第7話 道の途中(7)
二人は特に話すこともなく、しばらく館内を歩いた。
「……スイさんとは一緒じゃないんですね。どうしたんですか?」
「寝てる」
「ああ、なる……ほど?」
と、話題を振ってはみたが、会話が即座に終了してしまう。張景も口達者な方ではないため、それ以上会話を続ける自信がなくなり押し黙ってしまった。
(おかしいなあ……。冷凍室の件で少しは仲良くなった気がしたんだけど……、僕の勘違いだったかなぁ……)
時折、張景に気付いた職員が声をかけてきては、二、三言ほど言葉を交わして去っていく。その間に『珍しい組み合わせだ』と何度か言われたが、天明は特に返事をするわけでもなかった。
お互い無言の中、ふたつの足音だけが廊下に響く。
(気まずい……。えらく気まずい……気がする。美青年を背後に侍らせているってだけでも……こう、圧が……)
無論、天明には自覚はないのは理解しているのだが。スイはこんなものをいつも背後につけて歩いているのか、と張景は心の中で少しスイを尊敬した。
気がつくと散歩を始めてからここまで歩きっぱなしで流石に少し疲れたので、張景はどこか休めそうな静かな場所を探した。休憩室や仮眠室は誰かしら居そうだし、中庭も日中は小型の妖獣を放していることもあるので、この時間帯だと騒々しいだろう。
しばらく歩きながら考えた末、ニ棟の屋上へ向かった。階段を上り、最上階の重い扉を開ける。開けたと同時に隙間から入ってきた強風によろめきそうになりながらも、ぐっと力を込めて扉を開け切った。
高く、眩しい日差しが屋上に降り注いでいた。張景は床に反射する光に目を細めた。
はじめて来たときは少し寒かったのに、今はむしろ少し暑く感じた。目の前には様々な洗濯物が干し竿に吊らされてバタバタと揺れている。
「もうこんな季節かぁ……」
後をついてきた天明はというと、特に反応はない。張景はそこで以前スイが話していたことを思い出した。
(ああ、そうだ。天明さんは暑いとか寒いとかないんだ)
天明は熱を操る力がある。それがどの程度までかは未知数だが、少なくとも様々な実験をした結果、熱かろうが寒かろうが本人の生命活動には支障はないらしい。
(まあ、暴走したときと比べたら、この暑さぐらいじゃあなんとも思わないだろうな)
とりあえずそう納得することにして、張景は出入り口の反対側に回り込んで影のある場所を見つけると、そこに腰を降ろした。天明も着いてきたが、立ったまま張景をじっと見るだけだ。
「ど、どうぞ?」
恐る恐る張景が床をぽんぽんと叩くと、天明は素直に隣に座った。地べたに座るときはだいたい膝を抱えるようにして座るので、張景は天明が少し小さく見えるな、と感じた。
またしても沈黙が流れる。静かなのはいいことではあるが、張景にはどうも居心地が悪い。
何度かカウンセリングと称して二人きりで話した時には質問という話題があり、天明もそれに答えるという形で会話のようなものは成り立っていた。しかし、今の二人にはこれといった話題もない(さっきまであるにはあったが即終了した)。冷凍室のときのような状況でもない。
「……天気、いいですね……」
本当に話題が無いときの言葉がぽろりと口から溢れてしまった。
空の高いところを鷹が飛んでいるのを少しの間ぼんやりと眺める。中庭のほうでは牛や鳥のような鳴き声が時折聞こえたり、下の階の窓が開け閉めされる音がしたりと、なんでもない長閑な時間がしばし流れた。
「……」
「……」
「……」
「……天明さん?」
ふと、隣を見ると天明が張景をじっと見ていた。特に喋るわけでもなく、ただそれだけなのだが、どうしてもこの顔で真顔で見つめられるとなると緊張してしまい、張景はとっさに身構えようとした。
しかしふと、以前のカウンセリングでスイが言っていたことを思い出した。犬舎の掃除をしていたときに、スイが急に言い出したことだ。
『景くん。天明は人間みたいな見た目してるけど、別の生き物だ。本当に神様かどうかは別として、オレらとはまた違う世界で生きている。考え方も、見方も、話し方だって本当は違うかもしれない。言葉での会話だって、こっちが都合がいいってだけで覚えて貰ってるようなもんさ。だからさ、できる範囲でいいからこいつのペースに付き合ってやってくれないか?』
確かそう話した直後にバケツをひっくり返してしまい、返事は有耶無耶になってしまったが。
(言葉を覚えてもらっている、か。そう考えたことは、無かったな)
そういう考えで捉えてみると、天明の行動も少しは理解できるのでは思った。
「話したいことが、あるんですか?」
そう尋ねてみると、天明は無言で頷いた。
(カウンセリングのときもそうだ。問われたことに対する答えを持っていたら、それには返す。答えを伝えるには一言二言でいいから。でも、自分から文章を組み立てて話すのは苦手なのかも。それも極端に)
張景は、天明の顔を見て頷き返した。特に促すわけでも、急かすわけでもなく、天明が文章を組み立てようとするのを待った。その意図を汲んだのか気付いていないかはわからないが、何呼吸か置いたあとに天明がゆっくり口を開いた。
「……元気が、ない」
「…………ん?」
思ったより短い言葉に、張景は素っ頓狂な声を出してしまった。しかし天明は一切気にしない素振りで、張景に向けて指を差した。喉から肺にかけてのあたりである。
「ここが、前までと違う。そこから下、溜まっていた色も違う。薄い。雲中子は元精と言っていた。形も、変わっている。何故?」
「えっと、あの、す、少し待ってください。ちょっと考えます」
頭の中で今の言葉を繰り返す。意味がわからないことだらけだが、張景にも理解できるものがあった。
(元精。僕らが仙道たる源だ。それが天明さんには『視えて』いる)
元精とは、身体に満ちる生命の気である。個人差はあるものの、仙道の多くは元精を体内で練り上げることによって不老長寿の源である『内丹』を生成する。元気という言葉は(諸説あるが)元々は元精から生ずる気とされ、衰えた精気が元に戻るという意味合いもある。
そういった気の流れというものは、よほどの高位の神仙でないと見れないし、見てもかなり疲弊すると聞く。張景の師である広成子も見れるそうだが、普段は使わないと聞いたことがあった。
それを日常的に視ていることに驚きを隠せなかった張景だったが、話の本質はそこではない。普段ある元精がないのは、発熱などでここ数日の日課である修行が出来なかったためだ。そこをあえて指摘された理由を張景はじっくり考え、そして一つの答えに行き着いた。
「……心配してくれたんですか?」
「心配……」
張景の言葉を反芻するするかのように、天明は小さく呟くと少しの間俯き、やがて顔を上げた。
「これが、『心配する』、か?」
「いや、聞き返されても……」
思わず脱力してしまった張景であったが、変に力んでいたものも抜けてしまったようで、いつの間にか口元が緩んでいたことに気が付いた。もう一度、天明の言葉を思い出した後で張景はこくりと頷いた。
「多分、そうですよ。きっとそうです。心配してくれてありがとうございます。もう少しで気も元通りになりますから」
「うん」
ここでようやく天明が張景を凝視するのをやめて、空を仰ぐように視線を上へ向けた。張景もつられて同じ方向を見たが、特に何もない。おそらく張景を見る必要性がなくなったため、とりあえず目線を別の場所へ移そうとしたのだろう。
張景は、先程の天明の言葉で気になっていたことを聞いてみることにした。
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