第16話 家族(3)
会議室は本日一番の静寂に包まれた。
状況を整理しきれていない顔で、雲中子がおずおずと口を開く。
「……いま、とんでもないことを聞いた気がするんだケド、確認していい?」
「は、はい」
雲中子は腕を組み、片手の人差し指を己の額にぺちぺちと突きながら言葉を捻り出す。なにかのマスコットの動きのようだと、張景は思った。
「……スイと、同郷?」
「そうです」
「んで、兄弟だったと?」
「そう言いました」
「……マンマミーヤ?」
「うちは三兄弟ですよ」
「……なんで?」
様々な意味を内包した疑問だ。回答に困る。
それ以前に、雲中子が明らかにキャパオーバーをした顔をしているので、何を言っても埒があかないと張景は判断した。
「とにかく、色々あって言い出せなかったんです!小さい時に生き別れてたんですし!それよりも時間がありません。あの馬鹿兄貴、部屋にあった短剣を持ち出しています」
「短剣……。祖父の形見とかで、特別に部屋に置いていたやつか?」
「正確には、父の形見です。間違いではないですけど、おそらく呉老師と誤認させるつもりです」
ようやく雲中子は思考が追いついたらしく、今までで一番のため息つき、
「誰か、鳴ちゃんに連絡を。景クンの話は半信半疑だけど、警戒しておこう。車の準備と……」
「それじゃあ遅いんです!」
張景は踵を返して部屋を出て行こうとした。が、雲中子が慌てて立ち上がる。
「景クン、落ち着いて!心配なのはわかるが、素人の符術でそう遠くへは」
「天明さんは『桃源郷にいない』って言っていたじゃないですか!もうここにいないんです。早く下界に行って探さないと」
「だからといって、キミが行く必要はない。そもそも自死する根拠が薄い。キミはいま、かなり突拍子もないことを言っている自覚はあるのか?」
そこまで言われて、張景は言葉を詰まらせる。
自分でもわかっている。今の張景には、ここにいる人達を納得させられる物的証拠は無い。ただ、自分の記憶がはっきり戻っただけ。
兄の自死も推測に過ぎない。よりによって一番最悪なケースを口にしたことで、室内の緊張感が高まってしまっている。周囲の心証は間違いなく悪くなったであろう。
「雨足が激しくなっている。いまは待機だ。部下を危険な目に遭わせたくない、ボクの気持ちもわかってくれ」
わかっている。雲中子が最大限譲歩してくれていることぐらい。
「下界の捜索許可も府庁に申請しておこう。非常時だ、天明を連れ出せないか掛け合ってみよう」
それでも、わかってしまうから、焦ってしまう。
兄なら、『やりかねない』と。
「──ッ!!」
張景は勢いよく部屋を飛び出した。広成子と一瞬目が合ったが、構わず廊下に出ると、急いで出入り口へ走り出す。
「──景クン!!」
足を止め、振り返る。険しい顔をした雲中子が、張景を睨んでいた。
「……業務命令だ。室内で待機を」
張景は雲中子の方へと向き直ると、拱手をして、
「いままで、お世話になりました」
とだけ告げ、全力で外へと向かった。なにか背後で叫ばれている気もするが、そんなの構うものか。
張景の去った廊下。雲中子は肩を落として戻ろうとすると、いつの間にか背後に広成子が立っていた。
「弟子なのに、なんで止めなかった?」
「あの子はああ見えて、頑固なんですよ。私が止めたところで聞きません。貴方だって、やろうと思ったら仙術を使って止められたはずでは?」
「……ああ、それもそうか。まだ気が動転していたみたいだ」
雲中子は困ったように笑う。そしてぽつりと、
「羨ましい、って思っちゃったのかな」
「人間だった頃の話ですか」
「うん。……家族と向き合わずに逃げた愚か者が、勝手に自分を重ねちゃったってヤツさ。はぁ、だから地仙どまりなんだよネ!」
「私はそんな雲中子で、よかったと思いますよ」
広成子と雲中子はお互い見合って、やれやれと少し呆れたような、それでいて少し砕けたように笑い合う。
それから雲中子は自分の頬を数回叩き、会議室に戻った。呆気に取られた職員たち全員を見渡して、
「ボクが直接府庁と連絡を取る。これから指示を出す子以外は、通常業務に戻りつつ待機を。広成子は、通信端末を貸すから──」
そう指示を出しながら、懐から通信端末を取り出した。
・・・・
雨風は施設に来たときよりも強く、道の傾斜には小さな川のように雨水が流れている。
季節柄、晴れていたら西陽が眩しい時間帯だというのに、ほぼ夜のように暗く、灯りを持たずに出たことを後悔した。だが、引き返す余裕はない。張景はただひたすら、走った。幸い、徒歩で通っていた経験もあってか、視界が悪くても道を間違えるようなことはない。
あの森までは距離がある。たとえいまの張景に水遁が使えたとしても、豪雨の中で使うとなると制御が難しい。使わない方が賢明だろう。
そこまで考えて、ようやく兄が計画実行日を今日に選んだ理由がわかった。
(ここまで念入りにしてまで、死にたいのか!あの馬鹿兄は!)
だが、張景にも手はある。おそらく、あちらも使った手だが、この手にかけるしか無かった。
里へ向かう途中にある、百尺岩。ただでさえ巨大だというのに、天候のせいで上がほとんど見えないほどの巨岩の前で立ち止まる。
張景は大きく息を吸い、
「いるんでしょう?太公望・姜子牙!スイさんの脱走を手引きしたのはわかっています。どうせ、僕がやってくることもわかっているんでしょう。出てきてください!」
返答は、ない。あるのは強い雨音だけ。
それでも、張景はきっと百尺岩のてっぺんを睨むように見上げ、もう一度声を張り上げた。
「出てきてください!姜し──」
「ああ、わかったわかった。そんな大声上げんでも、いくらでも出てきてやるさ」
雨の中でも何故かはっきりと声が聞こえ──、望み通りの影が、百尺岩の頂上から出てきたかと思うと、傘をさしながらふわりふわりと降りてきた。まるでどこかで観た映画のようだった。
「で?張景。お前がしたいのは俺の糾弾か?」
影の主──姜子牙が、傘を閉じてにやりと笑いかける。
張景は負けじと、真剣な面持ちで姜子牙の顔を見る。
スイの逃走には、少なからずこの男が絡んでいる。確信はあるが、証拠はいまのところ無い。が、問い詰めたい気持ちはあるが、今はそれどころではない。
「違います。叶えて欲しい願いがあります」
「ほう。どんな願いだ?」
「僕を、故郷へ連れていってください。今すぐに」
姜子牙はすっと目を細め、
「なるほど。聞き届けた」
と、手を差し伸べた。
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