第19話 妖獣保護センター・分館(4)

「レンプ?レンプってあの、京劇のお面に書いてあるヤツ?」

 悪臭に顔をしかめながら、雲中子が尋ねる。その言葉に張景は「しまった」と内心焦り、戸惑った。

(……待てよ?ということは、あのとき白額の臭いで感じた既視感は、あいつの腐臭と同じだからってことか?)

 この時まで、鳳凰山で遭遇した怪異──白額の件はあまり気にしていなかった。だが、この独特な匂いを張景は覚えていたのだ。

 しかしながら、関連性はわからない。思わず直感で口にしてしまったが、雲中子には臉譜の仮面の男のことは話していない。ましてや副所長は完全に初対面であるし、どこからどう話せばいいのか──。

「貴方がなにを躊躇っているかは知りませんが、情報があるのならすぐに提供を。まだ発見して間もありませんが、私はこれを害として、対策が必要と考えています」

「理由は?」

「これは、妖獣に寄生します」

 途端に、雲中子の眉間に僅かに皺が寄る。

「最初の発見は二ヶ月前。野生の能亀(ノウキ)の死骸に寄生しているところを職員が見つけました。

 能亀とは、三本足の亀の妖獣だ。正確には能という名前だが、似た名前の妖獣も少なくないため、桃源郷ではこの名前が定着している。

 薬にすると蠱疫に効果があるため、妖獣保護センター本館でも研究目的で何匹か飼育している。

「先週、二度目の発見時はこの山で、当扈(トウコ)の腹部に寄生しているのを私が発見しました」

 当扈は鳥の妖獣である。雉に似ているが、羽は使わず顔の下にある髭のような毛で飛ぶ、不可思議な鳥だ。これも本館で飼育している。

「なるほど。鳥と亀、生息域の異なる動物に寄生する生き物か。極めて珍しい例だ。でも、キミが"妖獣に"寄生すると断言する理由は何かな?」

 静乃の表情はあくまで冷静ではあったが、やや緊張したように一度口をきゅっと噤む。だがすぐに目を合わせ、

「この生き物は、複数の当扈から発見されました」

「──複数?」

 雲中子の顔色が変わる。

「はい。私が発見した際は三羽の当扈からそれぞれ一、二匹の生物が寄生し、体液を摂取していました。そのうちの一匹がこれです」

「あの……、当扈って、確か鳥の妖獣でしたよね?三羽ってことは、巣ごとやられていたんですか?」

「……いいえ、近い範囲内ではありましたが、今は巣作りの季節ではありません」

「それじゃあ、どうやってこの生き物は空や水にいる妖獣を……」

「景クン」

 張景ははっとした顔で、雲中子を見た。雲中子は冷静に見返し、

「話してくれないか。さっきの男と、先日の報告書の話を。下手したら桃源郷の生態系に関わる話になるかもしれない」

 張景は内心、躊躇った。しかし、雲中子の真剣な表情に話すわけにもいかず、少し考える。

「……順に話すと、二百年ぐらい前に遡るのですが──」


 一通り話し終えたあと、三人は隔離室を出て上の階へ戻った。道中の疲労やら臭気やらで、思ったより疲弊していることに気付き、しばらく休ませて貰えることになったのだ。

 部屋に戻った途端、無言で静乃に消臭剤を吹きかけられたので驚いたが。

「どうぞ。獣頭道士用ですので、薄いかもしれませんが」

 しばらくして、先に静乃が戻って来た。手には盆、そこに乗せられた蓋碗からはほのかに茶の匂いが漂う。張景は有り難く受け取り、口をつけた。確かに、だいぶ薄い。

「雲中子様は?」

「まだ府庁と連絡中です」

「そう、ですか」

 なんとなく気まずそうに、張景はしばらく無言で茶を飲む。中の茶葉が湯と同じかさになる頃、思い切って口を開く。

「その、全面的に話を信用してくれたのは嬉しいんですけれど、良かったんでしょうか。自分で話しておいてなんですが、二百年前の出来事ですし、記憶違いという可能性も……」

「確かに、当時の貴方は幼いですし、仙人感覚とはいえ二百年は些か情報が古いです。記憶も曖昧でしょう。しかし……」

「しかし?」

「貴方の証言どおり、確かに二百年ほど前に碧霞医院の近くで異臭騒ぎがあったのを覚えています。当時、私の姉弟子が警備隊所属でして、『確かに異臭はしたが、なにも見つからなかった』と話していたのですが、なにせそれだけなので、記録はとうに破棄されています。なので現在、姉弟子からの連絡待ちでもあります」

「そ、そんなに大事になっていたんですね……。知らなかったです。僕はそのあと、気付いたら施設の中にいたもので」

 少々情けなさげに俯く。静乃は特に気にしてはいないようだが、ひとつ小さくため息をついた。

「……それと、あなたを信ずる理由……というものが、少なくとも所長にはあるんです」

「それは……?」

「所長、身内には甘いので」

「ああー……」

 納得しつつ、『それでいいのかこの施設は』と喉まで出かけてぐっと堪えた。

 が、逆に静乃の口はすらすらと言葉を紡ぎ始める。

「そうなんです!あの人、身内にはとことんお人好しなんです。寛容なのは良いことですが、たまにはビシッとしてくれないと困ります。この前の呉水さんの処分だって緩いですし、ただでさえ普段も年老いた頃にできた子供のように甘々なのに!服装だって、白衣だけはちゃんと糊付けしているようですが、中はいい加減ですし、たまにサンダルで来ますし、きちんとすればそれなりなんですから、もう少し身なりに気を使えばいいんです。それに……」

「え、えーと、もしかして結構、雲中子様にご不満が……?」

「そっ、そういうわけじゃなくてですね!?」

「どっち!?」

 そこで我にかえったのか、コホン、と静乃が咳払いし、またなんとも言えない空気が二人の間に漂う。張景はもしやと思ったが、敢えて何も言わなかったが。

「とにかく、貴方の証言の──画面の男や白額と、どう繋がりがあるかはまだ不明ですが、状況によっては警備隊を呼んで……」

 途端──、部屋の外から慌しい足音がこちらへ近づいてくる。何事かと二人は入口のほうへ振り返ると、程なくして扉が開いた。獅子の顔をした道士職員が、息を切らせて飛び込んで来たのだ。


「ふ、副所長!新たに例の生物らしきものが発見されました!しかも、かなり大型のようです!」

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