第16話 家族(1)
降りしきる雨の中、三人は大急ぎで妖獣保護センターに向かった。到着するなり、雲中子が慌ただしく迎え、三人のずぶ濡れの体から水分を出して窓の外へ放る。
休暇中に呼び出した詫びもそこそこに、監視室へ通された。中にはスタッフが一人、モニターと睨み合っている。
「最初に異変に気付いたのは、天明だ。午後五時二六分、虚越泉から戻ってきたときだ。戻ってきて辺りを見渡したあと、『スイがいない』とすぐ気付いたらしい」
「いない……?スイさん、今日は外出予定はなかったはずですよね?」
雲中子は首を横に振った。
「どうやら、桃源郷のどこにもいないらしい。外に出た痕跡は、今のところ見つかっていない」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ所長!桃源郷からって、どういうことっスか?まるで」
徐栄が慌てて割り込んでくる。対して広成子は冷静そのもので、
「雲中子、貴方はどこに?」
「仙界府庁へ定例報告に。戻ったのは異変の十分前。警報は朝に太乙真人が鳴らしてそれきりだけど、動作に異常はない。全ての出入口には職員以外の出入りの記録はない。カメラにもだ」
雲中子の口調は冷静を取り繕っているように見えて、だいぶ思いつめている。見るからに顔色が良くない。
「なるほど。では現状……一、なんらかの事故により施設外に移動している。二、何者かによる誘拐。三、自らの意思で脱走した。四……施設内のどこかで死亡している。この可能性があると。間違いないですか?」
死亡──。あくまで可能性の話とはいえ、その単語にゾッとした。全員、あまり考えたくはないが、まだ否定はできない。
「……とにかく、ボク達には情報がいる。栄クンは館内カメラの映像確認を手伝ってあげて。最後に映った映像データを確認でき次第報告を」
「了解です!」
「広成子。部外者に頼むのは心苦しいけど、キミの視点から脱走防止術式に穴がないか見て欲しい。二階に調査班がいるから合流を」
「友人の頼みとあらば、最善を尽くしましょう」
「ありがとう。ボクはもうすぐ警備隊が来るから、捜索の打ち合わせをする。景クンは……」
雲中子はとても申し訳なさそうに、言葉を一瞬止めて、
「……天明から詳細な情報を聞き出せないか、やってみて。ただ、今の彼は半暴走状態だ。キミでも、話が通じるかどうか……。太乙真人が抑えてくれているけど、危険だと思ったらすぐ逃げてくれ」
張景はごくりと息を呑み、真剣な面持ちで一度、頷いた。
・・・・
張景は地下通路経由で四棟に向かった。出入口付近のスタッフは、張景の姿を見るなり待ってたと言わんばかりに案内してくれた。
問題の部屋は三重もの扉で隔離されており、扉を開けると──、
「うわ、熱っ!?」
まるでサウナにでも居るような熱気が二人を襲う。部屋の中央にある黒い球体は、以前、鳳凰山で見た太乙真人の宝器・九竜神火罩。ただし前見たときよりもだいぶ小さい。サイズを自由に変更できるか、あるいは小型版なのかもしれない。
この宝器は閉じ込めたものを焼き殺すものだ。故に、内部の耐熱性は非常に高い。天明が中にいることは、状況的に明らかだ。
部屋の隅には太乙真人が、それはもう不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。仙人といえどさすがに暑いのか、汗をかいている。常人よりはだいぶ少ないが。
足元には水が入っていたであろう空き瓶が転がっている。
「遅い!」
「すっ!すみません!」
狂犬のごとく唸られ、びくりと肩が跳ねた。太乙真人は大きくため息をつき、
「現状、取り乱した阿呆を拘束中。内部、温度上昇止まず。虚越泉は耐久温度の都合で撤去。内部、呼びかけに応じず。このペースで上昇し続けると、四時間後には九竜神火罩が内側から溶ける。同時に内包された二八〇〇度以上の熱が部屋に充満して、最終的には……仙界府から施設にミサイルでも撃たれるのでは?知らんが」
「そんな他人事な」
とはいえ、説明に感情的な要素が一切ないのは、ありがたい。仙人──とりわけ天仙という存在は、無駄をあまり好まない。極めると、計算結果しか言わないような電卓のような存在もいるが、太乙真人は『まだ』こちらに合わせてくれているのがわかる。
空気を深く吐いて、それから吸い込む。とにかく熱い。人間ならすぐさま熱中症で倒れそうなほど。
「天明さん!聞こえますか?張景です!!」
数秒待ってみたが、返事はない。
「……天明さん!張景が来ました!」
やはり、返事がない。
張景は、考える。ほんの十数秒。
考えた末、天明のこれまで行った努力を信じてみることにした。
そして今一度、
「天明さーん!おはようございます!!」
と、叫んでみた。太乙真人が一瞬目を見開き、嫌そうな顔でこちらを見たが、気にしない。
すると、やや間があって、
「……おはよう、ござい、ます」
弱々しい声がした。
以前より、意思疎通ができる。今まで自制の修行を頑張ってきたんだなと実感し、少し感動してしまった。
紫微の指導の賜物でもあるし、懇々と指導されたであろう挨拶習慣がこんなところで役に立つとは。こればかりはスイにも少し感謝をした。騒動の張本人でもあるが。
これには太乙真人も流石に目を丸くした。張景は「案外、表情豊かな人だな」と思ったが、いまはそれどころではない。
天明なら、少なくともこの部屋に誰がいるかは宝器内からでもわかるだろうから、それ前提で話を進める。
「大丈夫ですか?お話、できますか?」
「……スイが、いない」
声が少し、震えている気がした。
「いま、みんなで探しています」
「俺も探す」
「それは無理だ」
ぴしゃりと太乙真人が言い放つ。
「いま九竜神火罩の中は一〇〇〇度を軽く越えている。阿呆自身の体温もだ。開けるだけでフロア一帯が危険だ、少しは考えろ莫迦者。故に、周囲に影響のない温度までに自然冷却する。それまではここは開けられん」
「……」
明らかにしょぼくれている、気がする。また暴走状態になってはならない。張景はすかさずフォローした。
「天明さん、安心してください。スイさんのこと、天明さんと同じぐらいわかっているつもりです。必ず、見つけます。だから情報をください。異変を感じたときとか、今朝の様子とか、少しでも手がかりが欲しいんです」
「……」
天明が暫し沈黙する。その間も室内は咽せ帰るほど暑く、張景の顔は汗でびしょびしょだ。それでも構わず、待ち続ける。、
「今日は、朝、違っていた」
天明が口を開いた。
「普段は、せんせいのところに行く前に『よく紫微サマの言うことをきいて、頑張ってこい。いってらっしゃい』と言う。でも、今朝は『みんなの言うことをよく聞いて、自分に正直にな』と言っていた」
「それは──」
嫌な予感がする。だって、それはまるで、
「戻ると、いない。スイは離れていても、いる位置がわかる。俺の血。でも、いない。桃源郷にはいない。はじめてだ。……怖い」
「天明さん……」
「……それと」
天明は辿々しく続ける。
「二十日前から、右の靴になにか、隠していた」
「……なにか、ですか?」
「うん。昔からの、スイのおまじない。いつもは貨幣を入れる。靴の中、服の裏地、縫い目。ここに来て、しばらくしてなかった」
おまじない。この意味は、これはさすがに世間知らずな張景でもわかる。その意味に胸が痛んだが、大事なのは何を隠していたかだ。
靴に隠すということは、あまり厚みのないものだ。天明の言う通り、おそらく紙幣などの薄いものではないかと推測する。
(紙幣というと、最近は姜子牙さんにしょっちゅうチップをねだってたな。よくわからない国の紙幣とか、たまに束で貰っていたけど……まさか)
確証できるには、証拠が足りない。
張景は早まる気持ちを鎮めながら、あくまで冷静に、天明に話しかけた。
「ありがとうございます。絶対、見つけます。だからそれまで信じて待っていてください」
「信じる……」
「はい。僕、あの人に会って、話さないといけないことがあるんです。だから、足枷つけて引っ張ってでも戻らせますから。天明さんは、冷めるここでじっとして。もしほかの職員さんが来たら、手伝ってあげてください。できますか?」
天明の表情は、ここから見えない。見えたところでいつもの仏頂面かもしれないが、どんな顔なのかはなんとなく想像できた。
「……わかった」
絞り出すような声で、返事が来た。張景はそれに感謝し、早足で部屋を出て行こうとして──足を止めた。
「……ところで太乙真人様。その宝器って確か、持ち込み禁止されてませんでしたっけ?」
「表向きはな」
太乙真人は「そんなこともわからんのか」と言わんばかりの呆れた眼差しを向け、ため息をひとつついた。
「緊急時対策だ。役に立ったであろう?」
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