第17話 不穏の種(3)
電話がかかってきたのは一週間ほど前。雲中子から、張景の体調に気遣いつつ、対話の提案をしてくれたのだ。
「本人が希望していてネ。迷惑じゃなければ、そちらの時間と体調が良ければ、こっちからスイを連れて行くヨ。もっとも、スイの体調もまだ完治しているわけじゃないから、当日の様子を見てだケド」
雲中子の厚意に感謝しながら、当日を迎えたのだ。
広成子と共に洞の前でしばらく待っていると、約束の時間を数分ほど過ぎたあたりで、遠くからガタガタと聞き慣れた音がした。妖獣保護センターの軽トラックが、未舗装路を土煙を上げながら走る音だ。
やがて軽トラは桃源洞の前まで停まり、雲中子が降りてくる。助手席には誰も乗っていない。
「雲中子様、お忙しい中ありがとうございます。ええと、それで……」
「ああ、うしろうしろ。決まりでネ、関所を妖獣が通る時は檻に入れないといけないのさ」
雲中子は荷台に乗り、固定用のゴムバンドを外していった。荷台には、大きなボロ布に覆われた、縦横一メートル強の大きな箱のようなものが乗せられている。
ゴムバンドをすべて外し、ボロ布を取ると、そこには雲中子の行った通りに頑丈そうな檻に、スイが収容されていた。
「は、はは……、ひ、久しぶり……うぇっ」
「……もしかして、酔いました?」
「ちょっとだけ……。休むほどじゃないから、平気……。どちらかというと、胸と尻が痛い……」
視界を隠された状態で、よく揺れる荷台にずっと乗っていたのだ。無理もない。
少し顔色の優れないスイを気遣い、降ろすのを手伝う。
そのとき、スイの首に白い首輪のようなものが付いている事に気付く。先日、二郎真君に渡された発信機だろう。
スイは小さくお礼を言うと、まずは広成子の前で腰を屈めて拱手をした。
「お初にお目にかかります、広成子様。呉洞水と申します。わが実弟を、こんなに立派に育ててくれたこと、感謝してもし尽くせません。本来なら叩頭でもせねば無礼と承知ですが、肋骨を痛めているのでご容赦ください」
「これはご丁ね……え、肋骨痛めているんですか?」
「三本ぐらい……ヒビが」
「も、もしかして僕のせいですか……?」
戸惑う二人に、雲中子が耳打ちする。
「……隔離施設から移動するときにネ、向こうの職員の誰かが天明に妙なことを吹き込んだんだヨ」
「妙な……?」
「対面したときにどうしたらいいのか、みたいな事を聞いたらしくて、ノリで『何も言わず強く抱きしめろ』的な事を言ったらしい。で、あいつ、生き物を抱きしめる経験が薄いから……」
「ああ……」
何故かその先は容易に想像できてしまい、張景は苦笑した。その後、人気の無い場所で膝を抱えて落ち込んでいるだろうとまで予想できてしまう。
「オレは気にしてないんだけどな」
「……僕が心配していたって、後で伝えておいてください」
そんな雑談もほどほどに、張景はスイを案内して、客間に通した。この空間にスイが居るというのは、なんだかこそばゆい感じがして、どこか落ち着かない。
お茶を出して、各々が席についたところで、最初に口を開いたのはスイだった。
「まずは改めて、皆々様には多大なご迷惑をおかけしました。……申し訳ございません」
スイは深々と頭を下げる。しかし、数秒して顔を上げ、
「……だが、私は謝罪をするためだけに、ここに来た訳ではありません。聞いて頂かなければならないことを、伝えにきました」
「……脱走の経緯について直接話したいって、事前に聞いたケド、間違いない?」
「ごめん、それ嘘」
「なっ!?」
「天眼隠の恩恵で、少なくともオレの姿や言葉を千里眼では感知されない。だから直接来ました。今から話す事は、復唱せずに聞いてください」
スイ以外の全員が顔を見合わせる。困惑を隠せないまま、各々が頷いた。
「まずは今回の処遇について。オレに対しての処罰が軽すぎるのは、オレ自身も想定していない。他の職員には雲中子がうまいこと言って誤魔化しているが、あれは嘘で、二郎真君より上の……それこそ天仙より上の存在が関与している。そうだろう?」
「……さっすがスイだね。よく見てらっしゃる」
「雲中子って、嘘つくときに限って、腰に手をついたときに親指をぐりぐりするけど、気付いてた?」
「怖!気をつけよ……」
雲中子が身震いするのを気にせずに、スイは続ける。
「で、だ。上の存在がオレを気にかけるとすれば、理由は天明ぐらいしか考えられない。そこで、オレが話せる範囲で、オレと天明の情報を伝えておきたい」
「え!?いままであんなに言いたがらなかったのに!?」
「それいま言っちゃうワケ!?なして!?」
張景と雲中子が一斉にスイに詰め寄る。広成子はマイペースに茶を啜っていたが。
「じ、事情が変わったんだよ!言っておくけど、オレが話せる範囲だけな?それ以外は、詮索はナシで!」
ぎゅむぎゅむと二人を席に押し返したところで、広成子が口を開く。
「……私が聞いてもいい話ですか?」
「はい。万が一に備えて、事情を知っている人間が多い方が良い。その点あなたは信用にあたる人です。弟のために、聞いて頂きたい」
「……わかりました。話を聞きましょう」
スイは一度、深々と頭を下げて、
「開示するのはオレ自身について。天明から与えられた能力についてだ。不老の力は血液により与えられた……ってのは、施設に来た時に伝えているよな」
「前に雲中子様が推測された、形状……記憶?もそうですよね」
「そう。厳密には、『血飲後は、その者の異常を完治させたうえで状態を固定する』ってところだ。だから、どんな怪我をしても回復するし、病原菌が体内に入っても、発症する前に体内でだいたい死ぬ」
「ああ……だからキミ、滅多に風邪をひかない割には一回熱を出すと長いんだ。元の体の弱さと、免疫の獲得ができないってコト」
雲中子が、合点がいったように頷く。
確かに雲中子の言う通りであれば、元の状態に戻る性質のせいで、ウイルスに感染しても抗体ができないことになる。いずれ性質により完治──厳密には『元に戻る』ため──しても、抗体は生まれない。潜伏期間が短いウイルスなら、下手をすると『初めて感染』を繰り返すことになる。
免疫の獲得不可。これは、人間として生きる上で非常に大きなデメリットだ。
「……今までよく、生きてこれましたね」
広成子の呟きに、張景は少し悪寒が走った。
「……ちょっと待って。その能力があれば、実質不老長寿が作りたい放題?仙人修行する意味ないじゃーん!」
「ああ……、それは……説明するけど……安心して欲しい、かな」
スイがなんともまあ歯切れ悪く、苦笑した。
「デメリットはまだある。血液摂取すると、天明の眷属と化す。本来なら、天明の手足となってあくせく働く伝書鳩だ。ただ……仮に天明の血液が採取できたとしても、もう、その能力はないんだ。全部」
「……待って、情報の整理が追いつかない。復唱はできないんだっけ。待って?」
雲中子はしばらく眉間に指を当て、広成子は無言で天井を仰ぎ、そして張景は呆然とスイを見つめた。各々、さらっと出てきたとんでもない情報を、なかなか飲み込めずにいる。
数十秒ほど待った後、痺れを切らしたスイが話を続ける。
「少なくとも、オレみたいなのはもう増えないから安心してくれ。オレ自身も……なんていうか、不慮の事故で血飲して、そのときは……『あなたはこいつの下僕です』みたいな刷り込みが頭に流れ込んできた感じなんだけど、それだけ。天明にオレを従属させる気はないのは、見てわかるだろ?」
「まあ……、わかるヨ。本人は『アレ』だし」
「そうですね……。『アレ』ですからね〜……」
「私は直接お会いしていませんが、『アレ』なお話は予々」
「うう、あそこまで至るまで苦労したのにアレ呼ばわり……」
「わ、わかってるって!ほら、続きをお願い」
割と本気でへこみそうなスイを励ましながら、雲中子が促す。スイは軽く咳払いをして、
「……おそらく血飲時に、オレの血液が天明にも混入した可能性がある。今は割愛するけど、さっき話した刷り込み、なんていうか『自分に言い聞かせている』感覚が強かったんだ。それに……」
「ソ、それに?」
「天明の雰囲気がな、言葉では言えないけど……その、あの後から『ぽやん』としてるんだよな。最初はもっとこう……無機物っぽかったんだけど。あれ、多分オレの血が混じっておかしくなったのかも。確証はないけど。でも天明から採血できないし、混ざっちゃったものはわかんないしなぁ。はははは」
その瞬間、この空間の数名が完全にフリーズした。
話についていけないというのもそうだが、ここに来て別方向で衝撃的な事実が明らかになったのだ。
幸か不幸か。とどのつまり、スイの言いたい事はこうである。
『オレの血のせいで、天明がバグってるかも。知らんけど』
青天の霹靂もドン引きである。
それを保護されて百数十年余り、黙っていたのだから。
とりあえず雲中子はもう一度、こめかみを強く押さえたかと思うと、懐から扇子を取り出し──それでスイを思い切りはたいた。
「……で?カミングアウトしに来たわけじゃないでしょ?続きがあるんだよネ?」
「はい。ここからが本題です」
自身の胸をさすりながら(どうやら肋骨に響いたらしい)、スイは神妙な面持ちで三人を見つめた。
「天明の本質については最初の通り、オレには説明できない。というか『口で説明できるほど理解できてないから、わからん』が、正しいか。天明が自分で話す決心がつくまで、待ってやって欲しい」
「ちなみに、いま無理にでも話そうとしたらどうなるの?」
「ええ……。正気度がガッツリ削られて発狂する。オレが」
「うっわぁ不定状態じゃん。詮索ヤメとこ」
「雲中子、話の腰を折らないでください」
広成子にぴしゃりと叱られ、雲中子は渋々黙る。
「……本当は墓まで持っていくつもりだったんだけど、事情が変わった。そこでひとつ頼みたいことがある」
スイは念入りに、この部屋以外に人の気配がないかもう一度確認するように左右を見渡し、
「オレを分館へ、隔離して欲しいんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます