第19話 妖獣保護センター・分館(5)

 問題の場所は、分館の位置する山よりふた隣──仙郷エリアのより北に位置する山である。

 空飛ぶ特大サイズの黄巾力士の背中に揺られ、一行は目的地付近へと降り立った。まずは先遣隊として副所長の静乃、獣頭人身の職員道士が一名、そして例の生物の貴重な目撃者である張景。府庁から派遣される警備隊と合流するため、雲中子は少し遅れるらしい。

「もうしばらく西に、下界との境界があるんです。とは言っても、下界側も相当な辺境にあるものですから、普段は侵入者警報を設置しているだけです。今回は定期巡回中の警備隊が発見しました」

 目的地まで歩き始めた時──、張景は顔をしかめて周囲を見回した。そして何かに気付くと、

「静乃様!足元にいます!」

 その言葉に、静乃と道士は咄嗟に後退する。後退した直後、入れ替わるように草むらから飛び出してきたのは、分館で見たあのヒルのような生き物。

 張景は足元に転がっていた木の枝を拾うと、勢いのままに生き物に突き刺す。生き物は破裂音のような、悲鳴とも取れる音を出したかと思うと、しおしおとその場で枯れたように動かなくなった。傷口から溢れた体液からは、あの悪臭が漂ってくる。

「あ、ありがとうございます。まさか小型が潜んでいただなんで……注意不足でした」

「屋外だと悪臭に気付きにくいですね、副所長。張景さん、感謝します」

 二人の言葉に、張景は思わず不思議そうに、

「……臭わなかったんですか?」

「え?」

「い、いいえ、何も。それより早く行きましょう」

 それはそうだと、二人は警戒しながら目的地まで再び歩き始める。張景も周囲に注意しながら後を追うが、心の内では先程の反応について疑念を抱いていた。

(ここに着いてからずっと異臭はしているはずなんだけれど。それに嫌な気配がする。獅子顔さんの方が僕より嗅覚は強そうなのに、僕だけ先に気づいたのは、なんでだ……?)

 答えに辿り付かない問答を頭で繰り返しつつも、その後もう一匹小型生物を見つけ、駆除した。歩くにつれ、到着直後から感じる嫌な気配が強くなり、張景は気分が悪くなりそうだった。

 目的地に着くと、鳥頭人身の道士がこちらに気づいて声をかけてきた。第一発見者かつ、通報者だそうだ。

 問題の場所は、崖下の窪みにある大きな穴で、壁面から斜め下へ伸びるようにできている。

 大人が二、三人ほど並んで入れそうなほどの幅と高さで、先は暗くて見えないが、間違いなく例の悪臭は漂う。先程の小型生物より明らかだ。

「ご助力感謝します。この近くを巡回中にあの黒い生き物……?を発見しました。駆除したところ、この悪臭に気付き、元を辿るとここに。あれから何匹か出入りを確認しました」

「速やかな報告、ありがとうございます。穴の中へはまだ誰も?」

「ええ、貴女がたの到着を待ってからの方が良いと判断しました。この異質な気、大型の可能性がある。下手に刺激はしたくありません」

「賢明な判断です。張景さん、どうでしょうか。先程の──名前がないと不便ですね。仮に腐虫としましょう。腐虫を発見し、白額と遭遇した、貴方の意見を伺いたいです」

 静乃に話を振られ、張景は少しのあいだ穴を観察した。あの異臭がする以外は、一見して何も見えない。だが、感じるものがある。

「……なんとなく、ですが。同種か、似た個体の気がします」

「その理由は?」

「周辺の"気"、としか」

「納得しました」

 人間なら根拠が薄いと思われるが、仙道というのは直感や感覚にも重きを置く。張景の証言も、この場では重要だと判断された。

「だけど、おかしいんです。まだ離れているのに胸騒ぎがするんです。この感じ、まるで対峙したときのようで……」

 不安を拭いきれず、周囲を見渡してみる。足元には小型腐虫の気配はない。少なくとも、視界に気になるものはない──と、思いかけたとき、ふと分館での報告を思い出し──視線を上に移した。

 その時だった。

 張景が声を上げるより僅か先に、木の上からボタボタとなにかが大量に落ちてきた。黒く、異臭を放つその存在──腐虫が。

「っ!みなさん、すぐに離れて!頭と首の腐虫はすぐに払い落として!退避します!」

 静乃の指示に従い、すぐさま全員逃げようとした。が、

「ぐあぁ!」

 悲鳴を上げたのは、同行していた獅子頭の道士だった。見ると首に一箇所、両足首に二、三匹ほどの腐虫がまとわりついている。警備隊の道士が慌てて首の腐虫を剥がすと、彼の被毛がみるみるうちに赤く染まる。足も同様で、なんとか剥がしはしたものの両足とも負傷している。

「ぐっ……!」

 次に、警備隊の道士が呻き声を上げる。その背中にある大きな翼に、腐虫がまとわりついている。何度か大きく羽ばたいてようやく払い除けることができたが、まだ服の上で腐虫が這っている。

 張景はたまたま着ていた服がいつもと違い、服に隙間が少なかったこと。静乃は腐虫の落下地点から一番遠かったせいか、何匹かまとわりつきはしたが負傷することはなく、腐虫を払うことができた。

 だが、負傷した道士がいるのは事実。

「……っ!?まずい……!」

 地鳴りのような音が、一帯に轟く。張景は直感的にあの大穴へ視線を向ける。張景だけではない。ほかの三人も同様、半ば「そうであらないでくれ」と祈りにも似た表情で、同じ場所へ釘付けになった。

 その予感は、虚しくも正しく。

 直後──、ミシミシと音を立てて穴から這い出たのは、

「……指?」

 穴と同じほど巨大な、血肉の塊。それにはまるで、人間の指のように二つの関節を動かして這い出て来るではないか。その指先からは時折、腐虫がポコポコと沸いて落ちていく。

 それはまさに指と形容するに相応しく、岩肌を崩しながら二本、三本と徐々に増えていき、ついには手背までもが顔を出す。


 形状はまるで違うものの、その禍々しさはまさしく、鳳凰山で遭遇した白額と同じものであった。


「副所長!白額は、霊力ある者を狙います!血の匂いはまずいかもしれません!」

「っ、貴方、魯さんを連れて飛べますか!?」

 静乃は咄嗟に警備隊の道士と、獅子頭の道士へと視線を向ける。道士はちらりと獅子頭の道士を見、翼を何度か羽ばたかせたあと、頷いた。

「いけそうです!しかし副所長殿、貴女はどうするのですか!?」

「彼を連れて離れます。所長がもう少しで来るはずです。合流し、対処するまで隠れるつもりです。どうか、魯さんを安全な場所まで頼みます」

「……了解しました」

 警備隊の道士はいっそう翼を広げると、獅子頭の道士をがっしりと抱えて急いで空へ舞い上がる。

「行きましょう、張景さん。一刻も離れないと」

 見送る余裕も無く、二人は急いでその場を離れる。

 そのとき、張景は一度だけ振り返って巨大な手の様子を見た。狭い場所から出ようとしているせいなのか、動きは緩慢である。

 だが、何故だろうか。遠退く最中その手と、


 目が、”合った“気がしたのだ。

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