第20話 みずのかたち、ひとのかたち(4)
「怖い!!栗や文旦はともかく、預金通帳って!!」
「うん、それはボクも怖い!通帳は預かっておくネ!」
その日の昼、張景は所長室まで相談に来ていた。最初の件は雲中子も笑いながら聞いていたが、預金通帳が出てきてからはさすがの雲中子も真顔になっていた。
雲中子はやれやれと預金通帳を引き出しにしまい、机の上に置いてある携帯端末を操作しながら、
「よしよし、生体反応はあるネ。脱走したときも同じようなことしてたから、一瞬肝が冷えたヨ……」
「同感です……。今日は始業まで探していたんですが、見つからなくて。目撃証言はあったんですが」
「多分、景クンが怒ってるのはわかってるらから、今日一日は出てこないんじゃないかな?」
「悪さした時の猫ですか?」
お互いにため息をつき、数秒ほど沈黙が流れる。
「……距離の詰め方がわからないのは、僕だってそうですよ。でもこれは、何がしたいのか……」
「ふむ……。確かに、前にスイも今後の景クンに対する態度について悩んではいたケド……」
腕を組み、雲中子は少しばかり考え込んだ。
「そもそもこの通帳、ボクが便宜を図って特別に作ったものでネ。元々はスイが『天明に必要になったらいけないし、万が一自分が妖獣として分類されなくなって、ここを出ることになった時の保険として作りたい』って頼まれたんだ。それ以降は、何かしらで貰ったお金のほとんどをせっせと貯めてネ。……今となっては、前者の意味合いが大きいかな。家族想いな子だ。想い余って身の振り方が暴走しているとは思うんだケド」
「……もしかしてその通帳、脱走前提で最初から身内に相続させるつもりで作ったのでは?」
「ハハハハ」
雲中子は軽く笑ったあと、一際おおきな溜め息をそれはもう長く吐いた。
「どうしよう。通帳作ったのって、脱走事件から半年後だ。もう百年以上は前になるネ?ヤバイやばい計画性が高すぎる!怖くなってきたんだケド!?」
「落ち着いてください。終わったことです、ちょっと深呼吸します?」
「い、いや、大丈夫。話を戻そう。で、スイのことで景クンにお願いしたいことがあってネ。しばらく通常業務より、スイのメンタルケアを優先して欲しいんだ」
「それは構いませんが、当の本人に避けられているんですけど。……なにかあったんですか?」
雲中子は小さく頷くと、少しばかり声のトーンを下げて続ける。
「実は、警備隊の方から天明にオファーが来ていてネ。しかも隊長の哪吒太子(ナタタイシ)から直々に」
「えっ、哪吒太子ってあの、二郎真君と同じか下手したらそれ以上の有名人じゃないですか。なんでそんな……」
哪吒太子とは、下界でも桃源郷でも道教に触れる者で知らない者はいないほどの有名な神将である。
現在は仙界府庁警備部の長として警備隊の指揮をとっているほか、仏教関係の神々とも親交があるため親善大使としてもあちこち飛び回っている。そしてあの、太乙真人の最愛の弟子らしい。
張景は何度か遠目で見たことはあるものの、遭遇回数は二郎真君より更に少ない。ほぼ知識としてしか知らない人物だ。
「正式なものじゃないんだケド、巨手騒動で天明の活躍を耳にしたそうでネ。まだ未熟者とは言っておいたケド、都合がつきしだい一度様子を見に行きたいとの申し出だ。だけど当の本人……先日から修行再開となった訳だケド、どうも気がそぞろのようで叱られたらしい。やっぱりスイの様子が気になるみたいだ」
「なるほど、太子の視察前にせめて天明さんを修行に集中させたいと。で、気が散る元凶の兄さんをどうにかしたい、ですね?」
「ワオ、さすが景クン。ボク話のわかる子だいすき」
張景は前のめり気味だった姿勢を正し、椅子に座り直す。眉間に皺を寄せながら考えてみるも、いい案は浮かばない。
「……ところで太乙真人様との約束はどうなるんです?ほら、宝器製造の助手がどうとかって」
「へーきへーき。今回は下見程度だから。それに哪吒は太乙真人の弟子だヨ?そう拗れることはあまりないでしょう」
「そうかなぁ……」
なんとなく嫌な予感がしつつも、とりあえず目の前の問題についてもう一度考える。
そもそも、復帰初日は若干奇行が目立ったものの、普通に会話ができていた。それがなぜあんな暴走に繋がったのか。初日を振り返ってみても関連性がない──ように見えたが、
(そういえば、別れる前になにか言いかけていたような……?)
僅かに首を傾げる。言いかけたその先を考察してみるが、これだと思えるものは無く。
「……ここに来て半年以上経ちますが、兄のことをあまりにも知らない自分になんだか腹が立ってきました」
「落ち着いて?そりゃ、ボクだってわかんないヨ。なにせあんな懐っこい顔して……まさか自害のために脱走するなんて思わないじゃん……。ああ、考えたらまた怖くなってきた。景クン、夜はヒマ?よかったら泊まっておいでよ朝までボードゲームしない?こんな気持ちじゃ眠れないよォ……」
「雲中子様こそ落ち着いてくださいよ……。だいだい……ん?」
若干涙目になっている雲中子をよそに、張景の頭にふと──あるアイディアが舞い降りた。
「……雲中子様、当番表を確認してきます。あと電話もお借りして……そうだ、天明さんの帰還予定時間って確か今日は──」
二日後。
「うおーー!!出せ!ここから、出せーーーーっ!!」
早朝五時半の倉庫に、スイの声が響く。大型妖獣用の捕獲檻の中で暴れながら。
「黙らっしゃい!ほかの妖獣が起きるでしょう。静かにしてください、兄さん」
ぐぐ……と、スイは悔しそうにしながらも、言われた通りに檻から手を離して不貞腐れた様子でその場に座り、黙り込んだ。騒ぎを聞いて、雲中子や夜勤担当の職員が集まってくる。
「おっ、初日で捕まえるなんてさすが景クン」
「いえ、そんな。ジェニファー先生に過去の『隠れんぼ』の話を伺って、ヤマを張っただけです。李根さんの檻にかけた迷彩術も素晴らしい。今度教えてください」
「へ、へへへ。いい、いつでもどうぞ」
雲中子の背後にいた李根も、眼鏡の奥から笑みを浮かべる。
「ケイ」
人をかき分けて、天明が入ってくる。張景はいつも通りの朝の挨拶を済ませたが、スイは心底驚いたようで目を丸くし、
「て、天明……、もしやお前……まさか」
「安心してください、兄さん」
張景はスイの目線と同じになるようしゃがみ込み、にこりと笑いかけた。否、表面上はそうだが、スイにとって“ニヤリ”と勝ち誇っているように見えたであろう。
「天明さんには、“昨日までの隠れ家“を全部聴きました。今どこにいるかは教えてくれませんが、過去どこに隠れたかならすんなりと。兄さんは警戒心が強い人だから、一度使った隠れ家はしばらく使わないと思って。出勤表も把握しているでしょうから、敢えて三時間前にここに来て張ったかいがありました」
「ぐっ……、オレとしたことが……!」
心底悔しそうな顔をするスイだが、すぐさま腹を括った武士のように綺麗に正座をして、張景と向き合った。
「……煮るなり焼くなり、好きにしろ!」
「煮ませんし焼きません。なんでそんな変な方向で思い切りがいいんですか……。なんでここまでしたか、わかっているでしょうに」
「……」
次はダンマリを決め込むスイに、張景は溜め息をつきたくなる気持ちを押さえながら立ち上がった。そして、大きく息を吸い込み──。
「今日からしばらく、僕はここに寝泊まりします」
「──は?」
スイの間の抜けたような声は一切無視して、続ける。腕を組んで堂々と、明朗に。
「一緒の部屋で寝ますし、一緒の釜の飯を食べます。これからしばらく、つきっきりでお世話しますので」
「……は?」
「よろしくお願いしますね?兄さん」
張景の背後で、職員達がなぜか拍手を始める。何を思ったのか、天明も真似をして拍手し始める。その足元で、人の気配に気づいたのか、いつの間にかチャムチャムとグーグーが入り込み、拍手に合わせてジュッフジュッフと籠った声で吠えていた。
「……なんで?」
そのせいで、スイの呟きはかき消されて。
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