第19話 妖獣保護センター・分館(3)
涼やかな目元が特徴的な人だと、張景はまずそう思った。
二十代後半から三十代前半ほどの女性。知的ですらっとしたラインの目元と主張しすぎない薄いフレームの眼鏡、切り揃えられたボブヘアー、きっちりと結ばれた唇、そしてそこから放たれる気品は、一目で彼女が施設内で高い地位にあるとわかる。
「まずは中へ、どうぞ」
言われるがままに中へ入ると、自動で扉が閉まった。中は筒状に沿うように棚がいくつか設置されており、部屋の中央には筒状の巨大な柱、そこに扉が二つ。すぐ横には階段のマークが貼られている。
「景クン、こちら副所長の静乃サン。静乃サン、こちらがご所望の張景クンです」
「張景です。はじめまして」
張景が拱手で挨拶すると、静乃はお辞儀で返した。とても美しい所作だ。
「副所長の静乃と申します。日本は駿河の出ですが、桃源郷へは八つの頃から。師は太玄女、以上です。早速ですが、こちらへ」
淡々とそれだけ告げると、静乃はツカツカと部屋中央へと向かってしまった。
呆気に取られていると、横から雲中子が、
「アレ、彼女の自己紹介テンプレートなんだ。名乗る度に出身を聞かれて面倒だからなんだって。ちなみに景クンとは二百歳ほど年上だヨ」
「は、はあ」
静乃は二人がついて来ていることを確認すると、右手の扉を開ける。その先は柱を軸にした螺旋階段が続いていた。
「ゲッ、エレベーター使わないの?」
「目的はたった一階下です。その為に電力を使用するのはエネルギーの無駄です」
「その一階が長いのになァ」
若干一名の不満は流しつつ、三人は階段を降りていく。雲中子の言う通り、階と階の高さがあるせいか、やたら長く感じる。螺旋階段のせいもあるかもしれないが。
ようやく一階下の踊り場に着き、扉を開く。分厚い二重扉で、いずれも符術が施されていることに張景は気付いたら。
(かなり強い術だ。それこそ、絶対外へは出さないって意思を感じるほどに)
その理由を、二枚目の扉が開いたときに知ることになる。
「……これは──」
そこは、一本道の広い通路。コンクリートにも似た、無機質なグレーの床にグレーの壁。それを天井と足元に埋め込まれた光源が淡々と照らしている。
しかし、異質なものがひとつ。
それは通路の右側に並ぶ、巨大な檻だ。
等間隔に並べられた檻の高さは五メートルは軽く超えるだろうか。檻には大量の呪符が貼り付けられており、その向こうには分厚いガラス(厳密にはガラスではないようだが)が、檻の中を囲むように設置されている。
そしてその奥には、符術が施された布に巻かれた、巨大な蛇のような生き物が、まるでホルマリン漬けのように鎮座しているのだ。
顔は憎悪にまみれた人のそれに近しいが、口は裂けて長い舌が垂れ下がっている。目は蛇のそれであり、意識はあるようには見えないものの、その巨大な目と目が合ったような気がして、張景はすくみ上がった。
「大丈夫、アレが起きることはないヨ」
足が止まってしまった張景に気付き、雲中子が優しく肩を叩く。
「これは共工。山を砕き水害を起こす害神。三千年ぐらい前に桃源郷にやってきて、まあ派手に暴れて、今はお眠り頂いている。隣の檻にいるデカい猿みたいなのは雍和(ヨウワ)、土砂災害を起こす害神。本当は何倍もデカいんだケド、数度に渡る交戦の結果こうなってるんだ。いやぁ、あの時は大変だったナァ……」
「……つまり、ここにいるのはそういう、災害級の妖獣ってことですか?」
「そ。妖獣っていうか、災害そのものに近いかナ。退治こそ可能だけど、完全には殺せない。仮に殺せたとしても、それこそ第二、第三と復活するもの。だから極力悪さをしないように、ここで封印して見張っているのサ。」
「……兄は、ここに来たことはあるんですか?」
雲中子は少しだけ、目を細めて、
「無いけど、知っているヨ。少なくとも、本館のような自由はここに無いこともネ」
ぞっとした。
張景は、兄の言ったことの意味を改めて理解し、一気に血の気が引いていく感覚を覚えた。
(話さ、ないと)
そして、冷たくなった拳を強く握りしめ、急いで静乃の後をついていく。横から感じる圧力に恐れを抱きつつも。
「それで、張景さんを呼んだ理由ですが」
通路の終わり。突き当たりにある扉まで来たところで、静乃が振り返り口を開く。
「は、はい。新種の妖獣が見つかったと聞いています。でも、それをなぜ僕に?」
「妖獣かどうかは、まだ判別できません。少なくとも分館職員は、“あれ”を見たことがないのです。そこで、“あれ”に近い生き物に遭遇したと思われる、貴方をお呼びしました」
「あれ、とは……?」
静乃は無言で、扉を開く。これも二重扉になっているようで、数歩先に同じような扉がもう一枚ある。三人は通路内に入り、入口の扉を閉めた。そのタイミングで雲中子が話を続ける。
「ほら、何ヶ月か前に景クンが仙界府庁に提出した報告書。太乙真人と連名で書かれた……ええと、鳳凰山の」
鳳凰山で、遭遇した。
ドクリと、張景の心臓が大きく跳ねた。
それと同時に、額に汗が滲む。
「所長、事前に報告しましたが再確認を。張景さんも。一度経験があるかもしれませんが」
扉のロックを解除しながら、静乃は淡々と話す。こちらがどんな顔をしているか知らずに。
「“あれ”は小型ですが、強い悪臭がします。生きているのに、死骸のような匂いが」
扉が開かれた途端、まさにその腐臭が鼻をつく。
部屋はいくつかの器具が並べられた机と、棚。そして中央に一回り大きめの机。
腐臭の正体は、中央の机に取り付けられている、透明な密閉容器から発せられていた。
その生き物は──体長十センチにも満たないほどの大きさで、殆ど動いてはいないものの、時折ぴくりぴくりと痙攣するように動き、容器の中をズルズルと移動する。姿はまるで赤黒い蛭か、肉片のようで。
その強烈な姿と匂いは一度──いや、『二度』遭遇したのだ。
もう忘れはしない。
「……臉譜の仮面。あいつの匂いだ」
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