第18話 愛について(1)

 張景の自粛期間中、妖獣保護センターはしばらくの間てんやわんやしていた。

 一〜三棟の雑務は概ね覚え、夜勤の都合もつき、一部の業務を除いては手際も悪くない。そんな評価を受けていた張景なので、シフトの穴埋めやサポート役に地味に重宝していた。よって、彼が抜けた事により、打撃をジワジワも受けている。

 それに加えて、スイのことである。隔離施設から戻ってきても、しばらく(強制的に)休養を取らせることになった。

 雑用係も、抜ければ痛手になる。普段は彼が行っているゴミ捨ては当番表を作ることになったし、任せていた一部の妖獣の屋外散歩も忘れられ、グーグーが不満でクッションを破壊したうえ粗相をした。

 しかし彼を責める者はおらず、『彼のケアを疎かにしていた』『よく考えたら保護対象に仕事を押し付け過ぎでは』と反省の声も多々あり、職員の自主的な働きにより、業務内容自体に大幅な見直しがされつつある。

 この動きに、雲中子が陰で感涙したことは言うまでもない。


 だが、ここで問題が発生した。

 トップクラスの問題が。


・・・・


「天明〜、悪いケド二階まで荷物運ぶの、手伝ってくれる〜?」

 二人の部屋の前で、雲中子は台車を止めると扉越しに声をかけ、うんと伸びをした。

 台車の上には大小様々なサイズの箱が綺麗に並べ置かれている。施設内には運搬用のエレベーターなんて無いものだから、これを階上に運ぶとなるとかなりの労力が必要だろう。

「──わかった」

 やや間を置いて、天明の声がかろうじて聞こえる。そこから数秒後、天明は無言で扉を開けて部屋を出ようとして、

「ちょっと待って。天明、ストップ」

 雲中子に止められた。

 あくまで穏やかかつ冷静に、雲中子はある一点を指差す。

「……スイは、置いていこう?」

 天明の片脇には、ややぐったりした様子のスイが収まっていた。小さく「痛い…」などと呟いている気もする。それはそうだ、彼の肋骨はまだ完治していないのだから。

 しかし天明は、雲中子とスイを交互に見て、なにか考え込む。

「……やだ」

「ヤダってキミ、子供じゃないんだから」

 とは言ったものの、『果たしてこの生き物は大人と子供の思考の違いなど、理解しているのだろうか?』と、雲中子は考えた。直後、そのまま部屋を出ようとする天明にはっとして、慌てて押し留める。

「ほら、スイにはちゃんと発信機つけたし、キミもしばらく虚越泉には行かないだろ?だからさぁ……」

「…………」

 優しく諭しても、天明は無言で主張を通そうとする。

 一体いつからこんなに自己を主張するようになったのか。嬉しくもあり──反面、正直いまとても面倒くさい。

 雲中子は大きなため息と共に、屈んでスイと目を合わせると、

「抱っこ紐って、経費で落ちると思う?」

「……買っても意地でも使わんぞ、オレは……」

 尚もぐったりとしながら、スイは弱々しく返事をした。

 やれやれと肩を竦めると、雲中子はぽつりと呟いた。

「こりゃ、程度は違えど立派な分離不安だネ」

 分離不安とは、不安障害の一種として考えられている。多くは小児に見受けられるが、成人や犬猫にも起こりうる。

 親や飼い主と離れることにより、強いストレスを感じ、泣いたり暴れたり、離れること自体を強く拒絶する状態を指す。

 天明の場合は以前からスイのひっつき虫ではあったものの、あの事件までは待てと言われたら(時間制限付きだが)待つ事はできていたし、信頼関係の構築はある程度できていると──思えた。

 だが、いまはどうだろう。先日に芽生えた反抗期(推測)が、完全に裏目に出ている。今やスイは抵抗虚しく、お気に入りのブランケット役として事あるごとに引きずられている。

 こんなものだから、修行どころではない。故に、しばらく休みになっている。

「わかった、わかったから……。じゃあオレもついていく。手伝えないけど。それでいい?雲中子」

「勿論オッケーだヨ。ほら天明、ボクも見ておくから離してあげて?肋骨まだ怪我してるんだからサ」

 そこまで言われて、ようやく天明は(渋々だが)スイを降ろした。スイはやれやれと胸を摩りながら、天明をじとりと睨み、

「……そもそもオレが悪いけど、雲中子を困らせるなよ」

「……」

 無言。不貞腐れているのか、理解していないだけなのか、無表情が過ぎる顔からは判別が難しい。だが、

「……正解を探さなくていいから、ちゃんと自分の意見を言ってくれ」

 その無言の中に、彼の言いたいことをピシャリと言い当てるのは流石と、雲中子は感心する。そこではっとして、

「はいはい、ボクは気にしてないから!それよりちゃっちゃと仕事を片付けようヨ!」

 空気を変えようと、雲中子は手をパンパンと大袈裟に叩く。にこやかな顔の雲中子を見て、スイは苦笑を浮かべた。

「ごめんな、雲中子。仕事止めちゃって」

「いいっていいって。それにしたって、いやぁ、スイってば愛されてるねェ〜。このこのっ」

「愛かなぁ、これ」

 ウリウリと雲中子はスイの腕を肘で軽く小突く。スイはクスクスと笑いながら雲中子の後に続こうとして、ふいに、

「…………愛?」

 その一言に振り返る。警戒する野生動物のように、素早く。ありえないものを見るような目で。

 そう、ありえないのだ。今までの経験上、その単語を聞くことはあれど、関心を持つことなど、唯一度もなかったのだから。

 おそらく聞き違いか、たまたま通りすがった職員の独り言だろう。そう思ってもみたが、彼の背後には一人しかいなかった。

 その人物は言うのだ。

「……これが、愛なのか?」

 聞こえた。間違いなく聞こえた。

 愛。愛と言った。"あの"天明が。喜怒哀楽さえ碌にわかっていなさそうな、"あの"天明が。

 スイは、もう思考がフリーズしてしまい、言い返すどころか一歩も動くことができなかった。目の前で起きたことに、脳の処理が追いつかず、逆に『人間って予想外の事が起こると動けなくなるって本当なんだなー』と別思考で俯瞰するまでに至っていた。余計負荷がかかり、思考停止寸前までとも言える。

 だが、背後から雲中子に肩を叩かれて我にかえり、油の切れたロボットのようにぎこちなく首を向ける。雲中子も、肩に当てた手がガチガチに震えていた。

「……ててて、天明」

 声まで震えて裏返る。しかし『自分は所長、この程度で』と己を奮い立たせ、雲中子は冷静に、唇の震えを静め、言い放った。


「──緊急検査だ」

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