第18話 愛について(3)

 質問。

 あなたにとって、愛とは何ですか?


『愛、愛かぁ……。人並みな回答で悪いが、人それぞれじゃないのか?俺の場合は……悪い、人間時代の心の傷が……』

『ゆゆゆ、有機物か、む、無機物かで違って、くるのでは?いずれ、に、せよ、その対象が、平穏であれと願うことが、あ、愛と思うのです。ワタクシは』

『生き物が、生き物である証明であり、本能であると思います。愛は、生き物同士が生き残るため、繋がるために必要ですから──』


 職員の協力で、十人十色の回答は得られた。

 それらの回答をまとめたものを、食堂の机に広げて読んでみたものの、天明はどれもいまいちピンと来ることはなく。

「──とりあえず、パートさんが持ってきた絵本を読ませてみている」

「キミの情操教育、手順逆じゃない?」

 時刻は午後を少し回り、雲中子は遅めの昼食を頬張りながら、スイの話を聞いていた。少し離れた席では天明が、スイの言う通り絵本をペラペラめくっている。速読並の速度で。

 周囲には他に人気はない。昼時を過ぎたのもあるが、元々利用者が少ないのだ。昔は活気もあったが、今は昼食を持ち込みが主流なため、主な利用者はここに暮らす者達なのだ。

「はぁ……。こういう時、景……ならどう答えるのかなぁ」

「ああ、あの子、天明と打ち解けていたしネ。もうすぐ謹慎明けるし、来たら話してみる?」

「……来たら来たで、どんな顔して接したらいいか」

「キミも大概、めんどくさい男だよネェ」

 やれやれと肩をすくめながら、ふと太乙真人は何かを思い出して、耳打ちした。

「……ところで、この前のことはもう話した?分館の」

 途端、スイは短い呻き声と共に、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべて顔を逸らす。

「キミさぁ」

 雲中子は長いため息を吐く。

「しょ、しょうがないじゃん。いま、アイツ"あんな調子"なんだし。変なこと言って不安にさせるのも」

「それが後々に拗れちゃったら、誰に迷惑かけるのかわかってる?」

「……それは」

「怖くないよ」

 そう言われてスイは、はっと雲中子を見た。雲中子は困ったような、片目を細めた笑みを浮かべ、

「信じてあげなよ。何年も一緒だったんだろう?」

 と、天明を指差してみせた。天明は視線に気付いたらしく、本をそのままに立ち上がり、二人の元へ歩いて来る。

「分館の、話?」

「……聞こえてた?」

「うん」

 そうだ、彼は耳も人の何倍も良いのだと、今更ながら思い出す。スイは少しばかり、言い淀む。

 うまく、言葉が出てこない。

「……その、いざとなったら、オレを分館に移すように、頼んでいるんだ。お前も知ってるだろ?分館、仙郷の……妖獣隔離用の」

「俺も?」

「……違う、オレだけ」

 一瞬、天明の表情が揺らいだように見えた。スイは驚きと同時に、『しまった』と言わんばかりに顔が引き攣ってしまう。

「どうして」

「……それ、は」

 再び、口を閉じてしまう。

 言いたいのに、言葉が浮かばない。普段ならいくらでも、彼を諭す言葉が出て来るというのに。

(どう言えば、納得させられる?もう親離れしようとか、そこで成すことがあるからとか?いや、そうじゃなくて、納得させる、とか、違って……)

 頭の中がぐちゃぐちゃで、言いたいことが見つからない。それでも、天明は待ってくれない。表情こそは変わらない筈なのに、どこか不安げにスイを見て、

「嫌、なのか」

 そう、聞いてきた。途端に、スイの顔が青ざめる。

「ち、違う!」

 咄嗟にそう返したが、それ以上の言葉を紡げず──。浮いた腰をゆっくり椅子に置く。

「違、くて。その、これは」

「……」

 頭の中がぐわんぐわんと揺れる。その様子を見て、雲中子は勢いよく椅子から立ち上がる。

「ゴメン、天明、待って。スイも無理させた。ボクのせいだ。話を急ぎすぎた」

 雲中子は二人の間に割って入ると、お互いの顔を見る。そしてスイの前髪を片手で捲りあげ、心配げに眉をひそめた。

「……ボクから話そうか?」

 スイは小さく首を横に振った。

「ごめん。少し、時間が欲しい」

「……わかった。天明、悪いけどスイを部屋に連れていくヨ。ちょっと、一人にさせてあげて。ちゃんと、近くに人を付けておくから。……頼むよ」

「……」

 天明は少々の沈黙の後、一度こくりと頷くと、静かに椅子に座り直す。雲中子から見ても、どことなく気落ちしているようであった。

 雲中子は詫びを入れると、スイを連れて部屋を後にする。スイは大人しくついてきたが、少し顔色が悪い。

「……ボクが拗らせてどうするんだよね。悪かった」

「雲中子は悪くない。……オレが」

「ストップ。それ以上は禁句だよ。また体調崩しかねない」

「……ああ」

 雲中子はスイを部屋まで送り届け、立ち去ろうとした。が、すぐに踵を返してスイの元まで戻ると、心配そうにスイの目を見る。

「天明に言ってたよネ。『正解を探さなくていい。ちゃんと自分の意見を言え』って。それ、いまのキミだよ」

「……そうだな」

 雲中子は何度か振り返りながら、部屋を後にする。残されたスイは寝台に腰をかけて、大きくため息をつき、そのまま静かにうずくまった。


 一方、残された天明は。

「……」

 先程の会話を頭の中で反芻しながら、虚空を見上げていた。とは言っても、あるのは見慣れた部屋の壁だけで。

 外はいつのまにか曇っており、室内はそれに応じて薄暗くなる。そんな些細なことは、彼は気にも留めずに思考する。

「……」

 考える。わからない。考える。わからない。

 そのうち雲中子が戻ってきて、

「なんとなく目が虚ろっぽいケド、大丈夫……?」

 と、かなり真剣に心配してきた。天明はちらりと雲中子を見ると、

「……」

「……?」

「…………考える、とは」

「アッ、軌道修正が必要なヤツだ」

 ううん、と雲中子は難しそうに唸ると、雑に椅子を引っ張り出して、天明の隣に座った。

「少なくとも、あの子はキミのこと、嫌になってないはずだヨ。むしろキミはなんで嫌になったと思ったのかい?」

「……」

 天明は答えない。否、どれが答えなのか決めかねている。

「きっと、キミは数ある可能性の中から、一番『そうあって欲しく無い』と思ったから、聞いたんだと思うんだ。なんでそんなことを思いついたのか、理由はあるはずなんだ」

 一度、考え込むように目を伏せ──。天明は思い出したように、懐からあるものを取り出した。それは、皺だらけの紙切れのようだが、雲中子にはそれに見覚えがあった。

 なぜなら、つい最近見た、

「……それは、スイの手紙かい?」

 天明は頷き、紙切れを手渡す。雲中子は恐る恐る受け取り、紙切れの皺を伸ばしながら中に目を通す。

(スイが書いた遺書……の、下書きだ)

 あのときの手紙──張景が見つけたものは、すべて雲中子が回収している。ここにあるものは、所々違うものの内容が概ね一緒ではある。違うのは、途中から文字が途絶えていること。その途絶えている直前の文章が、

(もうこれ以上、ここに居ることが苦痛で、耐え難い……か)

「……スイが、隔離されている場所へ行く前に、見つけた」

 雲中子がはっと顔を上げる。

「俺は、これを読んで、先生の話を、思い出して。とても、いま、不安になって……いる。たぶん。どうしたらいいか、わからない」

「……そうだったんだね。ありがとう、話してくれて」

 優しく笑いかける雲中子の顔を、天明はじっと見つめる。その口元も、目も眉も、いつも通り一切動くことはなく。

 それでも、雲中子は確信があった。

「なんだ、もう知っていたんだネ」

「……?」

 天明が首を僅かに傾げた瞬間、室内に電子音が鳴り響く。雲中子の白衣のポケットからだ。

 雲中子はポケットに放り込まれていた通信端末のスイッチを入れて、通話に出る。二、三言やりとりをすると、

「ゴメン、カルビ……夔のお産が予定より早く来たみたいだ。行かないと。天明、とにかく、大丈夫だからネ!大丈夫だから!」

 そう言い残して、雲中子は慌てて出て行った。

 再度残された天明は、宙に視線を戻そうとして、

「……あ」

 ふと、何かを感じ取る。少しの間窓の外を見ると立ち上がり、小走りで部屋を出、二棟を経由し、裏手へ。

 そこにいたのは──。

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