第7話 道の途中(3)
それから十五分ほどかけて仙境を越え、住まいである桃源洞へと着いた。
何度か雲中子が横になるよう提案してきたが、張景は葉の匂いで酔いそうなのでと断った。しかし、それとはもうひとつ、横になりたくない理由があった。
(眠りたく、ない……)
そう感じるときは、決まって嫌な夢を見る。これはジンクスではなく、経験則だ。 特等席に縛り付けられて見せられる惨劇のようなもので、目覚めはどっと疲れる。そんな事を考え始めると、次々と過去に見た嫌な夢のことを思い出して頭が痛くなる。
(そうだ、あの時も……あの、とき?)
「張景、戻りましたか」
はっと顔を上げると、玄関に広成子が立っていた。ビワの葉が着地したことを確認し、張景は立ち上がり師に向けて拱手した。
「申し訳ございません、師匠……」
「いいのですよ。……朝より顔色が悪い。今日はもう休みなさい。それと、雲中子」
広成子が雲中子へ向き直る。雲中子はへらっと笑いながら立ち上がった。
「ひっさしぶり〜。対面で会うの、何年ぶりだっけ?」
「前回の仙道集会以来でしょうか。あれもしばらく行っていませんね。弟子を送って頂き、ありがとうございます」
「いいよいいよ、礼なんて。用事のついでだし」
雲中子がビワの葉から降りる。すると葉はみるみるうちに小さくなり元のサイズに戻ったかと思うと、風に吹かれてどこかへ飛んでいった。
「まだ時間はありますか?せっかく友人が来たのです。お茶くらい飲んでいってはどうですか?」
「え……もしかして師匠が淹れるのですか?」
会話に思わず割って入ってしまい、張景はしまったと口をつぐんだ。広成子は張景へ視線を向けるが、ついそれから目を逸らした。雲中子はきょとんとした顔で張景を見た。
「景クン、広成子がお茶を淹れるのはまずいのかい?」
「……以前、ヤカンを探すのを面倒がって、コーヒー用のケトルに茶葉をダイレクトに入れて、注ぎ口を詰まらせたことが」
「張景」
「し、失礼します!雲中子様、ありがとうございました!」
張景は何もないところでつまづきそうになりながら、足早に自分の部屋へ戻っていった。やれやれと広成子が息をつく横で、雲中子は肩を小刻みに振るわせながら笑いを堪えていた。
「ぷ、くく、キミ、相変わらずそういうところ、雑だなァ!いやあ、いい弟子をとったね!」
「それは否定できませんが。……あの子はうまくやれていますか?」
「そうだねぇ。よく働くいい子だよ。真面目で、人の話をよく聞く。ただ……」
雲中子はそう言いながら天を仰いだ。真っ青な空にはぽつぽつと積雲が浮いている。しばらくは天気が変わることはないだろう。
「受動的なところがあるね。自己形成ができていないように見える。本来の気質もあるだろうけど、もっと別の問題があるように見えるなぁ。まるで、胸にぽっかり穴が空いたまま大人になったような」
ほう、と広成子は感心したように頷いた。実際のところ雲中子の言う通りで、張景は真面目で聞き分けがいい。しかし会話は受け身気味でどこか自己がないのだ。雲中子は広成子の方へ向き直った。
「合ってる?」
「そう、ですね。私も昔から感じていたことです」
広成子はふと、張景がここに来たときの事を思い出した。
張景がここに来たのは彼が五歳になったか、まだなっていなかったか。
ともかく、歳不相応に大人しく従順な子供ではあった。来た当初は感情を表に出すことは少なく、殆ど喋らず。と思えば、暗がりが怖いのか、夜になるとよく部屋に忍び込んで寝台に潜ろうとする。
広成子には、彼は親と死別している事と、弟が別の仙人に引き取られたことを知らされていた。最初は不安なのだろうと思い共に寝る事を許していたが、果たしてそれだけだったのだろうか。考えたことは少なくなかったが、寝台の中で震える幼い張景を思い出してしまい、今のいままで深く追及することはできないでいたのだ。
(『兄』の存在も、知ったのは最近でした。しかも張景自身も夢に出るまで忘れていた。それまで思い出す素振りもなかったのに)
張景の調子が良くなったらそろそろ聞いてもいいだろうか。そう、広成子が考えていると、雲中子が突如大声を上げた。
「そうだ!景クンに伝えたいことがあったんだ!広成子、なにか書くもの貸して!」
「それはいいですが……。そうそう、書くもので思い出しましたが、先程手紙を送ったのですが読んでくれましたか?」
「え?なにそれ」
一瞬、ぴたっと時が止まる。
「……術で風に乗せて送ったのですが。全く、あなたは昔から人に手紙をバンバン寄越す癖に、自分に届く手紙は見ないのですから」
「ハハハ……、たぶん窓を閉めっぱにしてたから気付かなかったんだぁ……。後で確認します、スミマセン……」
申し訳なさそうに苦笑いする雲中子に、広成子はため息をついた。なんだか今日はやけにため息をつくなと気付き、もう一度してしまいそうになるが堪えた。
「いいですよ。今日の張景のことですし。……今後も張景のことをお願いしますね」
「勿論。……それにしても、景クンは愛されてるなぁ」
ふふ、と思い出し笑いをする雲中子を、広成子は不思議そうに見た。視線に気付いて雲中子はニマニマと笑みを浮かべながら、先程のスイとの会話を思い出していた。
「やー。これ以上立ち話をするのも疲れるし、中入っていい?ああ、お茶はいいよ。後で景クンが困るのもいけないしネ」
「ム、もう同じ失敗はしませんよ」
広成子はむっとしながらも、雲中子を中へ招き入れた。確か張景が作った果実水があったはずだ。広成子は来客用の茶器を探しながら、上の階にいる張景の体を案じた。
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