第7話 道の途中(1)

 カイチ騒動から一夜明けた午前九時過ぎ。妖獣保護センターの一棟、所長室。スイはそこで、所長用の机に置かれた大量の紙袋と、所長である雲中子を交互に見て顔をしかめていた。

「……今回、量多くないか?」

「多いねぇ。でもねぇ、これでもだいぶ減らしてもらった方なんだよ?」

「……これが?」

 と、スイは紙袋のひとつを開けて覗いてみた。どこかで見たようなアメコミの中文版がみっちりと詰まっていた。

 『文化調査』。不定期ではあるが、これはスイの数少ない正式な仕事である。

 桃源郷は外界と隔たれた世界ではあるが、外界のことを学ばなくても良いわけではない。よって外界と行き来のある仙人や、下界の滞在歴が長い人間、ここに流れ着いて日の浅い人間などが協力し、文化や認識のズレを埋めて知識を広めることを目的とした活動をしている。

 が、

「仙人は!時間の感覚がズレすぎてんだよ!この山のような本と映画を期間中に観ろってのはともかく、細かいレイティング審査して報告書提出ってのは無理があるんじゃないか!?いくつあると思ってるんだ?」

「えーと。映画11本に文学書5冊。コミック120冊だねぇ。ちなみに映画は11本中7本が3時間超えの超大作。削ったのは真偽の判別がしづらい雑学本を16冊と、美術館の目録3冊だよ」

 雲中子の呑気な声に、スイは眉間の皺を摘みながらため息を吐いた。

「まあまあ。里の図書館に収蔵される、下界の貴重な文化資料の審査だよ?里の人達が下界を正しく知るために、キミみたいに下界歴が長い子の知識が必要なのは理解してるよね?」

「そりゃあまあ、そうだけどよぉ……」

 スイはちらりと背後にいる天明に視線を向けた。天明は特に何も言わず、スイと目を合わせた。

 この男は見た目こそは人間だが、人間でもなければましてや性別もない。人間とはそもそも違う感覚の中を生きている。そのため、今回のような『人の感性』が必要な仕事は手伝えない。

 スイはやれやれと肩を落とし、紙袋をいくつか持ち上げた。

「……しゃーない、やるしかないかぁ。天明、半分持ってくれ」

 天明は小さく「ん」と返事をすると、スイから渡された紙袋を受け取った。残りの紙袋に手をかけようとしたところで、スイはふと動きを止めて雲中子へ視線を戻した。

「なあ雲中子。この仕事している間は景くんの面倒見られないけど、大丈夫か?」

「う〜ん、色々ツッコみたいセリフだけど。大丈夫だよ。しばらくはいつもの下準備や清掃仕事をさせつつ、様子を見て他の子の仕事も覚えさせようと思ってるんだ〜。……ていうか、スイってさ」

 雲中子は少し身を乗り出すと、スイに対してニマニマ笑いかけてきた。スイはうわ、と若干引いたような表情を浮かべた。

「景クンに対しては甘いよねぇ。新人に対してはいつも結構甘いけどサ、今回は特別そうじゃない?」

「別に?ただ、珍しく天明が懐いてるみたいだから、話す機会が多いってだけだ」

「ほーぉ、それで昨日の報告書を代わりに書いてあげたと?」

「結局は体張ったの、景くんだけだったからな。あんな事して疲れてるのに書かせるわけにはいかないだろ?今回の報告は目撃者も多いから裏も取れやすいし、オレが書いても問題ないだろ。……なんだよ、その顔」

 雲中子の表情とは対照的に、スイは訝しげな顔でじっと雲中子を見つめた。雲中子は両肘を机について手を組みながら、嬉しそうに口を開いた。

「ボクは嬉しいんだよ?ほら、キミって仲良しとか友達とかあんまり作らないだろ?いいことだなーってサ」

「仲良し……って、普通にいるけど。職員全員とも仲は悪く無いつもりだし、里の人たちともうまくやってるはずだけど」

「……そっかぁ。スイ本人が言うならそうなんだね。ま、数少ない友人としてね、これでも心配だったんだよ。景クンも安心できるだろうし、今後も仲良くしてあげてね」

「……過保護」

「お互いね」

 少し沈黙し、スイは少し困ったように笑った。それにつられて雲中子も気の抜けたように笑い合った。

「スイ」

 と、背後で天明が声をかけてきた。スイが振り返ったのを確認すると、天明は空いている手で扉を指した。

「来てる」

「来てる……って、誰が?」

 不思議そうにしながらも、スイは扉を引いて通路へ顔を出した。数秒ほど様子を見てみると、曲がり角から見覚えのある姿がふらっと出てくるのが見えた。

「あ、景くんか。すごいな天明、もう景くんの気配を覚……え……あれ?」

 張景がこちらに気付いたようで歩いてきたが、どうも様子がおかしいことにスイは気付いた。足元がおぼつかないようでフラフラしてるし、仕事道具を入れている包みを抱えているが、包みから水筒が今にも落ちそうなぐらいはみ出ているのに、全く気付いてないようなのである。

「あ、あ、スイ、さん。お、おはようご、ございます」

 近付くにつれてスイの感じた違和感は確信に変わっていった。これはどう見ても、

「景くん顔赤ッッ!!!」

 どう見ても、風邪である。

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