、覚えてるか?」

 口を開いたのはスイだった。

 意図が分からず若干困惑しながらも、張景は記憶を辿ってみる。

「……あんまり。体が大きくて、ちょっと怖かったなってぐらいで」

「だよなぁ。あの人、体も声も態度もでかい。でもお前とコウのことは気に入ってたんだぞ?お前は泣き虫だったけど、まあ次男だったし」

「……兄さんは?」

「めちゃくちゃ嫌われてた」

 スイは苦笑しながら話を続けた。

「父様は婿養子として母様と結婚したけど、父様側の親族がとにかく口を出してなぁ。特にお前が生まれるまでは、母様に対して当たりが強いのなんの。父様と母方の親族は概ね味方だったけど、何度『お前がもう少し頑丈だったらね』と言われたことか。……思えば、あの頃からオレは自分が大嫌いだったんだ」

「……それ、は」

 張景はなにか言葉をかけようとして──結局見つからずに口を噤む。兄からこのようなネガティブな言葉が出てくるとは思わず、驚いたせいもあったのだが。

「不甲斐なくて、情けなくてさ。だからさ、嫌いなりに頑張ったんだぞ?馬に乗せて貰えないぶん、大人の手伝いをした。女衆の仕事も覚えた。父様が街から勉強の先生を連れて来たときは、驚いたけど勉強頑張って。だけどそれ以上に、特に弟の面倒を見る間は『いいお兄ちゃん』でいられた。オレにはもう、それぐらいしか居場所が無かった」

 スイは自身の釣竿を一度引き上げる。針を引き寄せると、指で軽く摘んでくるくると擦った。

「爺先生といるときは結構楽しかった。でも人里に降りると疎外感と嫌悪感が酷くて。今までみたいな愛想のいい子供のフリして乗り切ったけど、爺先生が居なくなったら壊れちまった。水は器が割れたら、あとは地面に吸われておしまい。あーあ」

 スイはぱたりとその場で仰向けに寝そべる。張景は少し驚いたものの、釣竿から手を離さずに静かに、話の続きを待った。

 その続きが聞けたのは数十秒ほど後で、

「……全部、演技だったんだよ。家族想いのお兄ちゃんも、愛想の良い少年も、外面を形作るための脆い器だ」

「演技って……。その、外的側面が複数あるとか、そういう話ではなくて?」

「ああ。実際、みんな脱走の理由に気付かなかっただろう?ていうか、なんでお前は気付いたんだ?」

「……父様の短剣が部屋から無くなっていたから、かな」

「そっかぁ」

 スイは困ったように少し笑い、

「だからさ、お前がこんなオレと再構築したいって言ってくれて、心からすっごく嬉しかったんだけど、その、アレだ、アレ」

「ん?」

 急に話し方がブレ始めたことに違和感を覚え、張景は思わずスイの方へ視線を向けた。対してスイは、若干目線が泳いでいる。

「ええと、アレなんだよ、アレ。つまり、嬉しかったんだけどさ」

「大丈夫?さっきまで流暢に自分のこと話してたくせに、雲行きが怪しくなってない?」

「怪しくない怪しくない。ちょっと黙ってなさい、いま話すから」

 スイは何度か呼吸を繰り返したあと、ぽつりと、

「……らなくて」

「ん?なんて?」

「……わからなくて。その、どんな態度で接したらいいか」

「…………はい?」

 その瞬間、頭上の遥か高いところで鳶が鳴いた。少し間の抜けた声で。

 張景はとりあえず釣竿を置き、少し考え込む。今までの話を頭のなかで要約し、程なくして結論を出した。

「つまり、昨日までの態度は照れ隠しってこと?」

「……」

「……」

「……違う」

「違わないだろバカ兄貴!!さんざん話を引っ張っておいて、オチが『どの面下げて会えばいいんだ』って!つまりそういうことでしょ?言ってくれたらこの話二日ぐらいで終わってたのに!」

「だ、だから違うって!あと結構口悪いよなお前!?」

 スイは慌ててがばりと起き上がる。珍しく真っ赤な顔で。かと思ったら、大きなため息をついて、膝を抱える。

「兄ちゃん面するのは違うし、今まで通りは演技って事になるし。じゃあオレってなんだと考えたら……思ったより何もなかっただけだ。もう、なんにも思い浮かばない。好きな食べ物すらわからない。どうすればいいんだよ……」

 語尾はとても弱々しく、絞り出すような声だった。

 張景はその様子を見て小さく息を吐き、空を見上げた。

「とりあえず、兄さんが思った以上にかなり面倒くさい人間なのはわかった」

「……そんなことない」

「いやいや、面倒くさいし重いよ。普通の兄貴って弟のロッカーに預金通帳入れないし。というか、結局あれはなんだったんです?」

「……そもそもアレ、お前達の結婚とかの祝い金として貯めてたんだけど」

「重っ……。ま、まあともかく、ですよ」

 軽く咳払いをして──張景は口元に笑みを浮かべた。

「別にいいじゃないですか、兄貴ぶるのも」

 スイは顔を上げ、目を丸くして張景を見る。

「自分ではなにも無いって言っているけど、掃除とか布団とか果物だって、自発的にやっていたならそれはもう、兄さんの本質だよ。無理に変えて自己を見失うとか、それこそ本末転倒だよ」

「そう、かなぁ」

「それが自分の道だと思うなら、迷ってもいいけれど。でも、昨日までみたいなのは勘弁して欲しいかな」

「……ごめん」

「いいよ。もっと話し合いましょう」

「……オレからもひとついいか?」

「なに?」

「敬語、抜けてない」

「うっ。努力しま、する」

 それから視線がぱっちり合い、それがなんだか可笑しくなってしばらく笑い合った。そして──、

「……!?景、釣竿!釣竿になにかかかってる!」

「えっ、嘘!?うわっとっと、引き強っ!な、なんで!?」

 スイの声に、張景は慌てて釣竿を探して掴む。もう少しで水面に引き込まれるところだった。

 掴んだはいいものの、想像以上の引きの強さに手を離しかけそうになるところを、スイが急いで張景の手ごと掴み、なんとか体勢を立て直せた。スイも予想外の引きに驚いたものの冷静に、

「よし、リール巻いて、そこのハンドルを手前に。暴れてるときは無理しないで」

「こ、こう?」

「……大丈夫!よし、せーので引き上げるぞ!せーのっ!」


・・・・


 結局。

 器を探していた水は、一旦はもとの器へ戻ることとなった。

 それに納得しているのかと言えば、厳密にはそうではない。元々脆弱な精神を誤魔化しているだけに過ぎなかったのだ。

 これからも自己嫌悪は続くだろう。文字通り、死ぬまでの付き合いになるかもしれない。

 弟は、どこまで見透かしているのだろうか?できることなら、この醜い胸の内はこれ以上晒したくない。自分にもプライド、というものがあるのだ。非常にちっぽけではあるが。


 だが、少し誇らしいのだ。

 家族に肯定された自分自身というのが、ほんの少しだけ。自覚すると途端にむず痒くなって倒れそうになるので、気付かないフリをしておくが。

 断じて照れ隠しではないのだが、もうしばらく演じてみようと思う。家族想いの長男役を。


 余談だが、あのあと広成子様へお礼の手紙を渡すよう頼んだ。

 弟は無言でその場で手紙を開けられ、中に潜ませておいた通帳を発見し、それはもう滅茶苦茶に怒った。

 なんでバレたのだろうか。

 油断した頃に再挑戦したいと思う。

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