第19話 妖獣保護センター・分館(8)
声が聞こえた直後、張景達の周囲から一斉に大量の細長い何かが地面を突き破り、腐虫を突き刺した。さながら串刺し公のオブジェのように、次々と地面を這っていた腐虫は体を貫かれると動きを止めた。
(これは……木の根?)
畳み掛けるように、次は突風と共に周辺の草木から一斉に大量の葉が、巨手めがけて飛んでいく。まるで意思を持っているかのように。
巨手もこれは想定外のようで、ずるずると後ずさるも葉があっという間に全身を覆い、腐虫を飛ばせないほど密集し、身動きを封じた。
「この、術。そしてあのお声は──」
空を見上げ、ある人物の姿を探す。するとやや後方に、いつも通りのふにゃりとした笑顔で、
「雲虫子、様──!!」
雲中子が空飛ぶ妖獣の背に乗りながら、こちらに向けていつも通りふにゃりと笑っていた。
「間に合ってよかった。おっと、景クンは様子がおかしいな?ちょっと待ってくれ」
雲中子はふわりと着地すると妖獣から降り、急いで二人の元へ向かう。
「あ、あの、雲中子様?あれは如何するおつもりで?」
静乃は恐る恐る巨手を指差す。雲中子は質問には答えず、呪文を唱えながら張景の足に手をかざす。すると張景の足から黒い靄が出て来て、空中に霧散していく。
そこでようやく雲中子は顔を上げ、
「アレ?アレはただの時間稼ぎだから、もってあと十秒ぐらいじゃないかなぁ?ああ、少し離れた方がいいか」
「え、えぇえ!?」
「はっはっは、心配しなくても」
朗らかに笑いながら、雲中子は張景を担いで移動し始める。背後には、巨手が木の葉を振り払おうとその巨体をぶんぶん揺らしている。
「ほら、来たヨ」
「──え?」
雲中子が南の方角へ視線をやる。静乃もその方角を注視すると、音が聞こえる。なにかが猛スピードで、こちらへ向かっているのだ。草木がへし折れ、鳥が飛び去る音。しかしそれでいて、地響きなどはせず。本来想定するような質量を感じさせない、まるで一匹の獣が走っているかのような。それがもう、あっという間にすぐ近くまで来ている。
「まさか……」
静乃には覚えがあった。ずっと前、本館勤務だった頃に目撃した、人間程度の質量を持った生き物が、軽々と施設を破壊したあの日を。
「──目玉です!中央の目玉が弱点です!」
咄嗟に叫ぶ。
それに呼応するように、南方の木々の合間から、ひとつの影が飛び出した。影は迷いなく、まっすぐ巨手の方へ飛んでいき、その右腕を巨手の目玉めがけて突き刺した。
「────!!!!!!」
あたり一帯に、これまでになく大きな金切り声が響き、静乃と雲中子は思わず顔をしかめる。そして、次に感じたのは肉が焦げるような臭い。
見ると、目玉がみるみるうちに変形していくではないか。
「……中で、沸騰している?」
突き刺さった腕を中心に、目玉内の水分が沸騰し、膨張し、水分を奪われた箇所から焦げている。あまりにも高温なのか、それらが急速に進み、みるみるうちに目玉は程なくして黒くなり──その場に崩れ落ちた。
「……う、ん」
張景は雲中子の肩に揺られながら、その様子を朧げながら見ていた。崩れる巨手、ぼたぼたと落ちていく腐虫、沸き立つ熱気。その中心に立っていた影の正体は、
「……天明、さん……」
盖天明祇、その人であった。
・・・・
ほかの応援が来るまで時間があるため、その場でしばし報告をし合うこととなった。巨手は完全に沈黙し、腐虫たちは皆灰のように朽ちて既に原型を保っていない。
張景は横にされて介抱されつつ、話を聞いていた。雲中子曰く、緊急用の霊獣を分館から借り、いざ行こうとしたところで緊急の連絡が入ったそうだ。匿名で。
匿名ではあるが、その電話越しでもとてもよく通る無駄にいい声に匿名性は無い。曰く、
「アレを捕獲はしない方が賢明だ。殺すといい。殺すなら盖天明祇を呼ぶべきだ。緊急時は所長権限で呼び出せる規則があっただろう。十四条の一だったか」
「……なんでウチの運用規則を把握しているかは置いといて、根拠と理由は?」
「あの虫は呪詛で動く手下だ。故に本体がいる。白額と同様の存在であるならば、燃やすのが一番確実だ。より確実なのは九竜神火罩と同等かそれ以上の熱。太乙真人と連絡がろくに取れない中、一番確実で速い方法だ。あれなら本気を出せばすぐ来れるだろう」
「ほう、自称大軍師様はどこまでご存知なのでしょうかね?」
「ははは、誰のことやら。あくまで匿名ですので。ただ──」
ひと呼吸の間。電話の向こうで、彼が笑った──ように感じた。
「雲中子という人物は、必要な判断は早い人だ。俺はそう思っているよ」
・・・・
「という訳で、非常に癪だけど筋は通っているから乗ることにしたんだヨ。あーあ、ボクは始末書を一体何枚書かされるのやら」
そう言いつつも雲中子の表情は晴れやかだ。
「ただ、静乃サンはこのあと戻ったら、景クンも明日朝イチで府庁へ行って事情聴取ののち反省文と報告書を書かないといけないからネ。無茶やったことを反省して、覚悟するように」
「ふぁい……」
「はい、猛暑します……」
怠さと痛みの残る中で張景は上体を起こそうと、体の向きを変えようとしたときに気付いてしまった。俯いて反省しているはずの静乃の目が、完全にときめきでキラキラしていることに。
(ああ、憧れの人に窮地を助けられたらそうなるか……)
ぼんやりと考えていると、気付かれたのか静乃が非常に慌てた様子で視線を泳がせた。初対面のときと違い、表情が豊かな人だなと張景は思った。
露骨なのに当の雲中子は張景の呪毒を気にかけているようで、全く気付いていない。
「もう、大丈夫です。ありがとうございます」
「歩けそうかい?解毒と止血はしたケド、今日は極力安静にネ。万が一悪化したらすぐ知らせるように。できたら黙って欲しいのが本音だケド……うるさい保護者が二人いるし。おーい!天明も他言無用で頼むヨー!!」
「途端にかっこ悪いこと仰る……」
当の天明は、三人からかなり離れた場所でぽつんと座っていた。声をかけられ、とりあえず立ってみたようだが、会話の意図を理解していないのか相変わらず無言だ。聞こえているはずだが。
天明はつい先程まであんな行動をしていたため、巨手討伐直後はまあ異臭と汚れが酷かったが、己の自浄能力のお陰かいつの間にか汚れも臭いも無くなっていた。が、衣服は熱に耐えられなかったようで、上半身はほぼ焼け落ちている。雲中子は『戦闘中のスーパーナントカみたい』と言っていたが、張景には理解できなかった。
「例の新素材、下はともかく上は改良が必要かぁ……。全身焼け落ちなくてよかったケドさぁ」
そうボヤく雲中子を置いて、張景はゆっくり立ち上がると、ヒョコヒョコと片足を庇う歩き方でゆっくり天明へ近づいた。
「わ、すごい。もう熱くない。これも修行の成果ですか?」
「……」
「……」
じっと黙って、続きを促す。もう慣れたものだ。
「……たぶん。先生は、もっと早く冷ませと、言っていた」
合流直後は高温を纏っていたのだが、以前のように周囲を枯らすような事はなくなっていた。だが、かと言って一定距離以上近付くと非常に暑く危険な事に変わりないため、冷却できるまで距離を取っていたのだ。
「すごく成長したと思いますよ。驚きました。……僕も、もっとお役に立てるようにならないと」
「……それは、必要なのか?」
若干不思議そうに(と、いう風に見えるだけだが)天明が聞き返す。張景は困ったように笑い、
「実は、結構大きな目標を打ち立てまして。その為にはもっと、力も知識もつけないとなんですが……。今回も逃げてばかりで、足を引っ張ってダメだったなぁと反省している次第です」
「そうか」
天明はそれだけ言うと──、少しばかり考え込むように目を逸らし、
「……先生は、修行中に、ナタの話をする」
「……ん?」
急に話の流れが変わり、張景は困惑する。否、それ以上に天明が『会話を続けようとしている』ことに困惑したのだ。通常の天明なら、ここで会話はほぼ終了する筈だ。
なにか、伝えたいことがあるのかもしれない。張景は真剣に天明の話に耳を傾けた。
「大半は、……賛美。この程度、我が愛弟子なら一日で覚えたぞ、という」
(それは賛美というかなんというか)
「その後に、稀に言う。"故に、貴様は明日には出来る筈だ"と」
「……それって」
「……これを、思い浮かべた。……何故だ?」
行った本人が無表情のまま、心底不思議がる。その光景が可笑しくもあり、張景にとっては、
「励ましてくれたんですね、ありがとうございます」
「はげます」
「うん。僕が落ち込んでいるから、元気にしたくて、声をかけずにはいられなかったのかなって」
天明はしばし考え込む。誰の真似だろうか、腕まで組んで。
「……そうなのか?」
「聞かれると自信無くすなぁ」
相変わらずのマイペースぶりに、思わず笑みが溢れる。
「いい先生でよかったですね、天明さん」
「うん」
そう答える天明の表情は──いつも通りだが、張景には自信に満ちているように見えた。それが眩しくもあり、同時に改めて決意した。
張景は大きく伸びをし、
「……よし、帰りましょうか」
──と、歩みを進めようとしたところ。
「あ、あれ……?腕が光って、る?」
ふと違和感を感じて己の手首をよく見てみると、なぜか両手首とも光っている。まだ日が高いせいで見辛いが、だんだん強くなっているような気がする。
「あっ!いけない、さっきの緊急帰還の仙術、かけっぱなしです!」
静乃が気付き、大声を上げる。慌てて駆け寄ってきて、
「えええ!?きゅ、急に発動しませんよね!?」
「だ、大丈夫です。落ち着いて、動かないで。これ以上なにか衝撃を与えなければ、解除できます」
そう言いつつ、静乃の足元がおぼつかない。先程の雲中子の攻撃により、ボコボコになった土の上をハイヒールで歩いているのだ。時折よろけそうになっている。
張景はハラハラしながら近付こうとして、
「静乃様の方が大丈夫じゃなさそうなんですが!?僕が行きますから、むしろ動かないでください!」
「いえ、これは私の責に……あっ」
ふんわり盛られた土の下の穴に盛大につまずき、静乃は大きく転倒した。そしてその先には、運悪く近付いてきた張景がすぐ近くまで来ており。
静乃は張景を突き飛ばすような形でぶつかり──。
「あ、ああ、あああああーーッ!!!」
次の瞬間、瞬い光が走ったかと思うと、張景は空高く打ち上げられ、遥か遠くまで飛んで行った。
「張景さーーん!ごめんなさーーい!!」
「て、天明!すぐ景クンを追いかけ……プっ、クク、待って、つ、ツボった……!!ププププ……!!」
「所長ー!!しっかりしてください、所長ー!!」
地上の混乱も、目前まで来ていた応援の道士達が唖然とする様子も知ることはなく。
張景は空を飛び、そして失速しつつある中、
(とりあえず、自分の身は自分で守れるようにならないとなぁ)
と、冷静に自己分析しながら落下の衝撃に備えるのであった。
・・・・
その夜のことである。
巨手の潜んでいた洞窟の前に、一人の男が姿を見せた。
男以外に周囲に人の気配はない。鬱蒼と茂る木々は月光を遮り、木々の騒めきはまるで男を警戒しているように辺りに響く。
洞窟の入り口は、立ち入り禁止のテープこそしてあるものの、それ自身に符術としての効果はない。
男は構わず、洞窟の奥に足を踏み入れる。僅かに残る瘴気に男は一瞬顔をしかめたが、迷わず奥へ奥へと進んでいく。
足元にはいくつかの真新しい足跡。事件後、警備隊が捜査したのであろう。大小様々な足跡が出入りした形跡がある。
洞窟は途中から急斜面になっており、男は斜面の直前で足を止めた。洞窟の中だというのに、ほのかに明るい。見上げてみると、ほんの僅かだが、天井に指一本程度の太さの穴が開いており、そこから月光が漏れていた。
「……そうか、ここで月気を得られていたのか」
ぽつりと呟く。いつものよく通る声とは違う、自分にだけに発せられた声で。
「楊任(ようじん)殿」
男はその場に跪き、深々と供出を行った。
「楊任殿、おいたわしや。因果と言えどあのような姿に成り果てて。さぞ、無念だった事か。私の不徳の致すところであります。……なんと、なんと詫びを入れたら良いか」
男の声は、震えていた。
「貴方の無念は必ず、私が晴らします。次こそは……」
一滴の涙が、頬を伝う。しかし、その涙は拭わずに男は顔を上げた。その目に強い決意を宿して。
「奴を、必ず殺します」
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