第7話 道の途中(6)

 早朝、張景はいつもの時間に目覚めた。多少疲れは残っているものの、昨日までの倦怠感や頭痛などはすっかり引いており、清々しい気分に満ちていた。

 寝台から起き上がると、机の上に置き手紙が二通と見慣れぬ小箱が置かれているのを見つけた。手紙の片方は紙が一枚そのまま机に乗っているだけのもので、もう片方は封がされた白い封筒だ。

 紙だけのものに目を通すと、広成子の字で薬の服用方法が書かれていた。小箱の中に符薬を入れてあるので、決めた時間に一日一粒飲むように、とのことだった。

「……うわあ」

 指示通りに小箱を開けると、張景が想像していたものよりだいぶ大粒のカプセルがごろっと数粒入っていた。ぱっと見るだけでも単四電池ぐらいのサイズがある。飲みたくなくなる見た目に張景はげんなりしたが、師匠の気持ちを無駄にしてなるものかと己を奮い立たせ、もう一通の手紙を持って部屋を出た。

 もう一通の手紙は雲中子からで、『業務連絡のため他言禁止!だれもいないときに読んでね』と書かれていた。さすがに寝起きに読む気は起きなかったため、ひとまず懐にしまった。

 台所まで降りて、覚悟を決めて符薬を飲んだ。思った通りとても飲みにくく、飲んだ後にむせてしまいしばらく咳き込んだ。それが落ち着くといつものようにかまどに火をくべて湯を沸かし、朝食の準備と片付けに入る。

 張景はふと、流し台には昨日使われたであろう茶器や皿がつけ置きされているのに気付いた。

(師匠、昔お願いしたこと覚えていてくれたんだ)

 広成子は家事にはズボラなところがあり、何度も張景が留守のときは食器はそのままにせずに漬け置くよう言っていたのだ。ようやくそれが身についていることに驚きつつ、張景は笑みを浮かべた。

「おや、もう調子は良いのですか?」

 顔を上げると、入口に広成子が立っていた。張景が手を止めて挨拶をすると、広成子は小さく頷き台所までやって来た。

「顔色は悪くないようですね。もう、仕事をしても?」

「ご心配をおかけしました。おかげさまでだいぶ良くなったので、少し体を動かそうと思いまして」

「そうですか。病み上がりですから、程々に」

「はい。今日は一日……今後のことについて考えようと思います」

「……それがいいでしょう」

 張景は台所の片付けをしたあと、簡単に朝食を用意して、食事を共にした。仙人によっては師と同席することに厳しいところもあるが、広成子はその逆で食事の席は人がいた方がいいという考えであった。

「それと、この前の夢の話なんですが」

 食事中、張景が切り出した話題に、広成子は白磁の湯呑みを口から離して張景を見つめた。

「どうかしましたか?」

「言いそびれていたのですが……、兄が生きていました」

 途端、広成子の手から垂直に湯呑みが滑り落ちた。ガチャンと盛大な音が食卓に響く。幸いにも割れはしなかったものの、机の上に思いっきり茶が溢れてしまった。

「あーあ、お椀割れてないですか?ええと、拭くもの拭くもの」

「いやいやいや張景よ。色々と言いたいことがありますがいやいやいや」

 広成子はふきんを持って立ちあがろうとする張景を無理やり座らせ、ついでにふきんを受け取り席に戻った。無言でふきんに机に飛び散った茶を吸わせ、脇に置き、改めて茶を一口飲んだ。

「……どこの仙人の弟子で?」

「いえ、妖獣保護センターに収容されてました」

「ブォッフォ」

 茶を吹き出しそうになった広成子を若干さめた目で見つつ、張景はこれまでの経緯を説明した。最初は笑いの余韻が残っていた広成子も、張景が話すにつれて真剣に聞き入った。

「……というわけで、今に至るんです」

「張景よ……。話すの、遅すぎませんか?いま何月だと思ってるんですか」

「ううう、ごもっともです……」

 広成子のド正論に、張景はしゅんと肩を落とした。よくよく考えてみると、スイとの再会から四ヶ月が経とうとしていた。

「その、言おうとしました。兄に打ち明けようとも考えました。でも、できなかったんです。言って良いものなのかと……」

「そうでしたか。……記憶のこともあります。張景、あなたには誰かに打ち明けられるだけの確証が得られなかったのでしょう。……辛かったでしょう」

 その言葉に張景はぱっと顔を上げた。張景には胸中にあるつかえを何と呼ぶべきかすら見つけられず、悶々としていた。未だ五里霧中ではあるが、広成子の言葉に視界がほんの少しだけ明るくなった気がしたのだ。

(確証。そうだ、僕が僕である確証が……自信がなかったんだ)

 張景は箸を置き、広成子に深々とその場で礼をした。突然のことに広成子は少し驚いたが、その場から動かず張景の様子をじっと見守った。

「師匠、僕は自分自身を信じられない未熟者です。今後もご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします」

「……ええ。我が弟子、張景よ。私が私である限り、その道を見守りましょう」

 食後は広成子の身支度を手伝い、見送りをした。今日は仙界府に用事があるということだった。広成子は玄関で張景に見送られる際に一度だけ振り返り、

「張景、あなたはまだ道の途中です。誰しもそうなのです。よく考え、自分の道をお行きなさい。それもまた道(タオ)です」

 と、言い残して出て行った。

「……僕の道、か」

 そうぽつりと呟いたあと、張景はしばらく残っていた家事をしていたが、すぐになんだか落ち着かなくなり身支度を整えると、洞を出た。少々現実逃避気味ではあると自覚はしていたが、こういうときは散歩でもした方が落ち着く。丸一日寝ていたので、いい運動にもなるだろう。

(思い出して苦しむかもしれない。それは……怖い。でもだからと言って、忘れたままでいいのかな?少なくともスイさんが兄さんって知ってしまったし、いやでも……)

 特に行くあてもなく、ぼんやりと風景を見つつたまにすれ違う仙道や里の人間に挨拶をし、ふらふらと歩いて、歩いて、歩いて、歩いた結果。

「……あれ?」

 気がつくと、妖獣保護センターの看板が張景の目に留まった。特に考えずに歩いていたはずなのに、自然と足がこちらに向いたらしい。

(洞と結構距離があるのに、そんなに歩いたっけ?習慣って恐ろしい……)

 少しうなだれる張景だったが、先日の帰宅時に忘れ物をしていたことを思い出し、せっかくここまで来たのでと顔見せに入ることにした。職員用のゲートカードがないので、扉の脇にあるインターホンを押してしばらく待つ。少しして、男性職員の声が返ってきた。徐栄という名の背の高い男性で、スイが『栄ちゃん、栄ちゃん』と絡んでいたのを何度か見たことがある。

「徐栄さん、張景です。ご迷惑をおかけしてます。あの、実は忘れ物を……」

「……よっしゃあ!俺の勝ちだ!!」

「へ!?」

 突如インターホンの向こうで歓声が湧き上がる。訳の分からないまま張景が立ち尽くしていると、徐栄が「悪い悪い」と詫びを入れて扉を開けてくれた。

 入口には徐栄の他に数名の職員と、天明が立っていた。しかし天明のすぐ側にいつもいるはずのスイはいなかった。きょとんとしながらも張景は中に入り扉を閉めると、徐栄が上機嫌に近付いてきた。

「いやーあ、すまんな張景!いやなに、天明がな?珍しく事にさっきからずーっとここに突っ立ってるもんだから、こいつらと誰が来るか賭けてたんだよ!」

「え、賭博は禁止なんじゃあ」

「現金はな?賭けてたのはおやつの饅頭だ!」

「ずいぶん可愛らしい賭けですね……」

 その割には負けたと思われる職員が、真面目に悔しがっているようなので、本人達は至って真剣なのかもしれない。と、ある事が気になり、張景は職員達に問いかけてみた。

「あの、『ずーっと』と仰いましたが、皆さんはいつからここに居たんですか?」

 ぴた、とそれまで談笑していた声が止まる。すぐ近くに掛けられていた時計の秒針が動く音が何度か鳴ったあと、徐栄は大きく息を吸った。

「さーってと!備品の発注でもするかぁ!」

「そろそろ夔どもを屋内に移さんと」

「從從(ジュウジュウ)の手入れが」

「ええええ延さん、て、手伝いますよ」

 張景の冷ややかな目から逃げるように、職員達は足早にその場を去っていき、残ったのは張景と天明だけになった。

「……オハヨウゴザイマス」

「あ、ああ、はい、おはようございます」

「……」

「……」

 気まずいようなそうでもないような、なんとも言えない空気がしばらく続く。

「……ちょっと、一緒に歩きますか?」

「……ん」

 沈黙に耐え切れず張景が切り出した言葉に、天明は考えるように少し間を開けて、そしてゆっくり頷いた。

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