第17話 不穏の種(2)

 派手な朱色の壁にに緑の屋根。そして至る所に彫られた鳳凰や獅子などの意匠。見上げる者を圧倒する場所、それが仙界府庁である。

 ある者は武当山の寺院を思い起こすだろうし、ある者は紫禁城を思い出すかもしれない。それぐらいのいかにもな雰囲気を纏う場所だが、建物自体は割と最近に建て直されたもので、風格があるかと言われたらなんとも言えない、というなが正直なところだ。

 張景がここに来た頃は、もっと質素だった気がするが、老朽化や新参住民の『なんだか仙人らしくない』という意見等……色々な経緯があり、今の派手な見た目に至る。

「何度見ても、掃除が面倒くさそうなデザインしてるよねぇ。ボクは苦手〜」

「ああ、だから保護センターって装飾が無いんですね」

「少なくとも、ウチには不要だからネ」

 門を通過し、広場に降りる。仙界府庁はいわば仙界側の役所のようなものなので、里側に住む人間も仕事の都合などで出入りする者が少なくない。里ほどではないが、人間や仙道の行き来がそれなりにあり、賑わっている。

 大きく開け放たれた正面玄関に入り、受付の童子(見た目こそ子供だが、張景の何倍も年上である)に用件を伝えてしばらく待つ。やがて別の童子から声がかかり、二人は童子の後をついて行くことになった。

 通路をいくつか曲がり、中庭の見える渡り廊下を進む。張景も桃源郷に入ってしばらく経つが、ここまで来たことはない。歩数が増すほどに、緊張も増す。

 その様子に気付いた雲中子が、ふんにゃりとした顔で耳打ちしてきた。

「こりゃ、二郎クンのところに通されるかな?執務室の方向だ」

「二郎クン……って、もしかして顕聖二郎真君ですか?実質ここのトップじゃないですか!?」

 顕聖二郎真君とは、仙界府庁の各部署の総括と議会を任されている仙人である。厳密には弟子を取りたくないらしく、道士らしいが。

 実際のところは、彼の上に三清と呼ばれるトップ中のトップ機関があるが、あまりにも仙人としての格が違うせいで、人前に姿を見せることは滅多にない。故に、府庁における権限の多くが彼に集中している。

 張景は身震いした。

「どうしよう……。あの人、苦手なんですよ」

「おや、景クンにしては珍しい」

「あの人、文武両道・品行方正・容姿端麗の具現みたいな人じゃないですか。師匠の仕事で数回、お会いしたことがあるんですが……一緒の空間にいるだけで、圧倒されちゃうんですよ……」

「まー、そこはほら、ある程度は耐性ができてるんじゃないかな?多分」

「……?」

 そうこう言っている間に、鳳凰が掘り込まれた重厚な扉の前まで着き、立ち止まる。案内の童子が数回のノックをすると、

「──どうぞ、お入りください」

 中から声がしたかと思うと、ひとりでに扉が開いた。

 中へ進むと、背の高い男が拱手で迎える。

「この度は、ご足労をおかけいたしました。雲中子様、定例会議ぶりです。張景さんは確か数十年ぶりでしょうか。今回は私──二郎真君がお話を伺いたく」

 顕聖二郎真君。彼を見た者はほぼ全て、こう答えるだろう。美しい、と。

 端正でシャープな顔立ちに、服の上からでもわかるしなやかな四肢。腰まで伸ばした黒髪は夜空のように煌びやかで、落ち着きのある声は聴く者を虜にするだろう。下手したらあまりの麗しさに卒倒する者もいるかもしれない。まさしく、正統派の美青年。

 その存在感は優雅で優美でなにより圧倒的。並大抵の人間あるいは平々凡々な道士は謁見後に口を揃えて、

『あまりのオーラで、何を話したかの記憶がない……』

 と言うのだ。

 その気持ちは張景もよくわかる。彼も経験者だった。何十年か前に師匠の用事で共に会ったときがまさにそれで、何の用事だったかは未だに曖昧だ。

(ん……?あれ、二郎真君の、顔が視認できる……?)

 だが、今は以前よりも臆せずに対面できていることに、張景は内心驚いた。確かに物凄いオーラを放っているものの、正気を保っていられている。

 そこで気付いた。

(……も、もしかして。天明さんを見慣れているせいで、美男子に耐性がついている!?)

 雲中子が言っていたのはこれのことか、と物凄く納得してしまった。

 拱手をなんとか返し、案内された場所まで進む。心の中で、天明に感謝しながら。

 だが、問題はここからだ。張景は特に問題児という訳でもなく、ごく真面目に生きてきた。大きな規律違反はこれが初めてなものだから、どんな処罰が下るか想像もつかず、緊張が走る。

「さて、早速ですがお二人の処遇について申し上げます」

 お互い腰掛けることはなく、二郎真君は執務机に置いてあった書類を取り、読み上げる。

「結論。張景殿は二ヶ月の謹慎と、その間はこちらから指示をする無償奉仕を行なって頂きます。それと、期限内に始末書の提出を」

「……え?それだけ、ですか?」

 拍子抜けのあまり、思わず聞き返してしまった。二郎真君はふぅ、とため息をついて、

「貴殿の行動の結果を差し引いた上での処遇です。とはいえ、罰は罰です。無償奉仕は相応に厳しいものと考えなさい。具体的には3K、キツい、汚い、こんなことなら規律違反しなきゃよかった、その程度のことを週六で行って頂きます」

「あ、一日休みがあるんですね」

 とりあえず無休はないようで安堵しておく。

 二郎真君は雲中子へ視線をやり、

「続いて、雲中子様ですが、始末書の提出と、減給一年七ヶ月です。カット率は八割です」

「ボクだけエグくないッ!?」

 雲中子が詰め寄るも、二郎真君は冷静に書類を裏返して見せてくれた。

「今回は、最高神格であらせられる『三清』直々決定です」

「……三清?」

 雲中子の表情が変わる。張景も、その言葉の意味を理解し、思わず一歩前に出る。

 三清というのは、二郎真君の言う通り、仙人の中で最も神格の高い三人を指す。元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊。いずれも次元を超えた格が過ぎて、人前どころか普通の仙道でさえ、姿を見たものは少ない。

「三清の御三方が、僕達の処分を決定したということですか?その、さすがに最高神格の方々が介入するほどのことでは……」

「まだ続きがあるんですよ」

 二郎真君は少し下がり、二人に見えやすいよう書類を前へ掲げた。書類は枚数の割には、書いていることが少ないように見えた。

「脱走した妖獣──呉水の処分についてです。『一時的に発信機の装着を義務付ける。健康面での経過観察を経て、以前同様の保護をすること。なお脱走理由、脱走方法の追及は行わないものとする』……とのことです」

「はぁ!?脱走方法は追及しないって、どういうこと!?」

「う、雲中子様!落ち着いて!」

 雲中子が更に二郎真君に問い詰めようと歩み寄る。張景は慌てて止めに入った。二郎真君はため息をひとつつき、

「……わかっています。私もこの内容に不服があります。呉水はほぼ人間とはいえ、規律上は妖獣の一部です。脱走の原因追及と対策を行わないとなれば、住民の不信を買うことに繋がります。それは、本意ではない。それに、視察で呉水とは面識はありますが──あいつが仮に符術を使えたとしても、一人で脱走は困難です。私は、協力者を疑っています」

「処遇もおかしい。それってつまり、詮索するなってコトでしょ?天明のメンタルケアを差し引いても、放免はありえない」

「あの、ということは……三清か、それと同等の神格が、逃走に関与しているってことですか……?」

 しばし、全員が沈黙する。

 可能性は低い。逃走に関与する理由も、隠蔽する目的も、三清とは関係はない。少なくとも、スイには。

「……お上の目的は、天明だったり、する?」

「否定はできませんが、確証はありません。少なくとも、ガイテンミョウジに関しては特別記載はありません」

 二郎真君は書類を机にしまい、代わりに白いチョーカーを取り出すと、太乙真人に渡す。どうやらこれが、発信機らしい。

「疑念は残りますが、当分は指示通りにお願いします。あの通達文は雲中子様の端末へ送っていますので、後ほど確認を」

「了解。例の件は、ボクが調べてみるヨ。スタッフにも、うまく周知しておく。景クン、他言無用でネ」

「わかりました」

「こちらでも調査してみます。まぁ、もしかするとこれも、三清はお見通しかもしれませんが」

 二郎真君は僅かに眉を下げ、困ったように笑ってみせた。その悩ましげな表情、同性でもドキリとしそうになるから、恐ろしい。張景にそういった趣味はないのだが、なんだか感心してしまった。

「ところで張景殿……。君があの呉水と血縁関係というのは本当かい?」

 突如話を振られて、張景は一瞬どぎまぎしてしまった。

「ひゃ、は、はい。スイさんは僕の実兄です。

と言っても、ここに拾われてからすぐ生き別れになったので、最近まで記憶が朧げで……」

「なるほど、当時の情報を調べてみましょう。呉水のその後について、なにか知っている情報は?」

「兄は……桃源郷で暮らすことを選ばず、下界へ戻りました。その後、呉蒙という方に養育されいたそうです。確か……本名は呉由で、元仙道です」

「ナニソレ新情報……」

 雲中子が驚きと恨めしの表情でこちらを見てきたが、張景は申し訳なく思いながらも気付かないフリをした。

「呉由……私は存じ上げない方だ。念のため彼についても調べてみましょう。張景殿、情報提供をありがとうございます。明日から忙しくなります。今日はもう下がって、ゆっくり休みなさい。あとで詳細を綴って送らせます」

「は、はい。お心遣い痛み入ります、二郎真君」

「ボクも行っていい?副所長を分館で待たせているんだ」

「それでは、お小言は定例会議に持ち越しましょう」

「うげー」

 二郎真君は二人を途中まで見送り、執務室へ戻って行った。その際に、

「……あれの様子はどうですか」

 と、二郎真君が雲中子にこっそり何かを聞いていたが、よく聞き取れず。

 そこから先は、二人で歩きながら、その後の保護センターの様子などの情報共有、スイについて可能な範囲での説明、そして仕事に穴を開けてしまったことへの詫びをして、

「はぁ……。給与八割カットかぁ……」

「はぁ……。広成子様、台所ぐちゃぐちゃにしてるんだろうなぁ……」

 と、それぞれの今後を憂いながら、門の前で別れた。

 桃源洞に戻ると広成子が出迎え、どれだけ心配したかや、今後について聞かれた。話す以前に、やはり家中が荒れに荒れており、積み上がった食器や洗濯物の処理に、張景は半ギレになりながらこなすことになる。


 翌日からは、二郎真君が宣言した通り激務の毎日だった。

 初日からウー氏と共に雨で氾濫しかけた河川の維持保守で何日も肉体労働に励み、仙界府庁の高所清掃、道路の死骸回収、下水施設の修理手伝い、墓地の清掃、祭事の道具修理……等々、肉体的にも精神的にもキツい仕事ばかりで、毎日クタクタになって帰ってきた。

 その間、広成子が茶葉を水道にダイレクトに捨てて詰まらせてしまい、一度派手に師弟ファイトが始まったが、割愛する。


 そんなこんなで二十日ほど過ぎたある日、ある人物が訪ねてきた。


 呉洞水、本人である。

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