第16話 家族(2)
雲中子に報告する前にどうしても確認したくて、スイの部屋に寄った。
とてもよく片付いている。部屋の片付けに熱中しているのは知っていたが、えらくコンパクトにまとまりすぎている、と張景は感じた。
(それよりも──)
張景は急ぎ、棚の引き出しを恐る恐る開けた。以前、短剣が入っていた場所だが、
「やっぱり……ない」
そこに仕舞われていたはずのものが、ない。代わりに古ぼけた茶封筒が二つ入っていた。片方はやけに分厚く、もう片方は薄い。
張景はひとまず、薄い方の封筒を開け、中に入った二枚の便箋に目を通し──血相を変えて部屋を出た。幸い誰ともすれ違わなかった。下手すると跳ね飛ばしていたかもしれない。
会議室の扉を勢いよく開ける。中にいた職員や警備隊が驚いてこちらを見るが、構うものか。
「雲中子様!こ、これ!これを!!」
震える手から、神妙な面持ちで雲中子は手紙を受け取り広げた。
「スイの字だ」
その一言に、室内が静まりかえる。
「……道長たちには多大なるご迷惑をおかけし、謝罪尽くしても尽くせません」
雲中子の眉間に皺が寄る。
「私には、どうしても帰らねばなりません。どうしてもやらねばならぬことがあるのです。以前より常々、祖父の元へ戻らねばと強く考えていました。理由はお話できませんが、もう、ここに居るのは、辛い。天明をよろしくお願いします。あいつなら、もう私がいなくても大丈夫です。いままで……大変、お世話に……」
最後の言葉を言い終えず、雲中子は顔を上げた。表情は変わらない。ただし、相当『気』が立っているのは、室内の仙道なら見て明らかだ。非常時でない限りは、話しかけたくない。
少なくとも、この手紙で可能性は絞られた。自らの意思で脱走したか、或いは誰かに脅迫されて誘拐されたか。
雲中子は無言でもう一枚の封筒から書類を出した。どうやらこれはスイの通帳らしい。彼の今後のために、雲中子が特別に作ってくれたものだと聞いたことがある。
「……景クン。天明はどうだった?」
びくりと体が強張る。少々声が裏がえりつつも報告を行うと、雲中子の表情がほんの少し和らいだ気がした。「何が大丈夫だ、あのバカ」と呟き、室内にいるメンバーに向き直る。
「やはり、下界へ向かった可能性があります。以前、彼が⬛︎⬛︎省で祖父と暮らしていたと言っていました。ここから近いのはどの経路でしょうか」
一番遠くにいた、警備隊男性が答える。
「東海は無いでしょう。彼もあそこが危険だと知らないはずがない。次に南方の洞穴ですが……あれは垂直穴です。縄も設置していないので、この雨で降りることはできないはずです。それに、周囲の結界に入れば、さすがに我々でも気付きます」
「スイは、天眼隠持ちだ」
「……動物の侵入と、区別がつなかい可能性も出てきますね。念の為、今から向かいます」
「よろしく、お願いします」
警備隊男性は一礼すると、素早く部屋を後にした。後に続いて女性隊員も部屋を出る。
少しの間があって、雲中子は長く息を吐くと、椅子に座り込んだ。正面の加減もあるが、一気に老け込んだようにも見える。
「ひとまず、天明はしばらくは大丈夫みたいだね。ありがとう景クン。悪いけど、広成子と合流して」
「いいえ、その必要はありませんよ」
雲中子の言葉を遮り、広成子が部屋に入ってくる。その片手には、B5サイズほどの封筒が抱えられており、広成子は雲中子の座るテーブルに中身を出した。用紙に写真が貼り付けられている。
「監視映像で形跡が追えました。最後の映像は一四時四七分、場所は一階倉庫。倉庫に入って間もなくカメラの死角に入り、その後、姿を捉えた映像はありませんでした」
「……所長。あの子、監視室に出入りは……していましたよね。頻繁に」
職員の一人が恐る恐る口にする。数秒、重い沈黙が流れる。
「……完全に油断していたよ。特に倉庫は職員は全員出入りできる。で、それだけじゃないんだろ?」
広成子は頷き、封筒に残っていたものを取り出す。それは透明な袋に入った、紙の燃えかすだ。
大部分が焼失しており、紙そのものも真黒に焦げていて、何が買いてあるかもわからない。わかることは恐らく形状的に紙幣に近い形だということと、僅かに焦げていない部分──紙色が黄色だったことだ。
「呪符か!?そんな馬鹿な、あいつは仙道じゃないんだぞ!?」
雲中子は血相を変えて立ち上がる。広成子は極めて冷静に、ある写真を指した。
「まだ続きがあります。このカメラの下、死角ではありますが、ある物があります。……排水口です。蓋が開いていました。おそらく、これは水遁符でしょう」
「仙道に協力者がいたとでも?まさか。映像では一人だ。他の人間がここで待機している可能性は低い。死角になっていたのはスイの身長が低いせいもあるし、そとそも出入りは少なく無いんだ。すぐ見つかる。変化の術を使えるスタッフはここにいない。ありえない」
「……ありえるかもしれません。雲中子様」
絞り出したその声に、室内の全員が一斉に張景の方へ向く。張景は緊張した面持ちで、一歩雲中子の前へ出た。
「根拠は?景クン」
「……仙人になる条件は様々ですが、道士として仙界府に招き入れらるためには、一定以上の素質が必要です」
「そうですね。検査や観察を経て、一定の条件を満たせたなら、その子は仙界府へ声がかかります。早く修行を始めたほど開花も早い。ですので若ければ若いほど良いとされます」
「でも、その条件を満たしていないと、素質があっても声はかかりません。修行してもすぐに伸びなくなるからです」
広成子が察してくれて、そっと雲中子から離れた。雲中子は何を言っているかわからないと言った表情をしつつも、真剣な顔で話の先を伺っている。
「あの人は、ずっと昔に一度、兄弟で桃源郷に来ています」
「は!?初耳だけど!?」
「雲中子、まずは話を」
雲中子は席を立ちそうになったが、広成子に促され渋々着席する。
「日中に、碧霞医院で確証を得られました。弟達は仙界府に招かれましたが、スイさんだけは招かれなかった。最初は素質そのものが無いと思っていました。よくある話です。でも、彼が、単に基準以下であっただけなら……」
「それだけで呪符を使えないよ。最低でも、符に『気』を巡らせるだけの呼吸方法を会得しないと……」
「この祖父──呉蒙老師、元・道士だそうです。先日、姜子牙さんから聞きました。その昔、ご友人だったそうです。スイさんとは、直接面識はないようでしたが」
はぁーー……と、長い長いため息を吐いて、雲中子は天井を見つめた。
ごめんなさい、と心の中で謝りながら、張景は話を続ける。
「問題は、スイさんがどこに行ったかですが……。そもそもこの手紙、半分嘘です」
「半分、ときたか」
雲中子が姿勢を戻して見つめる。
「ここにいるのが苦痛だったのは事実でしょう。もし弟と会ったら、今更どんな顔をして会えばいいかわからないから。どこかで会うのが怖かったんだ。……ああ、だからアツユの前で僕を庇ったとき、本名を教えてくれたんだ。僕を使って罪滅ぼしをしたかったんだ。それが叶わなかったから、弟のことを忘れてくれなんて言って」
「……景クン?」
「……あの人は、いつもそうなんです。人に嘘をつくとき、深くを語ろうとせず謝る癖がある。冒頭の謝罪、嘘をつくことに対しての謝罪です。あの人が向かうのは、呉蒙老師と暮らした家ではない」
「……じゃあ、どこだというんだ」
張景は一瞬、息を詰まらせる。
これまで思い出したことが脳内を駆け巡り、「このままあの人の好きにさせた方が、幸せなのではないか?」という考えも頭をよぎった。
でも──、天明と約束したではないか。連れて帰らないといけないと──と、愚かな考えを振り払う。
「……以前行った、東の森です。そこから下界へ向かったはずです」
「あそこから下界に行っても、周囲に何もなかったはずだけれど」
「いいえ。あるんです。……正確には、『あった』んです」
張景は意を決して──、
「かつていた、遊牧民の最後の夏営地。スイさんの……いえ、僕たちの故郷です。兄はそこで、死ぬつもりです」
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