第17話 不穏の種(4)
室内はしんと静まり返り、一気に重い空気で淀む。最初に口を開いたのは張景だった。
「……それ、本気で言っているんですか?」
やや怒りを帯びた強い口調。スイはただ、じっと張景の目を見返すだけだ。
(分館。行ったことはないけれど、仙郷の奥にある保護センター分館で間違いないはず。確か、本館には収容できない危険度の妖獣を収容していて、それで)
「……あそこへ移るとなると、外出はおろか今のような面会も叶うことはほぼないでしょう。張景からは、今後、家族関係の再構築を望んでいると聞きました。何ゆえ、そのような話を?」
「そうだよ。それに天明のことだって……!」
またしても雲中子に詰め寄られそうになり、スイは僅かに苦笑いを浮かべた。
「なにも今じゃなくていいんだ。『非常時は』って話。ちゃんと説明するから、怖い顔しないで。お願い」
そんな顔にさせたのは誰だよ、と悪態をつきながら、雲中子は渋々と着席し直す。
「……いま話したとおり。推測だがオレの血液の混入により、天明は不完全な状態と言っていい。その不安定さにつけ込まれて、悪用されないかと危惧している」
「……つまりキミは、仙界側も信用はしていないと」
スイは一度、頷く。雲中子はううんと考え込むように腕を組む。表情は相変わらず険しい。
「そこは……まあ、一理はあるヨ。実際、現在の体制に反発して隠居中の無認可仙人も、桃源郷を去ったヒトもいる。姜子牙のような逸れもネ。でも、だからといってやりすぎじゃない?」
「雲中子から見たらそうなんだけどさ……」
なんとも煮え切らない返事をしながら、スイは僅かに視線を逸らし、
「ともかく、天明には先生もいるし、雲中子や職員のみんなは信頼できる。改めて天明のことを頼みたい。それで、なんだけど」
スイは困ったように頭を掻いた。そして、張景に視線を向けると、
「……ええと、名前、なんて呼べばいい?」
「……え、あ、ああ、どっちかってことです?」
急にそんなことを聞かれて、張景は一瞬面食らった。
しかし、少し考えたら腑に落ちる。張景にとっては『兄さん』で片付くが、スイはそういう訳にはいかない。そこで初めて、今日は一度も名前を呼ばれていない事に気付いた。
この名前は形式上、仙人としての通名に近い。大昔は本名を呪術に使われて被害に合わないように使われていたが、近年では対処法があるため、もはやこの名は号に近い。
しかし今更、本名で呼ばれるのもなんだかむず痒い。張景もこの問題にすぐ答えるのは難しいと判断して、
「……一旦『景』で。くんは要らない」
「わかった。それで、広成子様にご同席頂いたのはほかでもない、景の今後についてです。有事の際には、景の保護をお願いしたい」
「……その意図は?」
広成子の糸目が僅かに開く。声色に圧を感じ、張景は反射的に緊張してしまった。が、スイは物怖じせず、
「申し訳ございません。これ以上は、オレの口からは。ただ、呪術上の血液というのは、重い意味を持つことは知っています。加えて、景は天明とも距離が近い。他人ならいざ知らず、オレと血縁関係があるとなると、今後危害が及ぶ可能性もあります。……お願いします。オレの大事な、家族なんです」
いい終わるや否や、スイは深々と頭を下げた。しかし広成子は、ひとつため息を吐き、
「……やれやれ、見くびられたものです。張景は私が今までのどの弟子よりも、手塩にかけて育てた自慢の弟子です。それに、心配性なのは結構ですが、実の兄である貴方が信用せずにどうするつもりですか」
「はい……それは、その、仰る通りなんですが……」
スイが恐る恐る顔を上げて、非常に申し訳なさそうに張景と目線を合わせる。
「……喧嘩はともかく、符術はその、ほとんど爆発させたり、変な粘土を出してるところしか知らないもので……」
「オウ……」
「広成子サ、いまの説明だと『一番出来が悪くて育成に時間がかかってる』とも解釈されかねなくない?」
「オオウ……」
「師匠……変に言い返さないでください。一番傷ついているのは僕です」
「……」
広成子はとりあえず茶に口をつけ、僅かな時間、天井へと視線を移す。そして、さも何事もなかったかのように背筋を伸ばしてスイを見据え、
「貴方の言い分は、わかりました。ただ、ひとつ確認したいことがあります」
「は、はい」
少し戸惑いながら、スイが答える。
「貴方の自死未遂は、そういうことですか?」
スイの表情が、僅かに険しくなる。そして再度、首を縦に振った。
回答を見届けたと言わんばかりに、広成子は頷き返すと、雲中子へ向き直り、
「……と、いうことです。つきましては張景の謹慎明け後のシフトの話を後日しましょう。張景も以前の調子が戻りつつありますし、そもそも以前から些か勤務日が多くないかと思っていました」
「雲中子様、聞かなくていいです。師匠はご飯の作り置きが多くて不満なだけなんです。ほかほかご飯が食べたいだけなんです」
「張景よ、客人の前でそのようなことは言うものではありません。威厳とか、イメージってものがあるんです。私にも」
「ご安心ください。御二方には師匠が製麺機に髪の毛巻き込んで、大惨事になりかけた話をしています。威厳もへったくれもありません」
「張景よ。ちょっと、張景よ」
「……ぷっ、くくく、はははは!髪!髪を麺!巻き込むって!思い出しただけで、ぷぷぷ!!」
雲中子が肩をわなわなと震わせたかと思うと、耐えきれずに笑い出す。広成子はぷんすかと怒ってみせるが、それが逆効果だったようで、雲中子は腹を抱えてヒィヒィと笑いつづける。
スイはそんな雲中子の背中を撫でてやりながら、つられてクスクスも笑っていた。普段よりだいぶ大人しめだが、ようやく自然な笑顔が見れて、張景は少し安堵した。
・・・・
一時間近くに渡る話し合いの結果、雲中子と広成子が出した答えは、このようなものだ。
「こっちは現状、難しいネ。移動理由が明確でないと仙界府の許可は降りないヨ。一応、副所長と相談はするケド、あとは天明がどうするかだネ。どうせこの話は、天明にしてないんでしょ?ちゃんと話しなさい!」
「こちらも、内容が漠然としていて、なにに対して身構えればよいのか。しかし、張景を案ずる気持ちはしかと届きました。個人でできる範囲ですが、気をつけておきましょう」
ほぼほぼ現状維持ではあるが、それでもスイは二人に何度も何度も礼を言って、頭を下げていた。
秋風が肌寒く感じ始める夕暮れ時。二人が保護センターへ帰る時間が迫り、外へ出る。
雲中子は車を移動させてから檻の準備をしている。決まりとはいえ、荷台は寒かろうと気の毒になり、張景は肩掛けを持ってきてスイに巻いた。
スイは照れくさそうに笑いつつ、おずおずと声をかけてきた。
「なあ、コウ……洞哮は元気か?」
「……あ」
そこで今日はじめて、末弟の存在を思い出した。
洞哮──ここでは張越を名乗っている、いままで唯一だった張景の肉親。とは言っても、別々に引き取られたため、そこまで仲良くはない。むしろ、
(どうしよう、ここしばらく向こうから避けられているんだよなぁ〜〜!なんでか知らないけど!)
今まで会うことは幾度かはあれど、次第に距離が空き、今ではたまに会えど無視すらされることもある始末だ。
先日、保護センターで天明が話をしていたと聞いたが、『あの』天明を介しても頭が痛くなるほどの態度の悪さ。そして極めつけは、その師・太乙真人だ。
(そういや、太乙真人様は越の存在を忘れていたよなぁ。完全に放置されてるじゃないか!それを知ったらマズい、兄さんの精神衛生上良くない。下手したら「オレのせいでコウが孤立している……オレが面倒を見なかったばかりに」とか言ってストレスで吐血ぐらいはしかねない!い、いまはダメだ!どうにか誤魔化さないと!)
「……顔色悪いけど、まさか」
「いっ!いやごめんなさい!げ、元気です、あの子は!ただ、しばらく前から長期の修行に行ってて、いつ戻ってくるかわからなくて。あ……会いたかった、ですよね?」
恐る恐る訊ねてみると、スイは困ったように眉をひそめながら笑った。
「ちょっとホッとした。どんな顔して会えばいいか、わからないから。もし会っても、オレのことはまだ少し黙っててくれ」
「……わかりました」
そう言いつつもどこか寂しそうな気がして、張景は少し胸が苦しくなる。
それと同時に、後日、弟の現状について確認しようと心に決めた。
「天明さんは、元気ですか?あれからお会いしていないから」
「ああ……、最近はいつも以上にひっつき虫になってて、きょう来るときも、引き剥がすのが大変だった。分離不安って言うのかな。しばらく修行は休み。紫微サマには散々叱られたよ」
「……想像に難くないです」
自分でもすんなり納得できるほど、その光景がありありと想像できた。とりあえずは元気そうでなによりだと、言い聞かせておく。
スイはちらりと張景の顔を見上げ、
「少しだけど……うん、顔を見れてよかった。お師匠様もいい人そうだし、空気も穏やかだし……あのときの選択は、少なくとも失敗じゃなかったって思えた」
スイの表情は、晴れやかとは言わないまでも、どことなく穏やかで柔らかく。普段の少年のような笑顔とは全く違っていて。
(ああ、この人は本当はこうやって笑う人なんだ)
と、張景は感じた。
「スーイー!そろそろ帰るヨー!」
「はーい、すぐ行くー!……じゃあ、またな」
スイは軽く手を上げて、駆け足で車へ向かう。張景はたまらなくなって、
「兄さん!」
思わず呼び止めてしまっあ。未だ慣れないその呼称に、自身の鼓動が跳ねるのを感じた。
呼び声に、ぴた、とスイの足が止まる。
張景はゆっくりと、自身の鼓動を落ち着かせながら、思いの丈を込めて言葉を紡ぐ。
「……大変なこともあったけど、兄さんのおかげで、少なくとも僕は幸せでした。ありがとう。……また来てください。話したいことが、いっぱいあるんです」
まだ心臓の音が早い。それでもじっと、スイの返事を待つ。
すると、
「ウッ」
スイは突如、その場に膝から崩れ落ちた。まるで足の力が一気にゼロになったかのように。
「どうしたんですか兄さん!?」
「エッ!?どうしたの!?」
慌てて駆け寄り、二人で体を支える。スイは生まれたての子鹿の如く、足をプルプルさせていた。
「ご、ごめ……。兄さんって言われると……嬉しさとか、今までの罪悪感とか……一気に押し寄せてきて……。め、めまいと動悸とで足に、力が……」
「わー!ごめんなさいごめんなさい!まだ名前呼びしますから!」
「……うっ、今までずっと気付かなくてごめんなぁ……」
「めんどくさいヤツだなキミはぁ!いいからさっさと帰るヨ!」
雲中子に強制的に檻に押し込められ、来た時と同様に布で目隠しをされて。慌ただしく二人は帰っていった。
車が見えなくなるまで見送った後、後ろで静観していた広成子が、ささっと張景の元へ近寄ってきた。
「……会話に混じるのも野暮と思って後ろに下がっていましたが、騒々しい再会でしたね」
「ははは……。ごもっともです」
二人連れ立って室内に戻り、扉に鍵をかける。張景は大きく息を吐き、先程よりも些か真剣な面持ちで口を開く。
「……師匠、お話があります。先程は話せなかったのですが──僕の記憶についてです」
広成子が、はっとした表情で振り返る。
張景は一瞬、『話せばなにかが変わる』ような気がして、躊躇い口を閉じかけた。それはとても怖いことで、勇気の要ること。
しかし、弱気を振り払い、意を決して言葉を続けた。
「ようやく思い出したんです。僕の記憶を奪った人間……臉譜(れんぷ)の仮面の男のことを」
声に出してしまったからには、もうやるしかない。
己に誓ったのだ。
犯人を、締め上げてやると。
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