第8話 知りたいこと、知られたくないこと(1)

 張景の決意から一週間経った。記憶をどうにかして戻そうと思ったものの、進展はない。

 瞑想で己の深層を覗けないか試したが、呪いの妨害を受けて一晩中激しい頭痛に苦しめられたし、既存の符術を掛け合わせて呪いに対抗できないかも試した。己がスランプだということをすっかり念頭に置いていなかったため、試作時点でカラー粘土を量産することになり、広成子が悲鳴を上げていた。


 一方で、妖獣保護センターには変な客がうろつくようになった。今日は誰も使っていなかった仮眠室の一角で、スイと机を囲んでいた。

「あれー?張景、顔色悪いぞ?ちゃんと寝てる?子牙さんが子守唄でも歌ってやろうか?」

 そう、太公望こと姜子牙である。

 ほぼ毎日、午前中の決まった時間にスイの貸出予約をしては彼の部屋か、空き部屋を使ってスイに勉強を教えて貰っているようだ。希代の大軍師が一般人に教えを請うというのも奇妙な話だと、職員達は口々に言っていた。

 と言っても、内容は勉強というよりも『ド忘れしているもの思い出す』ことが目的のようで、意外なことにスイに白羽の矢が立ったという訳だ。

 施設内であることと、貸出内容的に職員を付き添いに出すのは効率が悪いといことで、張景は今日はスイ達とは別行動で仕事をしていた。今はたまたま備品の交換に仮眠室を訪れただけだ。

「余計なお世話です……。というか姜子牙さん、また前に会ったときと見た目違いませんか?」

「ん?ああ、コレか?」

 そう言われて姜子牙が立ち上がる。以前に比べ、どことなく体型がスマートになっており、腰回りがしっかりしている。髪も肩につくかつかないかぐらいまでに伸びており、後ろ髪の一部はハーフアップでひとまとめにして結っている。おまけに黒目も金目に変わっている。

「いいだろコレ。前の試作型を元に改良してたらつい凝ってしまった。神たるもの見栄えは大事だしの!いやぁ、本当にいい素材をありがとう、マイマザー」

「スイさん、土人形って燃えるゴミでしたっけ、燃えないゴミでしたっけ」

「資源ゴミ。環境センターに運ばれて、洗浄して牛糞を混ぜて再利用されるんだとさ」

「お前達、俺に対して当たりが冷たすぎやしないか?なあガイテンミョウジ」

 と、姜子牙は少し離れた寝台に腰かけていた天明に同意を求めた。天明も声をかけられ、ちらっと姜子牙と目を合わせる。

「……」

「……おーい、ガイテンミョウジ?」

「……」

「……なあ呉水よ、あいついつもあんな感じなのか?」

「平常運転だよ。というかほら、ここ間違えてる。まったく、なんで薩摩弁で日本語覚えちゃったんだろうなぁ。単語も標準語に直す作業が面倒ったらない。あと『ワッサイビーン』ってなんだ。別の言語混じってないかコレ」

 お手製の問題用紙を指差しながら、スイがため息をついた。少し興味が湧いて張景は問題用紙を覗き込んだ。

 どうやら日常会話に関する問題のようであるが、張景は外国語はさっぱりである。手書きの問題文はお世辞にも字が綺麗とは言えない。しかし姜子牙の回答には赤ペンで丁寧に添削してあるのが見てとれた。と思ったら所々キリル文字と思われる走り書きも混じっていて、一体何の勉強をしているかわからなくなってくる。

「スイさん、外国語わかるんですね」

「ん?まあ、簡単な日常会話ぐらいだけど」

「昨日はロシア語で、一昨日は世界史でしたよね。どこで勉強したんですか?」

「んー……、色々としか……」

 そう濁すように答えながら、スイは手元の参考書をパラパラと捲った。

 ここ数日、張景は今のようにスイの過去をそれとなく探ろうともしてみた。現状では彼が自分の過去を知りうるであろう唯一の人物だからだ。ズバリ直球で聞ければいいのだが、それができたら苦労はしないのが現状である。

 しかし、過去の話に触れようとするとスイは決まって言葉を濁したり、話題を変える。時には理由をつけて『今は話したくないな』とやんわり拒否されてしまうのだ。

「あっははは!すまんすまん、それ琉球語だわ!俺、そのへんにも縁がある神様なんだけど、知ってた?」

「や、知らないです」

 軽快に笑い飛ばす姜子牙を見て、張景はなんだかやたら疲れた気がして肩を落とした。

(こんなんでも、要注意人物って本当なのかなぁ……)

 それは先日、広成子経由で渡された雲中子からの手紙に記載されていた。

 曰く、太公望呂尚(姜子牙)という尸解仙は、桃源郷に仙人として登録されていない。ましてや姜子牙が尸解仙として存在、活動したという記録を持ち合わせていないのだ。

 つまり、姜子牙であるという本人の証言に裏付けは取れない。雲中子の手紙には次のようにあった。

『前にスイを貸し出した時に、彼はボクを知ってる風に言ったけど、ボクは彼と面識ないんだよね。それに尸解仙って言ったら、肉体がないぶんその有り様が虚いやすい。信仰とか、外からの影響で存在がブレるときがあるらしいんだよ。ジジイの姿が有名なのに外見が若いのは近年のマンガやゲームなんかに影響受けてるんじゃないかな?本人である可能性はゼロではないけど、ボクとしては自分を太公望だと思ってる無名の尸解仙か、仮に本人だとしても下界の影響を受けまくって記憶がボケてると考えてるヨ』

 と、雲中子は前置きした上で、更に今後の対応について続けている。

『桃源郷は性質上、基本的に来るもの拒まずだからネ。一般人としての範囲ならセンター内の決められた場所の見学はできるし、妖獣も貸出できる。でも上記の通り、存在がどうも胡散臭いから怪しいと思ったら報告してネ!なおこの手紙は読み終わったら処分してください。自動焼却したいんだけどネー、前に試したら怒られちゃったからネー。無念』

 つまりは、存在自体が胡散臭いので注意しないに越したことはない、ということだ。それには張景も同意せざるを得ないので、こうして仕事の最中に様子を見ては少し言葉を交わしている。

 警戒しすぎても逆に怪しまれるため、注意程度にしないといけないのだが。

「そういえば今更だけどさ、オレはアンタの事なんて呼べばいい?姜子牙?呂尚?」

 話題を逸らすようにスイが声を上げる。

「ふむ。そういえばずっとアンタ呼ばわりだったな。気にしてなかったが。そうだな、なんでもいいぞ。太公望様でも、姜太公様でも、斉太公様、シンプルに太公様、なんなら親しみを込めてあだ名プラス敬称で呼んでもいいぞ、呉先生?」

「なんか言い方腹立つな。そうかそうか、なんでもかー。なんでもー……」

 そう言いながらスイはわざとらしく姜子牙を凝視しながら考え込むと、数秒ほど経って「あ」と小さく声を上げた。

「じゃあ、子牙にゃんで」

「しがにゃん」

「子牙にゃん。日本にそんな名前のネコのキャラクターがいるから」

「しがにゃん……」

 意外な方向から来た変化球にしばし呆気に取られていた姜子牙だったが、なるほどと頷くとスイの顔をまじまじと見た。

「なら俺もそれに応じた呼び方をせねばなるまい。スイぴょん?スイみょん?それともスイわん?」

「は?普通に嫌だ。使うな」

「まあまあ、恥ずかしがるな。そうだな、もう少し凝ってみるか。お前は歩くときに毛が跳ねるのがどことなく動物的だからな。だから……」

 と、姜子牙はわざとらしいぐらいに爽やかな笑顔を浮かべつつ、びしりとスイを指差した。

「小兎子(子うさぎ)とかどう?うん、小さいしぴったりじゃろ?うさちゃん」

「よーーーーし!表出ろ、表!!天明、厨房にある醤油の空瓶取って来てくれ。ケースで」

「わかった」

「待って!全員待ってください!姜子牙さんは笑い転げない!待って!!」

 今にも姜子牙に殴りかかりそうなスイと、素直に厨房に向かおうとする天明をなんとか止めながら、張景は心の中で盛大にため息をついたのであった。

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